京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

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第9回世界遺産高野山ツーデーマーチ第2日 奥高野コース

2014年10月26日(日)28キロ 快晴
場所 和歌山県伊都郡高野町、奈良県吉野郡野迫川村
コース 高野山大学~一の橋~中の橋~天狗木峠~野迫川村役場~スカイライン分岐~大滝~薄峠~真別処分岐~高野山大学

歩者も死者も お大師様のもとに

 宿坊の朝は早い。「6時半からお勤めが始まります」と、若い修行僧が起こしに来る。本堂に入ると、夜明けの薄暗い中に小型の提灯が幾つか点り拝殿をうっすら照らしていた。

 遺骨を納めに来た家族が一緒だった。お勤めの僧は埋葬方法について説明した。それによると1年間は寺で保管する。その後は高野山内の奥の院にある大師廟の横の納骨堂に納めるが、全国から遺骨が集まるのですぐいっぱいになる。そこで順次その横の墓地に埋葬するという。「お大師様のそばで休んでいただきます」とのことだった。

 心が洗われるかというと、それほど単純なものでもないが、朝一番に厳かな雰囲気に触れることなど実生活ではめったにない。貴重な体験には違いない。精進料理の朝食をいただいてスタート会場の高野山大学へ。28キロの最長コースとあって昨日と同じ健脚自慢の人が集まっていた。

 出発式では世界遺産高野山ツーデーマーチ実行委員長を務める加藤栄俊・常喜院住職が「紅葉のきれいな季節です。歴史と自然とお大師様の町を楽しんでください」とあいさつした。コースリーダーは高野町役場の下勝己総務課長、アンカーは和歌山県ウオーキング協会の2人が務めてくれた。和歌山県3B体操協会のみなさんがストレッチ指導と出発の檄を担当した。

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写真①=あいさつする加藤実行委員長
写真②=3B体操協会のメンバーが出発の檄
 
 奥の院には20万と言われる墓がある。それだけの霊魂があるとすれば大変な場所だ。だが霊は普段は墓にはいないという。「千の風に乗って」の作詞者で作家の新井満さんは「普段は空中を浮遊しているが、縁のある人が訪ねてきたら墓に戻る。つまり墓は面会所にあたる」といったことを文藝春秋誌に書いていたように記憶する。

 いずれにしても墓石の林立する中である。心霊写真になっては恐ろしいので撮影を控える。心を引き締めて歩を進める。江戸時代の大名家から近代の企業の墓。・親鸞聖人の墓もあった。浄土真宗の開祖の墓がなぜ真言宗の墓地にあるのか、今のところよく分からない。
 
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写真①=赤松院を通り過ぎ、いよいよ奥の院の墓地群に入る
写真②=野迫川村のチェックポイントでは胡麻豆腐を出してくれた

 高野町の街並みを離れ野迫川村を目指す。一面に杉の植林された険しい山々は紀伊山地独特の景色だ。その一番奥の、最も高い連なりが、修験道で有名な大峰山脈のように思われた。

 町村境近くの峠が給水ポイント。そこから歩いても歩いても人家が見えない。ようやく数件の家が見えて、小中学を統合した校舎を過ぎて野迫川村のチェックポイントに着く。弁当を頼んだ人はここが引換場所だ。村役場近くにも中学校があった。なぜ2校もあるのか、駐在さんがおられたので尋ねた。中学は前年度で廃校になり、小学校に統合された。かつての中学校舎は村役場の一部となり体育館は住民が使っているとのことだった。

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写真①=野迫川村のチェックポイント。中央はコースリーダーの下さん
写真②=村内はところどころ紅葉していた

 チェックポイントには野迫川村職員も担当していた。村の人口を聞くと「住民票上は480人です」との返事だった。実際には村外に住む人もいるのだろう。

 野迫川村の隣の西吉野村と大塔村は合併で五條市の一部になった。野迫川村には高野町からは立派な道が通じているが、五條市など奈良県の他の地域と結ぶ道路事情は悪いらしい。そんなことも合併をせずに単独村政を選んだ理由かもしれない。

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写真①=野迫川村役場
写真②=「こうやくん」「わかぱん」と記念撮影をする和歌山県3B体操協会のみなさん

 自動車道から山道に入る。前も後ろも人がいなくなった。分岐では踏まれているほうをたどるが、心細いことこの上もない。地元の人らしい参加者が抜いていったので後ろに付かせてもらう。大滝という集落に出た。最後のチェックポイントだ。ここから高野山にはいったん下ってまた登り返す。「橋をかけてくれればいいのに」と休憩していた他の参加者はぼやいていた。

 和歌山県ウオーキング協会の人と一緒になったので後ろからついていくが、急坂が続き、そのうち置いていかれてしまった。それでも道ははっきりしているから安心だ。ようやく登りきってゴールも近いかと思ったのだが、給水所で聞くとまだ数キロあるとのことだった。

 ようやく高野町の街並みに入ってゴール。昨日と同じく婦人会のみなさんが豚汁で出迎えてくれた。高野町のマスコット「こうやくん」と県のマスコット「わかぱん」が場を盛り上げていた。
  1. 2014/10/26(日) 21:42:01|
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第9回世界遺産高野山ツーデーマーチ第1日 町石道コース

2014年10月26日(土)27キロ 快晴
場所 和歌山県伊都郡九度山町、高野町
コース 九度山町役場~慈尊院~二つ鳥居~神田地蔵~花坂矢立~大門~高野山大学

町石たどり 27キロ登った

 和泉弥生ツーデーウオークから一週間後に世界遺産高野山ツーデーマーチがある。さすがに歩きすぎかと思い、見送るつもりでいた。だが筆者の勤務先のトップは和歌山県出身である。その縁で和歌山県から来客が相次いだ。県内のさまざまな名所の話を聞いて行ってみたくなった。宿坊が取れたら行こうと思ったら、高野町観光協会で簡単に確保できた。こうなったら参加するしかない。

