京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

第25回加古川ツーデーマーチ第1日 水と緑、自然を歩く40キロ

2014年11月8日(土)37キロ 曇り
場所 兵庫県加古川市
コース 中央会場(加古川市役所前広場)~加古川市防災センター~水管橋~権現ダム~円照寺~安楽寺~志方八幡神社~観音寺(志方城址)~長楽寺~常楽寺(神吉城址)~ウエルネスパーク~升田会館~称名寺(加古川城跡)~中央会場

名物の味は売り切れ 日暮れて道遠し

 前年の西北コースは20キロに参加し、数々のおもてなしを受け楽しい一日を過ごした。ことしは40キロに挑むことにした。加古川市の中でも最北に位置する志方町を回る。2014年にNHK大河ドラマで「軍師官兵衛」の放映により、主人公・黒田官兵衛の妻・光姫の生まれ故郷として注目を浴びた土地でもあり、一度は訪ねたいと思ったからだ。

 京都から通いで参加するため、40キロに間に合うためにはJR京都発5時20分発の快速電車に乗る。それでも7時からの出発式は間に合わない。JR加古川駅から市役所まで10分少々歩いて、受付を済ませてゼッケンを装着し、スタートチェックを済ませた時には7時40分を回っていた。健脚自慢の参加者はほとんど出発済みで独自の歩行を強いられ、後述のようにこの出遅れが最後まで響いた。

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写真①=振る舞い第1号はことしもたこせん。
写真②=一杯100円のまちこんうどんに舌鼓を打つ。

 街並みを抜けて防災センターの角を鋭角に曲がり加古川河川敷に入る。青いアーチの連なる水管橋の手前が第1チェックポイント。ことしも隣り合う二つのテントでファミリーサポートセンターがたこせん、兵庫県自動車整備協会加古川支部がジュースなどの飲み物で迎えてくれた。

 橋を渡って間もなく20㌔コースとの分岐点。ここからは筆者にとって未知の領域だ。農村風景の中を歩いて権現ダムに着いた。市職員とボランティアの人が「まちこんうどん」を販売していた。一杯100円。天かすがたくさん入っているのが特徴だ。堰堤を渡ってダムの南側を四分の一周ほどしてから円照寺に向かう。前も後ろも人がいないといささか不安になってくる。

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写真①=円照寺では歴史ボランティアの皆さんが紙芝居の上演
写真②=「やさしく撞いてください」とあった円照寺の梵鐘

 志方町では戦国時代の史跡が次々登場する。円照寺の梵鐘は豊臣秀吉が中国平定の戦いで、山口県の上野八幡宮の鐘を陣鐘として使い、帰京の際にこの地に置いたと伝えられる。「500年使われた鐘なのでやさしく撞いてください」の張り紙があった。

 志方歴史ボランティアの会の皆さんが「城山物語」という紙芝居を上演していた。城山は播磨守護の赤松氏が城を築いた山で、その際、山頂にあった安楽寺はふもとに移されたという。

 展望が開けた高台の志方八幡神社で、ぜんざいの振る舞いがあった。社殿の休憩所に上がらせてもらって景色を楽しみながら舌鼓を打つ。続く観音寺は志方城址。城主を務めた光姫の兄・櫛橋左京進が織田方に攻められ自刃した地でもある。

 織田と毛利の抗争は一直線に決着したわけではない。官兵衛の説得で一旦は播磨を挙げて織田についた。だが別所長治が毛利方に転じたため織田勢は最西端の上月城を放棄するなど戦線縮小を余儀なくされた。「軍師官兵衛」では光姫(中谷美紀)が毛利についた兄の左京進(金子ノブアキ)の説得に行き失敗。官兵衛の父、黒田職隆(柴田恭兵)から叱責される場面があった。二大勢力に挟まれた小領主の過酷な運命を思う。

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写真①=紅葉が色づいていた安楽寺。
写真②=志方八幡神社ではぜんざいの振る舞い。

 長楽寺は「木造地蔵菩薩半跏像」が本尊。秀吉の播磨攻めの際、住職が抱いて身を隠し守ったと言われる。2011年の台風12号禍で本堂が流失し更地になっていた。再建のための募金を募っていた。そんな中でも「寺では今年柿がたくさんとれたましたから、皆さんに食べてもらおうと思いました」と、皿に切って勧めてくれた。甘かった。もう一切れ欲しいと思ったが、石段を降りた後で登り返す気力はなかった。

