京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

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戦国三武将ゆかりの地を歩く(京都府ウオーキング協会6月例会健脚コース)

2015年6月21日(日) 23キロ 晴れ時々曇り朝方に小雨
場所 京都市下京区、東山区、左京区、中京区、上京区、北区
コース JR京都駅~西本願寺(豊臣秀吉)~東本願寺(徳川家康)~豊国神社(豊臣秀吉)~知恩院(徳川家康)~二条城(徳川家康)~旧二条城址(織田信長)~京都御苑堺町休憩所~阿弥陀寺(織田信長)~大徳寺(3人)~建勲神社(織田信長)~北野天満宮(豊臣秀吉)~JR円町駅

西は「ひでよしさま」 東は「いえやすさま」

 朝6時ごろ、激しい雨音に目が覚めた。至近距離で落雷もあったようだ。ウオーキングは無理かとテレビの天気予報チャンネルを点けると、雨雲の帯が京都盆地から滋賀県方面に抜けていくところだった。次の帯が兵庫県を南北に覆っているがその西には雨雲はない。遅くとも正午までには上がるだろうと読み、参加を決めた。

 集合場所の京都駅前広場東側には、細かな雨が降り続いている。そのせいか参加者は普段より少な目だ。赤い羽織を着て豊臣秀吉に扮したコースリーダーが「屋根のあるほうへ入ってください」と案内し、そこで出発式を行った。この日は戦国時代の掉尾を飾る3武将、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の京都におけるゆかりの場所を訪ね歩く趣向だ。

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写真①=観光客でにぎわう西本願寺
写真②=東本願寺は門の修理中。南方に京都タワーと京都駅ビルが見える

 歩き出した途端雨は止んだ。コースはまず西へ迂回し西本願寺を訪ね、次に京都駅から北へ至近距離の東本願寺に戻る。室町時代の蓮如の時代に一大武装勢力となった浄土真宗は、戦国時代には大阪・石山に本拠を置いて天下布武を目指した信長に対抗した。泥沼化した戦の凄惨さに、信長方の大将・荒木村重は嫌気がさし謀反を起こしたと、2014年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に描かれていた。

 やがて朝廷の仲介で和睦が成立する。石山から退去した本願寺教団は、本能寺で信長が横死した後、天正19(1591)年に秀吉から顕如の三男で和睦派の准如が京都・六条堀川の地を与えられた。わずか11年後の慶長7(1602)年、家康は滋賀県長浜市の五村別院にいた長男で強硬派の教如を取り込み東六条に寺地を与えた。西と東の本願寺分立だ。強大な教団を分割支配する意図があったのだろう。

 東本願寺は西本願寺から分家する形でできたので、宝物の多くは西に残ったと、梅原猛氏の著書にあったように覚えている。

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写真①=秀吉を祭神とする豊国神社に入る
写真②=「国家安康」の文字が刻まれた方広寺の鐘楼

 建立時のいきさつもあって、幕末になって東は佐幕、西は勤王と路線が分かれた。勤王の志士の取り締まりに当たった新選組が西本願寺を屯所にしたのは、勤王派の拠点に乗り込み牽制する意味があった。

 下って昭和30年代の話だ。東本願寺向かいの門前町内に「おしゃかさま、しんらんさま、れんにょさま」という看板が出た店があった。恐らく経典など仏教関係の書籍を扱う店で、子供向けの本も置いていたのだろう。東本願寺が今も全国の末寺を通じて多数の檀家を抱えていることを思えば、筆者としては建立の恩人である「いえやすさま」も看板に付け加えたい気がしている。

 さらに下ってバブル経済爛熟期の平成2(1990)年だったと思う。京都市中心部では地上げ屋が横行し、億ションと呼ばれる高級マンションが乱立した。京都駅前の塩小路通りから数十メートル北の七条通りにかけて材木町と呼ばれる狭隘な民家の密集する地域があった。地上げ屋は家屋の所有者だけでなく借家権の持ち主に対しても大枚はたいて個別撃破したのだろう。通りかかるたびに取り壊された更地が増え、軒続きの家がなくなって青いビニールで雨露をしのいでいた陋屋が目立った。

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写真①=知恩院の門を出て再び市街地へ
写真②=二条城入場券の購入に列