 1日目の最長コースは町石道コース。ふもとの九度山町から山頂の高野町までの登り27キロだ。一町(108m)間隔で町石と呼ばれる石の標柱が180柱立ち並ぶ町石道は全国的にも名コースの一つだ。10キロの楽なコースもあるが、少々無理をしてでも町石道を体験しようと決めた。

 JR京都駅を午前5時20分発の快速に乗る。梅田、難波、橋本と3回乗り換えて7時半過ぎに九度山に着く。南海高野線内で少し居眠りできたので体調は良い。歩道が狭く交通量の多い道をたどり九度山町役場に着いた。ここが出発式会場だ。

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写真①=出発式であいさつする岡本章・九度山町長
写真②=出発の檄を行う手作り甲冑九度山真田隊のみなさん

 出発式では岡本章・九度山町長があいさつ。それによると町はかつて高野山の寺領で物資を運び上げる場所だった。今は日本一の富有柿の産地として知られるという。戦国時代の武将・真田幸村が14年間蟄居した地でもある。岡本町長はその様な町の特色を紹介した後「町石道は5~7時間かかります。景色を楽しみながらハイキングしてください」と励ました。

 スタートしてほどなく真田庵に向かう曲がり角があった。せっかくの機会だからと立ち寄ったが、多くの参加者は素通りし、この日二度と会うことはなかった。

 信州・上田の領主・真田昌幸と二男の幸村は関ヶ原の合戦に際し徳川秀忠率いる大軍を足止めし、合戦に間に合わせなかった。だが合戦は徳川方が勝利し真田父子は九度山に蟄居させられた。昌幸は九度山で死去し、幸村は豊臣方に付いて大坂夏の陣で戦死する。真田庵には昌幸の墓などがある。

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写真①=真田庵には真田昌幸の墓がある
写真②=町石道の下の起点、慈尊院に到着

 町石道のふもとの起点である慈尊院に着くと朱塗りの建物が目を引いた。もっとも下にある180番目の町石の場所を聞こうと拝観窓口の僧侶に尋ねたところ「そちらにお参りください」と向かいの建物を示された。弘法大師の母の廟所だという。「町石の言わばゼロ番に当たります」と僧侶は説明。多くの人は参拝もそこそこに町石をたどることにばかり興味を持つことに残念そうな口ぶりだった。

 町石をたどろうとする筆者はいささか後ろめたいが、質問したおかげでおかげで最初の町石を石段右側に発見できた。町石は鎌倉時代にできたもので側面には文永6(1269)年の記載がある。谷に投げ捨てられたり破損されたりした時代もあり、紛失した石は大正時代に再建された。鎌倉期のものは高さ約3メートル。大正のものはそれより小ぶりに見えた。

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写真①=町石道の0番」弘法大師の母の廟
写真②=慈尊院の階段の右手に180番の町石

 道沿いに柿がなって地元農家の人が収穫していた。12月中旬ころまで続くが、10月半ばでは富有柿にはまだ早い。収穫しているのは「ひらたね」という渋柿で炭酸ガスで渋を抜くらしい。ケースには大粒の柿がいっぱい入っていた。

 二つ鳥居を経て神田地蔵がチェックポイント。事前に予約した人は弁当を引き換えができるが、筆者は当日参加なので申し込んでいない。コース上にコンビニなど昼食用の食料を買える場所はない。いささか空腹ではあるが、宿坊の精進料理の夕食を楽しみに展望を楽しんだだけで出発した。

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写真①=町石の左に文永6年の文字
写真②=九度山町は柿の産地でもある

 コースは一旦自動車道を横断する。花坂という土地で焼き餅店があった。1個120円の焼き餅を買い、店の中でお茶をいただきながら食べる。甘さが力に変わるのが分かる。店の人が「残り6キロで標高差は400メートルあります」と教えてくれる。相当の勾配のようだ。

 登りだした直後は相当の急坂だが、このあたりから弘法大師の伝承のある巨石や奇石が点在する。「このあたり、熊が出ます」との看板があり、クマ除けの鈴をリュックに付けた人もいる。筆者も含めて皆相当疲れている。抜いたり抜かれたりしながら最後の坂を登り詰めると、いきなり朱塗りの大門が現われた。両脇に構える金剛力士像が圧巻だ。

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写真①=神田地蔵のチェックポイント
写真②=花坂の焼き餅店で一休み

 両側に寺院や商店が並ぶ高野町のメインストリートを通りゴールを目指す。宿泊予定の宿坊もあった。ゴールの高野山大学では高野町婦人会による豚汁の接待があった。出発前の体操指導など運営に協力している和歌山県3B体操協会と同大学学生がダンスをしていた。

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写真①=最後の登りを過ぎると大門が見えた
写真②=ゴールでは産業フェスタも開催していた

  夕刻、宿坊でボリュームたっぷりの精進料理に舌鼓を打ったことは言うまでもない。
  1. 2014/10/26(日) 21:36:14|
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第16回和泉弥生ロマンツーデーウオーク第2日・よしもとコース

2014年10月19日(日)快晴 17キロ
場所 大阪府和泉市
コース 和泉中央駅前・アムゼ広場~郷荘神社~黒鳥山公園~池上曽根史跡公園~泉井上神社~西福寺~アムゼ広場