 西神吉小に入っていった。マップに「ばくだんコロッケ販売中」とあったので楽しみにしていたのだが、筆者が到着する10分前の2時過ぎに売り切れたらしい。やむなく20本ほど残っていたフランクフルトソーセージを150円で買って休んでいると、高校生風の一団が到着して、こちらも間もなく売り切れてしまった。

 ようやく20キロコースとの合流点・ウエルネスパークに到着。まちこん鍋をいただく。昨年に20キロ歩いているのでここからは土地勘があるが、残りまだ7.3キロある。

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写真①=観音寺では光姫の人生を紙芝居で上演していた
写真②=長楽寺の本堂は台風12号で全壊し更地になっていた。

  加古川市東神吉町の升田地区には、今年もユニークなかかしが並んだ。300世帯ほどあるが、かかしを作る人は2、3人に限られる。長く作ってきた女性が先年亡くなった。息子さんは「1年に10体ほど作っていたようです。でも鬼は手間がかかるのか、年2体程度でした」と話してくれた。今年は官兵衛と光姫夫婦も新登場。全部で126体あり普段は升田会館で保管するという。

 升田会館はぜんざいがすっかり名物になっているが、案の定売り切れていた。地区の役員が「甘汁を100円で売っています。いかがですか」と勧めてくれたが、そう言ってくれているうちになくなってしまった。

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写真①=長楽寺では「柿がたくさんとれたので」とウオーカーに振る舞ってくれた。
写真②=ウエルネスパークのまちこん鍋も残り少なくなっていた。

 加古川河川敷に出る。昨年は和太鼓演奏や凧揚げなど祭りでにぎわった場所だが、片づけも終わっている。コース後半はどこも宴の後のさびしさに満ち満ちている。

 本町のチェックポイントでは押印を受ける。この場所はまちづくりグループの焼きそば販売などにぎわったはずだが、すでに店じまいしている。唯一サツマイモスティックの店が店じまいの途中で「食べて行ってください。もう少しですよ」と試食を勧めてくれた。残り1.6キロだ。

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写真①=今年から新登場の官兵衛くんと光姫ちゃん。
写真②=鬼のかかしを作るには1体につき半年かけたという。

 午後4時を回ってだんだん暗くなってくる。「人にはどれだけの土地が必要か」とかいう題のトルストイの民話を思い出す。日の出から日の入りまでに歩いて囲った土地がすべて自分のものになるという話だった。主人公のロシア農民・パホームは、夕方近くなって大あわてで丘の上のスタート地点を目指す。最後の力を振り絞って登り切り、売り手の地主らに祝福されたところで息絶えた。埋葬された土地はわずかに体が入るだけの広さだった。

 パホームの契約を当てはめれば、志方町も神吉町も含め加古川市域のかなりの部分が筆者のものになるわけだから、一歩の積み重ねは馬鹿にならない。

 最後はJR加古川駅近くのメインロードを通り、市役所前広場にゴール。時刻は午後4時40分。あたりはすっかり暗い。にぎやかだったはずの模擬店通りも後片づけが終わりかけていた。早々に退散するしかない。駅に向かう途中、昨年泊まった加古川プラザホテルがあった。予約しとけばよかったなあ。

 翌日は20キロ歩くつもりだったが、すっかり疲れてしまって、京都から加古川までの2時間の道のりが億劫に感じられ、雨模様だったのを言い訳にして不参加を決め込んだ。尻切れトンボの幕切れになってしまった。
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  1. 2014/11/09(日) 11:14:54|
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第37回日本スリーデーマーチ第3日 都幾川・千年谷公園ルート20キロコース

2014年11月3日(月・文化の日)22キロ 快晴
場所 埼玉県東松山市、比企郡鳩山町
コース 中央会場・松山第一小~唐子中央公園~岩殿観音正法寺~埼玉ピースミュージアム~東京電機大理工学部~千年谷公園~東武東上線高坂駅~かかしストリート~中央会場

完歩ならずも 感謝の3日間

 ウオーキング大会の出発場所で参加者に折鶴を手渡してくれることから、「鶴おじさん」として知られる西川恭一さんは埼玉県さいたま市在住。日本スリーデーマーチに訪れる外国人に手渡していたのが始まりだが、日本人のウオーカーにも人気を得て、今は欲しい人には国籍を問わず手渡している。地元だけに今回はご夫婦で折鶴を手渡していた。

