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京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

御着城址~黒田官兵衛シリーズ②(神戸ウオーキング協会2月例会)

2月22日(土)12キロ 晴れのち曇り
場所 兵庫県姫路市
コース JR御着駅~御着城址~壇場山古墳~播磨国分寺跡~JR京口駅~寺町~播磨総社~大手前公園~JR姫路駅

主家は滅び、黒田は残った

 神戸ウオーキング協会は2014年春、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にちなんで、黒田官兵衛が前半生を過ごした姫路市を舞台に3回のシリーズウオークを行う。この日は2回目。官兵衛の主君・小寺政職の居城だった御着城址がコースの中心だ。

 JR山陽本線御着駅近くのグラウンドが集合場所。午前10時が近づくにつれて参加者が集まってくる。出発式ではこの日のリーダーがコースの概略を説明。「御着城址には兵庫県で一番古い石橋があります。元はあそこに架かっていました」とグラウンド横を流れる天川(あまかわ)の白い橋を指し示した。

 歩き出して600mほどで、早くもお目当ての御着城址に着く。御着城は茶臼山城、天川城とも呼ばれ、播磨守護赤松氏の家臣・小寺氏の居城だった。永正16(1519)年に小寺政隆が築城。則職、政職と継承され、天正6(1578)年か7年に羽柴秀吉の播磨侵攻で滅亡したとされる。

 2月16日放送のNHKドラマ軍師官兵衛第7回「決断のとき」では、織田信長の播磨伸張を前に、西の毛利にとどまるか東の織田の勢いに賭けるかで、小寺氏配下の領主が御着城に集い評定を行った。官兵衛(岡田准一)の意見が通り織田につくと決まるが、小寺政職(片岡鶴太郎)は密かに「いざとなればあの男に責任を執らせればいい」と突き放した。滅びを予兆する場面だった。

 発掘調査では、御着城は14世紀後半から16世紀後半まで存続し、16世紀半ばに大・中型の堀や土塁が築かれ本格的な縄張りが行われたことが分かっている。西では毛利氏による中国地方統一の動き、東では織田信長登場に先立つ群雄割拠があり、生き残りに努めた小寺家の苦心がしのばれる。

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写真①=御着城址に到着
写真②=黒田官兵衛顕彰碑にカメラを向ける参加者

 本丸跡には姫路市役所東出張所、御着城公園、御国野公民館がある。出張所も城郭風の造りだ。広場の一角には黒田官兵衛顕彰碑があり、参加者が盛んにカメラを向けていた。

 隣接する黒田家墓所には官兵衛の祖父・重隆と生母の明石氏を祭る五輪塔2基が立つ。ちなみに父・職隆の墓所は同じ姫路市内の妻鹿(めが)にある。秀吉の播磨進駐時に、官兵衛が姫路城を秀吉に提供し、自らは父とともに妻鹿の国府山(こうざん)城に移ったためだ。後に子・黒田長政が筑前・福岡の大名となったので、どちらの墓所も「チクゼンサン」と呼ばれるという。

 本丸跡の裏手には兵庫県最古と言われる石橋・天川橋があった。姫路藩が文政11(1828)年に旧西国街道の天川に架けた総竜山石製の太鼓橋。長さ26.6mで幅4.45m。昭和47(1972)年の出水で橋脚が崩れたので撤去。53年10月に現在地に移設保存された。

 コースは大回りして天川橋を渡るのだが、渡らない人もおり「ショートカットしないでください」と協会スタッフから注意を受けていた。

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写真①=黒田家墓所。官兵衛の祖父・重隆と生母・明石氏を祭る
写真②=石橋は天川に架かっていたものを移し保存した

 約1キロ歩いて壇場山(だんじょうざん)古墳に着く。全長143m。兵庫県で2番目に大きい前方後円墳という。公園整備など人の手があまり加えられておらず、古墳そのままの雰囲気を味わえるのが特徴。参加者はまばらな雑木林の間を登り、墳丘の上を一回りした。

 播磨国分寺跡はほど近い。天平13(741)年に聖武天皇の詔によって建てられ、七重塔、金堂、講堂など壮大な伽藍があったというが今は更地。所々に中門や南門などの場所を示す表示があった。

 記念撮影を行ったが人数が多いので4回に分かれた。
 
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写真①=壇場山古墳の墳丘上を巡る
写真②=播磨国分寺跡で記念撮影

 JR山陽本線の踏切を渡る。「新幹線の踏切がある」とリーダーが話したので注目していたが、新幹線はもちろん高架上を走っていた。ただ上下線とも高架から地表まで線路がつながり、列車一編成が待避できるようになっていた。踏切は待避線を横切っていたので「珍しい新幹線踏切」との触れ込みに偽りはなかった。

 旧西国街道などを通って、JR播但線京口駅で昼食休憩。駅の両側に公園があり、東口は戦災の慰霊碑、西口には昭和末の区画整理事業で消えた壱丁町、鋳物師町、上久長町、下久長町、天神町、西神屋町の六つの旧町名の記念碑があった。京口という駅名と合わせて城下町の雰囲気を色濃く伝えてくれる。

 参加者は277人との発表があった。官兵衛人気からすれば「意外と少ない」という気がした。京都から姫路までJRで片道2210円、大阪からだと1450円。金券ショップを使えばより安く行けるが、それでも馬鹿にならない額ではある。電車代を惜しんだ人もいたのだろう。だが、官兵衛を深く知るには姫路市を避けては通れないというのが、今回参加した筆者の感想だ。

 シリーズ第3回は3月29日(土)の開催で国府山城址を巡る。「先着300人にはバッジを用意します。ぜひ来てください」とスタッフが宣伝に努めていた。翌30日には京都府ウオーキング協会でも軍師官兵衛シリーズ第2回を催す。強行軍の週末になりそうだ。

 生野の鉱山で掘り出した銀を飾磨の港まで運んだ「銀の馬車道」を横断して、寺が建ち並ぶ寺町を通る。戦災で大被害を受けたらしく、京都の寺町に比べて新しい建物が目立った。

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写真①=播磨総社で出会った新郎新婦。ウオーカーの祝福を受けていた
写真②=播磨総社に参拝するウオーカー

 姫路城の中堀に出ると、気持ちのいい水辺ウオークが始まる。播磨総社こと射楯兵主神社に着いた。入り口では礼装をしたカップルをカメラマンが撮影している。結婚式直後なのだろう。すれ違うウオーカーからも盛んに「おめでとう」の祝福が寄せられた。境内は鮮やかな朱塗りで華やいだ雰囲気。黒田官兵衛のスタンプラリーのポイントになっている。スタッフか一般参加者か分からないが「どうぞ押していってください」とスタンプを仲間のウオーカーに勧めていた。

 播磨総社に参拝してから姫路城の大手前公園に向かう。ここがゴールだ。姫路城の天守閣は工事中で入れないが観光客の出足に影響はないようだ。駅に続く道沿いの土産物店や飲食店はいずれもにぎわっている。「軍師官兵衛」に関する資料などを展示するNHKドラマ館に向かう矢印があった。時刻はまだ午後1時半過ぎ。「ちょっと寄っていきましょうか」と誘い合って見に行くウオーカーの姿があった。
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  1. 2014/02/22(土) 17:33:35|
  2. ウオーキング
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