大型建物で体感 弥生人の畏怖の念

 2日目は和泉市北部を巡る。最長コースは22キロ。距離的にはちょうどいいのだが出発時刻が8時と早い。そこでJR京都駅を7時ごろに出れば9時のスタートに無理なく間に合う17キロコースに参加することにする。

 出発式では実行委員会副会長を務める和泉商工会議所専務理事・橋本隆次さんがあいさつ。多くの人の協力で16回目を迎えたことに感謝の言葉を述べ、「歴史とロマンの里で秋の一日を満喫してください」とエールを送った。

 吉本興業の漫才コンビ「ロシアン生まれ」も駆けつけた。一方が相方を指して「こいつの生家は和泉府中駅の近くでんねん。近くまで行ったら表札の写真撮ってやってください」と突っ込んで笑いを誘っていた。

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写真①=出発式であいさつする和泉市商工会議所の橋本専務理事(右)
写真②=吉本興業の漫才師「ロシアン生まれ」も応援に駆け付けた

 郷荘神社が最初のチェックポイント。黒鳥山公園は桜の名所らしいが、今回は門前を通り過ぎるだけ。協賛企業の一つ、量販店「FRESHMARTサンパール」前では店員の女性がパラソルを立てて、ペットボトルの飲料を配ってくれていた。

 フェンスに囲まれた中に弥生時代の巨大な高床式建物が見えてきた。池上曽根遺跡の史跡公園だ。建物は「いずみの高殿」と名付けられ80畳の広さがあるという。

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写真①=最初のチェックポイントの郷荘神社
写真②=FRESHMARTサンパールからペットボトルのサービス

 1993年秋か94年春だったと思う。滋賀県守山市の伊勢遺跡で弥生時代の大型建物跡が発掘され、魏志倭人伝にある「三十国」の一つではないかと言われた。柱の太さと間隔で建物の高さや形態を推測するらしい。その時専門家が描いた想像図がちょうどこんな形だった。

 東西20メートル、南北7メートルで、庶民が暮らした竪穴式住居と比べれば途方もない規模だ。神事に使ったらしいが集落の人々の感激と畏怖が伝わってくるようだ。専門家は語りたがらないが、神社建築の原型になったという推測もあながち荒唐無稽とは言い切れない。

 普通の遺跡では柱跡の穴しかない。せいぜい白い塗料で輪郭を描き見学者の便宜を図ってくれるのが関の山だ。それを思うと建物の実物を目の当たりにできるのは貴重な機会であり、感激を禁じ得ない。

 チェックポイントのテント周辺と、パネル展示とトイレのある管理棟はにぎわっていたが、復元された建物を見に行くウオーカーは少ない。そんな中で建物の写真を撮っていたのが目に留まったのか朝日新聞の記者の方に声を掛けられた。遺跡の印象を聞かれたので上記の内容をかいつまんで話すと翌10月20日の記事に載せてくれた。京都府ウオーキング協会の仲間が北九州市と滋賀県長浜市での大会の際、朝日新聞に採り上げられたことがある。今回図らずも同じ栄誉に浴することができた。

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写真①=弥生時代の大型建物を復元した「いずみの高殿」
写真②=筆者を採り上げてもらった10月20日の朝日新聞の記事

 アーケードのある商店街に入っていく。その中の四つ角で、商店街「ロードインいずみ」の役員がバナナを配ってくれていた。まろやかな甘さが疲れた体に心地よい。「もう一本いかがですか」と言ってもらったが、丁寧に断って出発する。

 和泉の地名のもとになった和泉清水を祭るのが泉井上神社。ここも豊臣秀頼の再建だ。和泉市桑原町の西福寺に入っていく。このコース最後の名所旧跡に当たる。

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写真①=商店街「ロードイン・いずみ」でバナナのプレゼント
写真②=和泉清水を祭る泉井上神社

 鎌倉時代初期に東大寺再建に尽力した俊乗房重源上人はこの地で生まれたという伝説があり、西福寺の中興の開基と伝えられる。その重源上人がこの地で雨乞いの儀式をしていた時に、本堂の隣にあった井戸でお婆さんが洗濯をしていた。雨乞いの効果がてきめんとなり、にわかに黒い雷雲が空を覆い、夕立となった。

 ゴロゴロという雷鳴と共にその井戸に雷が落ちたのだが、おばあさんはすかさず洗濯中のたらいで井戸に蓋をして雷を閉じ込めてしまった。雷を逃がすかわりに二度とこの地に落ちないという約束をその雷から取り付けた。それは、ゴロゴロと音がした時に「くわばら、くわばら」と村人たちが唱えれば、この地が桑原であることが分かるので、雷が間違って落ちることがないというものだ。この約束を交わしたのちに雷は解放され、天に戻ることができた。

 この逸話がもとで、「くわばら、くわばら」と唱えることが雷封じの呪文となった。雷を閉じ込めたという井戸は本堂右手奥にあり、大きな石でふたがしてあった。さい銭のつもりだろう。その上には小銭が置いてあった。

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写真①=おばあさんが雷を閉じ込めたという西福寺の井戸
写真②=参加者は延べ2231人でした

 ゴールすると、この日もステージではライブ演奏が行われていた。小学6年の西川怜伽さんはホイットニー・ヒューストンの曲を抜群の歌唱力で歌い上げた。高校1年の番匠谷紗衣さんは自作の曲をギターで弾いた。他にもアーティストの卵が多数登場していた。

 客席にも仲間の若者が多数集まっていた。このような企画が他の大会にも広がっていけば「ウオーキングは高齢者のもの」という偏見を、一定程度払しょく出来るのではないかと思う。