 西川さんに影響されたかどうか知らないが、コース上で折り紙の手裏剣やかぶとを外国人に手渡しながら歩いていた児童を見かけた。大会は東松山市の一大イベントであり、一万人を超す参加がある。外国人も数多い。そのもてなしが文化として教育現場に根付いているのかもしれない。

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写真①=鶴おじさんこと西川恭一さんは、地元とあって夫婦で折鶴を配っていた
写真②=岩殿地区の由緒について説明するボランティアガイドさん

 唐子中央公園では地域のお祭りだろうか、多くの店が出て果物や飲み物を販売していた。近くに湯茶の接待もあった。中学生ボランティアらが打木村治の小説「天の園」をNHK朝ドラに採り上げてくれることを求める署名活動を行っていた。

 「天の園」は、明治後半から大正時代、打木が小学校時代を過ごした唐子村(現在の東松山市唐子)を舞台に描かれた全六部の長編小説で三大児童文学の一つと言われる。主人公は、小学校時代の作者がモデルの「河北保」。小学校6年間の成長の過程が学年ごとに1冊ずつ収められる。

 小説には、都幾川や農村の豊かな自然の中で、伸びやかに遊ぶ子どもたちや、その成長をやさしく見守る大人たちがたくさん登場し、地域の人々との交流を通してたくましく成長する様子が情緒豊かに描かれているという。地元のすぐれた文学は、児童らが郷土愛に目覚めるきっかけにもなるであろう。東松山市の児童の幸運を思う。

 筆者は三つのうち「路傍の石」「次郎物語」は読んだが「天の園」は知らなかった。近くに碑があったらしいが気づかず通り過ぎてしまった。

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写真①=古色蒼然とした正法寺の観音堂
写真②=ミュージアム入口付近にあった。松やにを燃料にする機械らしい

 坂東十番札所・岩殿観音正法寺の門前町に当たる岩殿集落に入っていくと、各民家の前に板張りで「堺屋」「海老屋」といった屋号が記されていた。寺で説明してくれたボランティアガイドの方によると、江戸時代になると荒川から都幾川や市野川を遡上して魚が運ばれ、岩殿の丁字屋という料亭が有名だった。民家の屋号は当時、観音詣での客相手の宿などを営んでいた名残らしい。

 正法寺は奈良時代の開山だが、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興。後に徳川家康より寺領二十五石の朱印地を与えられたという。周囲12メートル、樹齢700年の大イチョウが見事だ。 

 30キロコースと分かれてほどなく埼玉ピースミュージアム(埼玉県平和資料館)に着く。畳と障子とちゃぶ台のある民家の一室が戦時中の生活として展示されていた。筆者の皮膚感覚では昭和30年代まではこのような家はざらだった。40年代の高度成長期に急速に消えていったような気がする。 2.26事件で死刑になった青年将校の遺書や大政翼賛会の資料もあった。

 エレベーターで展望塔を昇った。関東平野が一望できるとの触れ込みだったが、平野が広大すぎて富士山や東京スカイツリーは確認できなかった。

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写真①=東京電機大のバドミントンサークル「Raccoon」のみなさん
写真②=千年谷公園では民俗芸能祭が開かれていた

 東京電機大理工学部が鳩山祭という学園祭を開いていた。何か腹ごしらえをしたいと思い入ってみた。今川焼を一個50円で売っていたので2個購入し歩きながら食べる。「Raccoon」というバドミントンサークルが出していた店だった。

 東松山市民俗芸能祭が開かれている千年谷公園は、恒例の豚汁会場らしい。入口でチャリティーに協力すると黄色いプラスチックの札をくれる。それを調理場のテントに持参すると豚汁と引き換えてくれる。当初チャリティーに協力しなかったのにテント前で勧められて食べてしまった。後払いになったが代金として100円、募金箱に入れる。

 広い歩道に様々な芸術作品の飾られた道を通り、東武東上線高坂駅が近づいてきた。東松山駅から一つ池袋寄りだ。コースは駅をまたいで線路東側を通る。残りあと6キロ。1時間強かかる。ここでふと考えた。