 民家の取り壊された更地の路地を歩いていると背広姿の男に誰何された。マスコミの人間と思われたらしい。何が建つのか聞いたらホテルだといった。腹の探り合いである。その後時代は不動産融資への総量規制などバブルつぶしへ動いた。地上げは完了し材木町は消滅したが、ホテルは結局建たなかった。今も駐車場になったままだ。

 地上げの波が七条通りを越えて北上するのではないかと気になった。だが職場の事情通の先輩は「東本願寺の門前町に当たるから大丈夫だ」と保証してくれた。広大な寺地が大規模開発を阻むから、との理由だったが、京都では大寺院が隠然たる力を持っている事情もあったのかもしれない。いずれにしても七条以北では、店主の高齢化による店舗の廃業など個別の事象はあったが、共同体を破壊するほどの地上げの波は来なかった。

 東本願寺は門の工事中なので立ち入らず、同寺の庭園・枳殻邸の北側から鴨川に架かる正面橋を渡ると、真東に豊国神社が見えてくる。秀吉を祭る豊国神社は徳川幕府崩壊後の慶応4(1868)年の建立。中には大阪の陣の発端となった「国家安康」の文字の入った釣鐘があった。

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写真①=今は碑だけが残る信長の旧二条城
写真②=「参加者は130人です」と発表があった

 建仁寺近くの高級料亭街から知恩院に向かう。女坂と呼ばれる坂道を登り休憩所で一休み。雨が上がって日差しが相当強くなっている。

 知恩院は鎌倉仏教の一つ、浄土宗の総本山だが、現在のような広大な伽藍を有するようになったのは慶長13(1608)年から後、浄土宗徒でもあった家康による寄進を受けてからだという。

東山山麓の知恩院から西に向かい二条城に至る。東西ジグザグにたどりながらだんだん上がっていくのがこの日のコースの特徴だ。二条城は京都における徳川幕府の拠点として築かれたが、それに先立って信長が築いたのが旧二条城。室町幕府15代将軍の足利義昭のために永禄12(1569)年に建てたが、義昭追放後に取り壊し、資材は安土城建設に流用したという。平安女学院の一角に碑が残っていた。

 京都御苑に入り堺町休憩所近くの木漏れ日の中で思い思いに弁当をとる。参加者130人との発表があった。朝方の雨で諦めた人が相当数いた模様だ。出発の際にコースリーダーは「織田がつき羽柴(秀吉)がこねし天下餅 座りしままに食うは家康」の有名な狂歌を紹介し、「家康のようにおいしいところだけ持っていく輩はどこの組織にもいます」と言って参加者を笑わせていた。

 京都御苑から北東の出町商店街近くにある阿弥陀寺を目指す。本能寺の変の後、同寺の住職で信長と親交のあった清玉上人が、20人ばかりの僧を引き連れ焼け跡から遺体を探して寺に埋葬したという。信長、信忠父子のほか、森蘭丸ら近侍の墓もあった。

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写真①=阿弥陀寺の信長の墓に参る
写真②=建勲神社で最後の列詰め休憩

  寺町通り、鞍馬口通りを経て大徳寺に着く。23キロという例会としては長距離なので、このあたりでは足元のおぼつかない人もいたようだ。大徳寺には多くの塔頭寺院があり、ゆかりを持つ戦国武将は石田三成や細川忠興ら3人以外にも多い。2014年2月に急逝した直木賞作家の山本兼一氏は、同寺のある鳳徳学区の出身。寺を歩いてイメージを膨らませたことが「火天の城」「利休にたずねよ」などの文学に結実したのだろう。

 明治政府が信長の天下統一に向けた功績をたたえ祭神として祀ったのが建勲神社。豊国神社もそうだが信長、秀吉の復権によって幕府の消滅とご一新を印象付けたかったのであろう。ここで最後の列詰め休憩をとった。コースリーダーが「空模様が覚束ないのでアンカーを待たずに出発します」と告げたところ、「雨が降り出すのとゴールするのとどっちが早いかやなあ」と参加者の一人がつぶやいていた。

 秀吉が大茶会を開いた北野天満宮を経て円町駅でゴール。幸い夜になるまで、再び雨の降ることはなかった。
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  1. 2015/06/21(日) 19:39:53|
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