 司会者で演歌歌手の春奈佑果さんはこの日もトリを務める。ライブは午後3時の予定だったが、あと1時間余りが待ちきれずに会場を後にした。ファンとしては落第かもしれない。
  1. 2014/10/19(日) 19:47:50|
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第16回和泉弥生ロマンツーデーウオーク第1日・牛滝温泉いよやかの郷コース

2014年10月18日(土)20キロ 快晴
場所 大阪府和泉市
コース  アムゼ広場~春日神社~和泉国分寺~道の駅・いずみ山愛の里~コスモ中央公園~松尾寺~くすのき公園~アムゼ広場

司会の歌姫に魂を奪われた

 和泉弥生ロマンツーデーは40キロコースが有名だ。標高491メートルの槙尾山施福寺への登り降りがあり全国有数のハードなコースとして知られる。挑戦してみたい気はあったが、午前7時半のスタートに間に合わせるにはJR京都駅を5時過ぎの電車に乗らないといけない。歩く前から調子が狂ってしまいそうだ。20キロだと7時14分の始発の新快速で間に合う。 

 梅田と難波で2回乗り換えて泉北高速鉄道・和泉中央駅前広場の大規模商業施設にあるアムゼ広場に着くと、出発式が始まろうとしていた。受付を済ましている間に式が進行し主催者あいさつやコース説明は聞けなかった。司会は春奈佑果さん。市が委嘱する「いずみの国和泉市PR大使」でもある。一昨年も務めたので覚えていたが、本職が演歌歌手だとは今年初めて知った。後述のようにゴール後には温かな美声を聞かせてくれた。

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写真①=アムゼ広場を元気に出発するウオーカー
写真②=春日神社に到着

 日本ウオーキング協会の加盟団体は大阪府には八つある。この大会はそのうち南大阪歩け歩け協会が主管し、コース地図の監修など行っているが、他の7団体(大阪府歩け歩け協会、大阪関西歩け歩け協会、オレンジクラブ一歩会、近畿ウオーキング笑会、浪速歩け歩け協会、大阪ウオーキング連合、河内長野歩こう会)からも多くの人がボランティアで大会スタッフを務めている。中央会場やコース上で各協会の小旗やユニホームが揃い踏みするのは壮観でもある。

 大会本部前や出発ゲートでは以前ウオーキング研修で一緒になった人がスタッフを務めていた。再会を喜ぶとともに、今回お世話いただくことに謝辞を述べてスタートする。

 泉北高速鉄道沿いには高層団地や新興の街並みが多いのが特徴だが、コースはむしろ農村風景の中を丘陵地に入っていく。春日神社や和泉国分寺といった由緒ある寺社を訪ねると、この土地が古くから開けていたことが分かる。和泉国は河内国から分かれたと聞いたことがある。今でこそ産業活動の中心は大阪湾岸に集中しているが、国分寺があったということは内陸のこの付近も国の中心の一つだったのだろう。

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写真①=プチタオルをくれたテクノステージ和泉まちづくり協議会のみなさん
写真②=松尾寺本堂にはボランティアガイドさんがいて案内してくれた

 広い自動車道に出ると、ため池の横にそびえる道の駅「いずみ山愛の里」がチェックポイントになっていた。お茶とオレンジジュースの給水がある。糖分も一緒に摂れるのでジュースはありがたい。アップダウンも少なく秋晴れの中を気持ちよく歩くうちに、もう8キロ来たのだった。

 コースはしばらく自動車道をたどり、テクノステージ和泉という工業団地に入っていく。昼前とあって工場の従業員を目当てにワゴン車の荷台に商品の弁当を並べている女性が気になったがそのまま通り過ぎた。そこから1キロほどでチェックポイントのコスモ中央公園。東屋やベンチ、芝生があって昼食最適地だ。「あの弁当を買っとけばよかった」。後悔先に立たずである。

 チェックポイントではテクノステージ和泉まちづくり協議会のメンバーが参加者全員にプチタオルを配ってくれていた。同協議会は団地内114社の従業員約5000人で構成し、普段から公園清掃などのボランティア活動を行い、ツーデーウオークにタイアップしての活動も毎年行っているという。

 一人1枚のはずだが「お孫さんにどうぞ」と言われ2枚、3枚もらっている人もいた。 

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写真①=300年前の作と言われる松尾寺の持国天
写真②=右側には増長天も寺を守護している
 
 分岐に立つスタッフが「もう13キロ過ぎましたよ」と声を掛けてくれる。松尾寺に着くと山門は100段以上もの階段の上にあった。門の左右には持国天と増長天が寺を守護する。いずれも相当古びている。本堂前のボランティアガイドさんに聞くと約300年前の彫像とのことだった。

 松尾寺の開基は672年(天武天皇元年)。役行者が当地で7日間修法し、霊木を得て如意輪観音を刻んで安置したという伝説がある。その後、天台宗の寺となった。1581年(天正9年)には織田信長が紀州高野山攻めの際に松尾寺も攻撃し、諸堂を丸ごと焼き払ってしまった。現在の松尾寺は、その後、豊臣秀頼の寄進などにより再建された。

 関ヶ原の戦い=慶長5(1600)年=から大阪の陣=慶長19~20(1614~5)年=に至る間に秀頼は多くの社寺に寄進している。これは大阪城の金銀を費消させようとする徳川家康の謀略に引っかかったもので、愚かであったとする見解が一般的だ。だが現実に古刹がよみがえり平成の世の私たちがお参りや観光をすることができる。秀頼の行為をもっと肯定的に評価してもいいのではないか。松尾寺でそんなことを考えた。