 連休の最終日で帰りの新幹線は混雑が予想される。ゴールして中央会場から東松山駅まで歩くと2時間近くは確実に遅れる。時刻は午後零時半過ぎ。高坂駅から乗ってしまえば日のあるうちに京都に帰れる。そこで駅前で立ち番をしていたスタッフにお礼を言って、コースアウト。東武東上線急行、山手線、新幹線を乗り継ぎ逃げるように京都を目指した。帰着は午後4時15分。座席も確保できたし早帰りは成功だったと思う。

 完歩できればそのほうがもちろん良いが、問題は自分が満足できたかどうかだ。コース上や宿泊先では様々な人に励まされたり冷やかされたり、接点を持つことができた。有意義な三日間だった。次回はもう一泊する覚悟でフィナーレのイベントまでじっくり味わいたい気がしている。
  1. 2014/11/03(月) 21:36:02|
  2. ウオーキング
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第37回日本スリーデーマーチ第2日 吉見百穴・森林公園ルート30キロコース

2014年11月2日(日)31キロ 晴れのち曇り
場所 埼玉県東松山市 比企郡吉見町、滑川町
コース 中央会場・松山第一小~吉見百穴~吉見観音安楽寺~松の平団地~平野市民活動センター~森林公園~中央会場

コーヒーや梨…広がる草の根交流

 前日と同じ時間のバスで午前8時前に中央会場に着いた。「30キロコース参加の方は急いでください。間もなくアンカーが出発します」のスタッフの声がする。20キロに参加の予定でいたが、朝日新聞の特集紙面で「30キロコースの途中に梨の振る舞いがあります」との記事に魅かれてもいた。体調もいいので思い切って30キロに挑むことにした。

 グラウンドを一周してから出発ゲートに向かう。中学生が様々なボランティアとして運営に協力しているのもこの大会の特徴だ。両側に花道を作ってハイタッチで送り出してくれた。

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写真①=中学生ボランティアが花道を作って送り出してくれた
写真②=弘法大師ゆかりの岩室観音

 大きな岩をくりぬいたホテルが廃業しているのが目に入った。その隣が岩室観音。平安時代の初め、弘法大師空海がこの地を訪ね、観音菩薩を刻みこの岩窟に収めたという。お堂は小型ながら京都・清水寺と同じ造りといい、上がって眼下を参加者が通り過ぎるのを見ると足がすくんだ。 

 さらに隣が吉見百穴。昔は古代の住居跡といわれていたが、近年の発掘調査により、古墳時代の横穴墓群ということが分かった。家族で死後も同じように暮らせるようにと、勾玉や土器などが副葬されていた。 穴は219。大小さまざまで、上の方にあるものほど、間隔が広く、中もゆったりと作ってあるらしい。

 ガイドウオークの案内もしていた。金網越しに横穴が見えたので写真に収めた。

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写真①=吉見百穴の入り口。ガイドウオークもあるらしかった
写真②=吉見百穴の洞窟を金網の間から撮った

 吉見百穴が20キロコースとの分岐点。30キロとしては少し遅めなのだろう。多くは20キロコースをとった。しばらくは田園風景の中を歩く。源範頼の館跡とされる息障院の前を通り過ぎる。

 「今年は50キロ歩きます」とゼッケンに書いた児童が追い抜いて行った。このあたり50キロと30キロの共通コース。50キロ参加の人は南へ大きく迂回してからここまで来たことになる。しばらく同じコースをとるが、再び分かれ今度は北東に大きく迂回する。

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写真①=源範頼の居館跡、息障院
写真②=吉見観音の名で知られる安楽寺に到着

 吉見観音の名で知られる坂東十一番札所安楽寺に到着した。赤い仁王像の山門をくぐり古い拝殿にお参りする。奈良時代に行基が観音像を安置したのが始まり。室町時代後期に北条氏康と上杉憲政の松山城合戦の際にすべての伽藍は焼失した。現在の本堂は江戸時代前期・寛文元(1661)年の再建という。

 折からの好天で一休みするウオーカーも多い。コースは三重塔の横から寺を離れ、八丁湖公園の遊歩道をたどる。

 住宅地の中で女性らがコーヒーを提供してくれていた。「どちらの団体ですか」と質問すると「団体ではなく個人」と先に飲んでいた参加者の一人が代わりに答えてくれた。接待の主は、ここ松の平団地の仁井谷正子さん。13年前から毎年続けている。

