京都駅前つれづれ通信

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第30回瀬戸内倉敷ツーデーマーチ第1日 瀬戸大橋コース

2017年3月11日(土)快晴 40キロ
場所 岡山県倉敷市
コース 倉敷市役所~粒江小学校~熊野神社~五流尊瀧院~児島市民交流センター~下津井公民館~鷲羽山ビジターセンター~JF岡山漁連ふゅーちゃー

塩業や回船問屋に見る栄華の跡

 しばらくウオーキングを休んでいた。少し前に再開したばかりだ。40キロは自信がなかった。だが倉敷ツーデーの初日は「児島、下津井を巡る瀬戸大橋コース40キロこそ値打ちがある」というのが筆者の考えだ。現在の倉敷市は旧倉敷市、児島市、玉島市の3市が合併して発足した。このコースは旧倉敷から旧児島市の中心部を経てさらに南の下津井半島に足を伸ばす。塩業や回船による中継貿易の拠点として江戸時代から栄えた児島市域は、天領であった旧倉敷とは違った顔を持つ。無理をしてでも40キロにエントリーしたい。

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写真①=海産物を販売していた郷内婦人会のみなさん
写真②=承久の変で当地に流された頼仁親王の歌碑

 出発式では日本ウオーキング協会の堀野正勝会長が主催者あいさつ。「多島美を味わえるコースです。早く歩くことも大切ですが自然や文化をゆったり味わってください」と語った。多島美が味わえるのは下津井半島に入ってからなので25キロを過ぎてからになる。完歩できればいいが、とりあえず昼食場所に指定さえている児島市民交流センターを目指し、余力があれば下津井を目指すことにしてスタートした。

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写真①=児島のメインストリートには「ジーンズストリート」の表示があった
写真②=野崎家住宅の中にある茶室

 午前7時のスタートとあって真横から陽ざしを浴びる感覚だ。粒江小学校では立ち止まる人は少ない。10キロコースの分岐となる分岐を左に折れて間もなくの場所に能「藤戸」で有名な藤戸寺があるのだが。塊になって歩く感覚だ。20キロコースとの分岐が熊野神社。今年も地元の郷内婦人会のみなさんが海産物などの販売をしていた。ここは20キロコースの昼食場所で、振る舞いの汁物をどう婦人会が担当しているのだが、まだ9時台なので会場のテントは閑散としている。

 熊野神社の隣が五流尊瀧院。もとは一つの寺だったのが明治の神仏分離で分かれたのであろう。後鳥羽上皇の子で承久の変でこの地に配流された頼仁親王の歌碑もあった。太平記に登場し、著者の小島法師と同一人物との説もある児島高徳の出生地もこのあたりということだった。

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写真①=野崎家の台所では70人分の食事を作った。赤い服の人がボランティアガイドさん
写真②=高さ80センチもある享保雛
  
 児島はデニムの産地。江戸時代の組みひもづくりの技術が近代になってジーンズなどのデニム製品に生きたといわれる。目抜き通りの商店街にはジーンズだけで30軒ほどが店を連ねる。頭上には英字で「児島ジーンズストリート」の旗が掲げられていた。

 「ツーデーに参加の方は無料ですからどうぞ」と野崎家住宅の案内係の人が招き入れてくれた。野崎家は江戸時代後期に発祥し塩業で財を成した。母屋は天保年間の建築で縦に9部屋、長さ42メートルある。その横には玄関と客間とを合わせたほぼ同じ長さの棟が幕末の嘉永年間に建てられた。

 倉敷市では市民ぐるみで「倉敷雛めぐり」というイベントが開催中。それにタイアップして、ひな人形が多数飾られていた。圧巻は展示室の「享保雛」。岡山藩主の池田家から野崎家が拝領した。冠までで高さ80センチもある。享保は江戸中期、8代将軍吉宗の時代の年号。制作後300年経ったことになる。

 裏手は食事を作った部屋があった。70人分。氷を入れて冷やす大正時代の冷蔵庫。野崎家の当主は昭和5(1930)年までここに住んだので大正時代の家財道具が多いらしい。「野崎」の文字が入った提灯があった。暴風の際に提灯を振って沖の船に合図して位置を知らせたという。赤い服のボランティアガイドさんが説明してくれた。

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写真①=暴風時に沖の船に位置を知らせる合図を送った暴風提灯
写真②=カキを入れたふるまいの汁物は正午過ぎにはなくなった

 ゆっくり見学したので11時半を回ったが、昼食会場の児島市民交流センターは目と鼻の先だ。着くと長蛇の列ができていた。チェックポイントでもあるので証明を受ける列かと思ったが、汁物のふるまいを待っている列だった。チェックを受けてスタート前に注文しておいた弁当を受け取り、汁物は諦めて休憩する。

 コースによって汁物の振る舞い場所が分かれているのもこの大会の特徴だ。児島のセンターには毎年下津井の女性が担当し自宅近くの海でとれたカキとサワラ入りの味噌汁を作る。「もう何年やっているか分かりません」とのことだった。正午過ぎには味噌汁も底をついた。

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写真①=往時の栄華を今に伝える「まだかな橋跡」の碑
写真②=下津井港の近くで海産物を売っていた

 漁船が船腹を寄せ合う下津井漁港に橋の欄干と「まだかな橋」の碑があった。不思議な名前が気になりながらも通り過ぎたが、少し歩いた「むかし下津井回船問屋」で謎が解けた。回船の中継交易でにぎわった江戸時代、遊郭の老婆が舟人に「上がるのまだかな」と声をかけたのが語源らしい。下津井には1957(昭和32)年の赤線廃止令まで10軒以上もの遊郭があったというから、相当な人の行き来があったのだろう。

 下津井は現在は漁師町だけに海産物の即売の店があった。女性二人が店番で、年配のほうの方は米寿とのことだった。

 自動車道を歩く。やがて右側にピンク色の下電ホテルを目印に、左側の石段を登る。石段は約280段。35キロ以上歩いてきた後だけに周囲から悲鳴に似た声が上がる。登りきったところの鷲羽山ビジターセンターは最後のチェックポイント。中からは休みながら瀬戸内の風光を楽しむことができる。

 鷲羽山が観光名所となったのは昭和初期。瀬戸内国立公園制定に合わせてのことらしい。徳富蘇峰らもその眺望をほめたたえており、今は亡き下津井電鉄が鷲羽山駅を新設しアクセスの便を確保した。同電鉄の線路跡は風の道という名のウオーキングロードとして整備されている。その道をたどりながらゴールへと向かう。
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  1. 2017/03/12(日) 21:21:37|
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