 境内には本堂のほか伝教大師(最澄)幼形像や、信長の焼き討ちの際に寺宝百数十点を保護した長諭和尚の顕彰碑、江戸時代の鐘楼など見所が多彩だ。源義経が一の谷の合戦で亡くなった将兵の首を船で運び納めたという首堂もあった。

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写真①=ゴールでは3B体操の女性スタッフが笑顔で出迎えてくれた
写真②=和泉市のキャラクター「コダイくん」(左)と「ロマンちゃん」

 松尾寺を出る。隣接する丘陵を通りかかると、前を歩くウオーカーが「前はここにため池があったのに」などと話しているのが聞こえてきた。真新しい道路はできているが周辺は草地。いずれ住宅か事業所が建つのであろう。その中にテニスコートなどを併設する最後のチェックポイントの「くすのき公園」があった。

 アムゼ広場にゴールするとステージでは地元の和太鼓集団「いずみ太鼓鼓聖泉(こせいせん)」の演奏が行われていた。この日はジュニアで成人メンバーは翌19日の登場ということだったが、様々な太鼓や銅鑼の響きは、内臓を心地よく揺さぶられる感覚だった。鼓聖泉も「いずみの国和泉市PR大使」として観光に一役買っている。毎年公演を行っており、ことしも近くJR阪和線信太山駅近くの会場で行うとのことだった。

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写真①=和太鼓集団「鼓聖泉」。この日は中学生以下だったが内臓を揺さぶる響きだった
写真②=ライブで観客と握手する春奈佑果さん(右)

 弥生人の衣装をまとった和泉市のマスコット「コダイくん」と「ロマンちゃん」も広場を回ってウオーカーや市民との記念撮影に応じていた。その後時間が空いたのであろう。司会者で演歌歌手の春奈佑果さんのライブが予定時間より早く始まった。春奈さんはまず自分の持ち歌を歌った。男女の愛憎を描いたドロドロ・コテコテのド演歌ではなく家族の情愛を歌い上げた温かく上品な歌詞と曲調だった。

 その後、「美空ひばりさんの好きな人はおられますか」と観客に問いかけ、数人が手を挙げると「お年がばれますよ」と言って笑わせながらマドロスものの一つ「港町十三番地」を歌った。昭和32(1957)年の歌だから、リアルタイムで聞いていた人は若くても60歳代。春奈さんは歌いながら数十人の観客と一人ずつ握手していた。

 大会から数日たったというのに、「港町十三番地」の歌声が頭から離れない。ローレライの岩で美女が口ずさむメロディーに魂を奪われた、ライン河の舟人の心境である。 
  1. 2014/10/18(土) 20:07:10|
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第23回天橋立ツーデーウオーク第2日

2014年9月28日(日)23キロ 快晴
場所 京都府宮津市、与謝郡与謝野町
コース 島崎公園~天橋立~元伊勢籠神社~成相山~丹後郷土資料館~吉津地区公民館~智恩寺~島崎公園

知恵と浄めとパワースポット

 天橋立で宮津湾と仕切られた阿蘇海を一周するコースは大会の定番だ。「丹後天橋立ツーデーウオーク」の時代には加悦町(当時)の古墳公園、野田川町(同)の出雲大社巌分祠を訪ねてから阿蘇海を一周して、さらに成相山に登ってから天橋立を渡って帰る、たいへん値打ちのある半面、体力的にはハードな40キロコースがあった。

 宮津市の単独開催となってからは他町域は通り抜けるだけになり、距離もぐっと短縮された。それでも今年の最長コースは成相山の登り降りを加えた23キロと、昨年よりは長くなったようだ。

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写真①=出発式であいさつする井上・宮津市長
写真②=23キロコースリーダーとアンカーを務めてくれた京都府ウオーキング協会のみなさん

 出発式では井上正嗣・宮津市長があいさつ。市長は風水における気の流れ道「竜脈」が成相山を通っているとし、「パワーをもらって帰ってください」と参加者を激励した。アンカーを務める京都府ウオーキング協会のスタッフが出発の檄を行うが、参加者の大半はすでにステージを離れスタートチェックのテントに移動していた。

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写真①=島崎公園を元気に出発
写真②=旅館街の裏の水辺を行く

 海岸沿いを天橋立に向かう。船が通行するときは90度回転する廻船橋を渡って、松並木が続く天橋立に入る。「こんないいところを足早に通り過ぎたらもったいない」とゆっくり行く参加者もいる。筆者も同感だが、一方ではある程度リズミカルに歩かないと長距離を歩き通せない。いつものことだが、そのバランスが難しいところだ。

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写真①=廻船橋を渡る大会旗
写真②=天橋立の松並木の中を行く

 天橋立を渡ると府中地区。元伊勢籠神社でお浄めをいただいてから、成相山中腹の傘松公園まではリフトかケーブルカーで上る。約30人が並んでいたリフト乗り場で10分ほど待って傘松公園に着くと、渡ってきたばかりの天橋立が斜め一文字に眼下に見えた。この景色が見たかった。

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写真①=元伊勢籠神社に参拝
写真②=リフトで傘松公園に登る

 だがまだ成相寺のある成相山の5合目程度にすぎない。長い登りに「こんな高いところにお寺を造る意味があるのかなあ」と話す参加者もいる。コースは成相寺本堂をバイパスしているのだが、多くの参加者はせっかく来たのだから」と最後の石段を登りお参りしていた。バスでやってきた一般客も多く、石段は結構混雑していた。