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写真①=安楽寺の本殿にお参りする
写真②=自宅前でコーヒーを提供してくれた仁井谷さん(左)と仲間のみなさん

 松の平団地は約30年前に開発された住宅地。仁井谷さんはもともとお祭り好きだが、越してきた当初は知り合いがおらず寂しい思いもしてきた。自宅前がウオーキングイベントのコースに当たり多くの人が通ることを知って、コーヒー提供を発案。毎年やっているうちに近所の仲間が一緒にやってくれるようになったという。

 朝日新聞の埼玉西部版でも採り上げていた。ウオーカーの中にはお返しに仁井谷さんにコーヒー豆をプレゼントした人もいたという。

 コース上では他にも「お一つずつどうぞ」と箱一杯に飴を入れたり、「つまんでいってください」と梅干しを並べたりの無人接待所があった。

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写真①=チェックポイントも中学生が担当
写真②=「いくらでも食べてください」。東平梨組合から梨の提供。

 チェックポイントのある平野市民活動センターでは、東平梨組合のみなさんが梨を無料で配ってくれた。提供された品種は「新高」.。赤ナシで甘く酸味があり、果肉は歯触りがいいという。梨は8月の「幸水」から始まって「豊水」「彩玉」「あきづき」など続く。「新高」は10月上旬までが収穫期だが、「この日のために冷蔵庫で冷やして保管しておきました」とのことだった。

 用意した梨は1000個以上。長テーブルを縦につないだ上に大皿が6個ばかり置かれ切った梨が山盛りだった。甘くて水気もたっぷりで、いくらでも食べられそうだ。組合役員が「お好きなだけどうぞ」というのに甘え、丸1個分以上も食べてしまった。

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写真①=森林公園の園内バス。大人1乗車200円。
写真②=ゴールして記念撮影する外国から参加のみなさん。

 森林公園内を約3キロ通り抜ける。東松山市街地の狭い道に入ってきた。ここは全コース共通なので道は人でいっぱいだ。スタッフが「左2列でお願いします」と声をからしている。ここは流れに乗っていくしかない。

 緩いペースに少々焦れながらもやがてゴール。中央会場のステージ前では外国人グループが一角を占め、記念撮影などに興じていた。前日と打って変わって模擬店は大にぎわい。祝杯を挙げたいと思ったがテント内も満員で、この日も早々に退散するしかなかった。
  1. 2014/11/02(日) 21:21:58|
  2. ウオーキング
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第37回日本スリーデーマーチ第1日 和紙の里・武蔵嵐山ルート20キロコース

2014年11月1日(土)21キロ 雨
場所 埼玉県東松山市、比企郡嵐山町
コース 中央会場・松山第一小~鬼鎮神社~菅谷館跡・県立嵐山史跡の博物館~原爆の図・丸木美術館~箭弓稲荷神社~中央会場

福は内、鬼は内、日本人も外国人もみんな内

 この秋に筆者が参加するウオーキングイベントはおおむね近畿に限られるが、唯一の遠征が埼玉県の日本スリーデーマーチだ。日本を代表する大会と位置づけられ、外国からの参加も多い。せっかくの遠征だから立派な宿を取ろうと国立女性教育会館に申し込んだら、そこは外国人主体の宿だった。

 オランダのナイメーヘンという町ではフォーデーマーチを開催している。日本のウオーカーもいつか参加したいと夢をはせる人は少なくない。日本スリーデーマーチも海外からはそう見えるのだろう。会館の専用フロントには日本以外に12か国・地域の表示があり、国・地域ごとにルームキーが並べてあった。

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写真①=鬼鎮神社拝殿にあった鬼を描いた額
写真②=近くには鬼のレリーフも置かれていた

 ロシアを含むヨーロッパ諸国は放射能に敏感だ。2011年の東日本大震災の影響で一時は参加者が大幅に減った。昨年から少し持ち直している。熟年夫婦と家族連れが多い。ウオーキングをリタイア後の趣味としている事情は日本と同じなのだろう。筋肉質の人もあんこ型の人もいるが大柄な人ばかりだ。