 寺の参拝を済ますとアスファルトの急な下り坂が続く。ノルディックのストックを後方に突いてバランスを取りながら、やや後傾姿勢で骨盤から突っ込む感覚で一気に下りる。下りたところが丹後郷土資料館。ここがチェックポイントで宮津市連合婦人会の女性がうどん一杯300円で販売し、多くの参加者が買い求めていた。シフォンケーキは250円だった。

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写真①=これが見たかった。傘松公園からの天橋立展望
写真②=宮津市連合婦人会によるうどんの販売

 ここからは阿蘇海を一周に入る。日差しは強いが快適な水辺ウオークが続く。阿蘇海西部は与謝野町域。旧岩滝町役場だった与謝野町役場のすぐ近くを通る。丹後地域の合併論議では岩滝町が宮津市に付く選択肢もあったのだが…。

 北近畿タンゴ鉄道(KTR)岩滝口駅近くの吉津公民館で最後のチェックを受ける。水辺には快適そうな東屋もあるが、早くゴールして楽になりたいとの思いから、足を止める気にならない。

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写真①=参拝者でにぎわう智恩寺
写真②=大会スタッフの出迎えを受けてゴール

 天橋立南端の文殊地区に着く。土産物店の並ぶ間を、観光客をかき分けるようにして智恩寺に着く。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉があるが、その文殊菩薩を祀る。日曜とあって人が多いが知恵にあやかろうというのか、若い人の姿が目立った。往路と同じ旅館街の裏手の水辺を通ってゴールの島崎公園を目指す。
  1. 2014/09/29(月) 22:39:28|
  2. ウオーキング
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第23回天橋立ツーデーウオーク第1日

2014年9月27日(土)22キロ 快晴
場所 京都府宮津市
コース 島崎公園~雪舟観公園~田井ヨットハーバー~魚っ知館~宮津運動公園~島崎公園

地元の熱意、大会の命脈は保たれた

 天橋立ツーデーウオークは今回で23回目。近畿では11月の加古川ツーデーマーチに次いで長いというが、その歴史には曲折ある。昔は「丹後天橋立ツーデーウオーク」と称し主会場の宮津市のほか丹後地域10町が協賛していた。その間、天橋立から遠い自治体から波及効果が乏しいと不満が出て、2000年ごろ3年間限定で竹野郡網野町(現・京丹後市)に主会場を移したこともあった。

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写真①=22キロコースのリーダーとアンカーを務めた北京都ウオーキング協会のみなさん
写真②=雪舟観展望台へは多くの鳥居をくぐって行く

 当時は両日とも最長40キロのコースが用意されていた。だがコースの一部を成した中郡大宮町は丹後半島を形成する他の5町と合併して京丹後市になった。また与謝郡4町のうち岩滝、野田川、加悦の各町が宮津市との合併に背を向けて3町で与謝野町となった。

 単独で残った与謝郡伊根町は運営に協力し、バス輸送による伊根→宮津の40キロ片道コースが数年間催されたが、4年前に一旦、京都府ウオーキング協会(KWA)を通して大会の廃止が伝えられた。自治体間の確執があったのか、それが大会に影を落としたかどうかは分からない。

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写真①=雪舟観展望台からの天橋立は意外と平板だった
写真②=田井ヨットハーバーでお茶の接待

 ところが大会は一転、宮津市の単独開催として続いた。だがその分規模は小さくなった。昨年の最長コースは22キロだったが、距離を歩きたいとの希望が多かったのか、ことしは30キロに伸びた。主会場は宮津湾沿いの島崎公園で昔から変わらないが、ステージは小ぶりになり、出発前のストレッチ指導もはエアロビインストラクター風の女性から市の体育指導員を務める年配の男性に代わった。

 華やかさは格段に落ちたが、限られた人員と予算で運営しなければならないスタッフの努力と熱意を感じる。心からの感謝の意を表したい。

 新生・天橋立ツーデーウオークになってから、初日は東部の栗田(くんだ)半島方面、2日目は西部の、天橋立を含む阿蘇海方面をたどる。今年の第1日22キロコースのリーダーとアンカーは京都府北部を主な活動エリアとする北京都(ほくと)ウオーキング協会の役員が務めた。

 宮津市街地を抜けて、しばらく北近畿タンゴ鉄道(KTR)に沿って行く。栗田半島は狭隘なうえ、山が海岸線に迫っている。多くの鳥居がある石段を登っていくと雪舟観公園に着く。室町時代の画僧・雪舟が描いた国宝「天橋立図」は図柄から見てここから描いたのではないかとされる。石段約100段を登ると展望台になっているが天橋立方面は木々に遮られて見えない。丸太を組んだ約80段をさらに登る。それでも高度が足りないのか、景色としては平板なのが残念だ。

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写真①=急坂を越えて栗田半島の東海岸が見えた
写真②=魚っ知館のチェックポイント

 半島の西岸をさらに北に進むと田井ヨットハーバーがチェックポイント。田井の集落より先は海岸づたいに行けないので、ここから半島の山越えになる。登り坂の連続であごが出てくる頃、ようやく東側の海が見えてホッとしたのもつかの間、さらにアップダウンが続いてから島蔭の集落に下りる。

 関西電力の広報用施設「魚っ知館」が昼食の適地となっていた。今回は大会本部で弁当のあっせんがなかったが、同館が350円でおにぎり弁当を売っていた。おにぎり2個に唐揚げ一切れ付いた簡素な内容だが、ウオーク途中ではこの程度のほうが筆者には望ましい。館内は飲食禁止だったが職員が庭園で食べるよう勧めてくれた。