 海外旅行で開放的になっているのだろう。国は違っても英語でコミュニケーションを取り合っている。深夜まで談話スペースで酒盛りをしていた人もいたという。

 日本スリーデーマーチには数万人という人が集まるだけに独特の運営方法をとる。まず朝が早い。50キロコースが午前6時出発。30キロは午前7時だ。出発式はいずれも15分前から行う。20キロ、10キロコースは出発式を行わない。その代わり30㌔コースと同時に繰り上げスタートしていいことになっている。大人数をさばく一つの知恵なのだろう。

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写真③=国際色豊かなのもこの大会の特徴。ロシア国旗とともに歩む一行。
写真④=越生町名物の一里飴を振る舞ってくれた。

 筆者が着いたのは午前8時。既に出発式は終わりステージ上では男女の司会者が掛け合いトークをしながら、三々五々出発するウオーカーを見送っている。一方では到着したウオーカーが受け付けを済ましてゼッケンに名前と県名を記入しているが、雨宿りできるスペースが限られているので、テント内はごった返している。模擬店では名物のB級グルメも多数そろっており、晴れていれば冷やかして歩くのだが、あいにくの雨とあってすぐ出発した。

 東松山の市街地を抜け、東武東上線森林公園駅の前を通り、市野川に沿って歩く。途中、滑川町婦人会による甘酒の接待をいただく。

 鬼鎮神社(きじんじんじゃ)に着く。源平時代の寿永元年(1182)創建で畠山重忠が菅谷館を築造したときに東北の方角の守りとして祭ったと伝えられる。全国でも珍しい鬼を祭った神社で、節分祭の掛け声は「福は内、鬼は内、悪魔は外」だという。
 
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写真①=菅谷館跡にある畠山重忠の像
写真②=常連の参加者も多い。過去の大会のゼッケンをつなぎ合わせて自慢のウエアに。

 菅谷館跡に着いた。北武蔵の比企城館址群の中心。鎌倉幕府草創期の武将・畠山重忠の館跡で、二の郭には1929(昭和4)年築造の重忠の像もあった。館址の一画にある埼玉県立嵐山史跡の博物館が給水ポイントになっており、スタッフが一里飴という越生町名産の飴を配ってくれていた。

 37回も続いた大会なので常連の人も多い。かつては布製のゼッケンだったのだろうか。縫い合わせて着用している人もいた。

 原爆の図丸木美術館は「原爆の図」など丸木位里、俊夫妻の描いた作品が収められている。地元のボランティアガイドが多数詰めてくれているのだが、入る人は少ないようだ。筆者も敬遠してしまった。だがウオーキング中に原爆やアウシュビッツ、南京大虐殺、水俣病といった重いテーマに向き合って打ちひしがれるのも学びであった。せっかく訪ねたのに見ずに帰ったことを今となっては後悔している。

 美術館前には福祉系NPOなどが店を出している。ミネストローネやたい焼きなどが人気を集めていた。また雨が降り出したので参加者は東家風の休憩所の屋根の下に密集していた。

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写真①=雨の中、丸木美術館に到着。
写真②=たい焼き店などの模擬店が軒を並べていた。

 箭弓稲荷神社は日本スリーデーマーチ発祥の地と言っていい。会場が東松山市に移った第3回から6回までメイン会場だった。ことしは全コースが通過するようになった。境内を出たところに大学生がデザインした創作いなりずしを販売していた。狐の顔を描いた武蔵丘短大の作品と、おでんのように三個を串に刺した城西大の大学院生の作品があり、「いろり茶屋」という近くの料理店が商品化したという。

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写真①=東松山市での当初のメイン会場だった箭弓稲荷神社
写真②=学生と料理店のコラボで開発した創作稲荷ずしを販売していた。

 そろそろゴールだろうと思いながら歩いていると、東武東上線の線路のところに「あと1キロ」の表示が見えた。「この1キロが長いんだよ」と周囲の参加者から悲鳴のような喚声が漏れる。ドイツに本社のある輸送機器メーカー「ボッシュ」の工場内でドーナツをもらったり、美土里町の人たちが育てた草花の飾りつけを眺めたりしながら、ようやくゴールした。
 
 完歩を示すシールをもらってステージ前に行くとグランドは水浸し。わずか20~30人程度が取り囲んで見ているが、傘を差しながらでは落ち着かない。みそ焼き鳥などのB級グルメをつまみに祝杯を挙げたくてもテント下の休憩所は人であふれている。早々に退散するしかなかった。
  1. 2014/11/01(土) 21:43:27|
  2. ウオーキング
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