 この日の予想最高気温は29℃。日差しもあってかなり暑い。最後のチェックポイントの宮津運動公園でお茶の接待を受けて、往路と同じKTR沿いを通り、市街地を抜けて島崎公園にゴール。協賛企業が提供してくれた缶入りの野菜ジュースで乾杯して、完歩を祝った。
  1. 2014/09/29(月) 18:35:49|
  2. ウオーキング
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第2回おごと温泉・びわ湖パノラマウオーク第2日

2014年9月21日(日)20キロ 晴れ時々曇り
場所 大津市、滋賀県守山市
コース 雄琴湖岸緑地~月影公園~琵琶湖大橋~美崎公園~琵琶湖大橋~びわ湖米プラザ~月影公園~浮御堂~衣川緑地公園~おごと温泉観光公園

「湖族の郷」が生んだ琵琶湖哀歌

 二日目になると要領もわかる。同じ時刻のJR湖西線を下りると、急いで改札口を抜け大会の送迎バスに乗り込む。おごと温泉観光公園に着くと、向かいの雄琴湖岸緑地から30キロコースの参加者がスタートしていくのが見える。前日の曇天と打って変わり青空に恵まれた。さわやかな秋空というには幾分暑い。

 出発式のあいさつは小島達雄滋賀県ウオーキング協会(SWA)会長が務めた。ストレッチ体操の指導は大会実行委員長の若吉浩二・びわこ成蹊大教授が担当。昨日に続いて大津市のマスコット「おおつ光ルくん」、おごと温泉のマスコット「おごとん」に加えて、この日は和歌山県から「きいちゃん」も来訪した。教授はゆるキャラ3体に「頭の上で手を組んでください」などと無理難題を言っては参加者の笑いを誘っていた。

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写真①=勢ぞろいしたゆるキャラ。(左から)おおつ光ルくん、おごとん、きいちゃん
写真②=あいさつする小島達雄・滋賀県ウオーキング協会会長(右)。中央が若吉教授

 この日もノルディックのストックを使うので15分早く出発させてくれた。雄琴から堅田へ国道を一路北上する。南北朝時代の武将・新田義貞の愛人だった匂当内侍の墓と堅田内湖を横目に琵琶湖大橋に取り付く。橋の中央の眺望ポイントでは多くの参加者が記念写真を撮っていた。西岸の比良山系、東岸の八幡山周辺を一望できる。

 橋を渡ると守山市。湖岸の浜辺では地元の速野学区がハマヒルガオを育てているが、シーズンオフで花は見当たらなかった。プラネタリウムを併設しているホテル「ラフォーレ琵琶湖」を過ぎ、湖畔のなぎさ公園の松林でSWAスタッフからチェックを受ける。

 帰路は再び琵琶湖大橋を渡り、堅田の古い街並みを歩く。堅田は中世から近世にかけて琵琶湖を支配した堅田衆の根拠地だ。延暦寺や下鴨神社に税を納める一方、寺社の勢力を支えに湖上を行き交う船から通行料を徴収した。だが織田信長の延暦寺焼き討ちと明智光秀による近江支配で力をそがれた。そのような歴史を持つことから「湖族の郷」をキャッチフレーズにしている。

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写真①=琵琶湖大橋上から比良山系を望む
写真②=第2チェックポイントは琵琶湖岸の松林の中

 堅田は琵琶湖哀歌」の作詞者・奥野椰子夫の生誕地でもある。歌詞を記した碑が橋のたもとに立っていた。メロディーが流れるらしいが、知らなかったので素通りしてしまった。

  遠くかすむは 彦根城
  波に暮れゆく 竹生島
  三井の晩鐘 音絶えて
  なにすすり泣く 浜千鳥

 1941(昭和16)年4月、金沢市の旧制第四高等学校漕艇部が琵琶湖の大津~今津間で遠漕中、萩の浜沖で折からの強風にあおられて転覆。クルー11人全員が死亡した。「琵琶湖哀歌」は4番まであり、琵琶湖の名所旧跡を詠み込んでいる。悲劇からあまり時間をおかず、全国を風靡したという。

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写真①=浮御堂が見えてくる
写真②=浮御堂向かいには湖魚料理の店があった

 湖岸に沿って行くと湖の中にお堂が突き出ているのが見える。浮御堂だ。金網があって直接は入れない。いったん湖岸を離れ一般道に面して入口がある。入場料は300円。ウオーキング中とあってそこまでの観光はしない。

 浮御堂の向かいにはお土産用の湖魚の店があり、炊き込んだゴリや子持ちアユなどを売っていた。醤油で飴色に炊き込んであり食欲をそそられた。

 最後の行程はつらいが、沿道で立ち番を務めるびわこ成蹊スポーツ大学生からのあいさつを励みにやっとゴール。午後1時前で快調なペースを刻むことができ前日に続いて堅田の銘酒「浪の音」の試飲で祝杯をあげた。

 大会の参加は前日が1430人でこの日は506人。前日に大津市スポーツ少年団の約900人が10キロコースに参加したのを除けばほぼ同じだが、4コース合わせての人数なのでやや寂しい。お世話になったおごと温泉観光協会や関連の企業、団体のためにも、5月の「びわ湖長浜ツーデーマーチ」と並ぶ滋賀県の2大大会として発展していくことを望んでやまない。
  1. 2014/09/21(日) 19:02:23|
  2. ウオーキング
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第2回おごと温泉・びわ湖パノラマウオーク第1日

2014年9月20日(土)曇り 20キロ
場所 大津市
コース 雄琴緑地公園~若宮神社~唐崎の松~大津びわこ館~近江神宮~日吉大社~石積公園~おごと温泉観光公園

光秀・人麻呂・最澄…古人訪ねる近江の秋

 秋になると週末のたびに日本各地でツーデーマーチが目白押しだ。筆者にとっての第1戦は「おごと温泉・びわ湖パノラマウオーク」。昨年から始まった若い大会で、おごと温泉観光協会と滋賀県ウオーキング協会(SWA)などが実行委員会を作り運営に当たる。

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写真①=出発式であいさつする越直美・大津市長。後方は金子博美会長と八田憲児大津市議
写真②=山崎での敗戦後に明智光秀が目指してたどり着けなかった坂本城跡

 スタート会場の雄琴湖岸緑地公園はJRおごと温泉駅から徒歩20分程度かかる。駅を降りると案内の女性が「バスにどうぞ」と勧めてくれた。だが温泉旅館の送迎用なので多くは乗れない。筆者の前の人で満席になった。後方の男性が「立って乗っていいか」と尋ねて断られていた。「バスは10分ほどしたらまた来ますから」とは言われたが、あきらめて歩いた。

 琵琶湖岸の雄琴緑地公園が出発式会場だ。越直美・大津市長と金子博美・おごと温泉観光協会長が開会あいさつ。運営に協力しているびわこ成蹊スポーツ大学の学生のリードでストレッチ体操を行ったが掛け声のリズムが速すぎた。高齢者やそれに近い年齢の参加者には速い動きは難しくなっている。世代の差を感じる瞬間だった。

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写真①=唐崎神社からは対岸の三上山がくっきり見えた
写真②=柳ヶ崎の湖岸にあった柿本人麻呂の歌碑

 ノルディックウオーク用のストックを持って行ったのが幸いした。「ノルディックの人は先に出発してください」とのアナウンスがあった。集団に巻き込ると周囲に危険でストックが使えない。そのための配慮だろう。指導員風のオレンジのベストを着た人に続いて20人ほどがスタートゲートに向かったのでその後を追う。

 しばらくは国道を行くがやがて昔ながらの集落に入っていく。寺の前を通ると由緒を示す駒札が目に入る。元亀年間、織田信長の比叡山焼き討ちの際、ふもとの坂本一帯も焼かれたらしい。明智光秀の居城だった坂本城跡の石柱があった。

 唐崎神社に入っていく。鳥居と社殿の奥には琵琶湖が広がる。湖の神様を祀っているようだ。「近江八景 唐崎の夜雨」の碑があり対岸には近江富士・三上山がくっきり見えた。

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写真①=チェックポイントのあった大津びわこ館
写真②=近江神宮の社殿までは遠そうだったので前を通過した

 柳が崎の公園に入る。ウオーキングのためかどうか分からないが直前に草を刈った形跡があった。このあたりは昔は車で湖岸まで入れたが、バーベキューをする人がひっきりなしに訪れ、騒音やごみなどで隣接する高層マンションから苦情が出たらしい。今は車止めが設置され入れない。地元の人らしい参加者がそんな話をするのが聞こえてきた。園内には柿本人麻呂の歌碑があった。

  淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのにいにしえ思ほゆ  柿本人麻呂

 大津びわこ館でチェックポイント。「近江神宮はこの先まっすぐです」と立ち番のSWAスタッフが緩やかな上り坂を指し示した。コースは門前を右折し神社内には入らない。お参りしようかと思ったが本殿まで遠そうなので諦めた。

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写真①=鳥居をくぐってゆくと日吉大社の本殿に向かう
写真②=生源寺の伝教大師幼形像

 しばらくは京阪電鉄石坂線を右に見ながら行くが左に入り登りになる。快調に飛ばしてきたが行程の4分の3を過ぎてさすがに疲れてくる。 伝教大師最澄が彫ったという石地蔵を安置する地蔵堂が建つ四つ角に出る。左は比叡山延暦寺への登り道。まっすぐ鳥居をくぐれば日吉大社参道だ。コースは右に折れて坂本の中心部を通り抜ける。

  左手に最澄の生誕の地とされる生源寺がある。境内に入り伝教大師幼形像にお参りする。寺の向かいには「日吉そば」、「鶴喜そば」の2件のそば屋がある。どちらも有名で、昼時とあって入りきれない観光客と思しき人がが店の前に数人いた。昔、京都駅前のヨドバシカメラが京都近鉄百貨店だったころ、7階の食堂街に鶴喜そばの支店があったのだが…。

 石積みの巧みさで有名な穴太(あのう)衆の里・穴太もこの近くだ。その石垣が残る石積公園がチェックポイント。住宅地の中を一路ゴールに向かう。

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写真①=伝教大師最澄の生誕の地とされる生源寺
写真②=堅田の銘酒「浪の音」をふるまうびわこ成蹊スポーツ大の学生

 ゴールのおごと温泉観光公園では、堅田の造り酒屋「浪の音酒造」が同名の酒を樽で提供し、無料で試飲させてくれていた。禁酒している身も忘れ、2杯いただいてしまった。店番の大学生は「お好きなだけ飲んでください」と言ってくれて、酒盛りさえできそうな雰囲気だった。隣のテントではそばめしやフランクフルトを売っていて、つまみにピッタリだったのだが…。

 滋賀県西北部の高島市には五つの蔵元がありそれぞれ「竹生島」「琵琶の長寿」「松の花」「不老泉」「萩乃露」の銘柄で出している。いずれもまろやかで口当たりが良いのが特徴だが、「浪の音」も同じ湖西の風土が生んだだけあって、それらに勝るとも劣らない。さまざまな意見はあろうが、筆者は「日本酒は滋賀に限る」と確信している。
  1. 2014/09/20(土) 20:56:48|
  2. ウオーキング
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