京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

第9回世界遺産高野山ツーデーマーチ第2日 奥高野コース

2014年10月26日(日)28キロ 快晴
場所 和歌山県伊都郡高野町、奈良県吉野郡野迫川村
コース 高野山大学~一の橋~中の橋~天狗木峠~野迫川村役場~スカイライン分岐~大滝~薄峠~真別処分岐~高野山大学

歩者も死者も お大師様のもとに

 宿坊の朝は早い。「6時半からお勤めが始まります」と、若い修行僧が起こしに来る。本堂に入ると、夜明けの薄暗い中に小型の提灯が幾つか点り拝殿をうっすら照らしていた。

 遺骨を納めに来た家族が一緒だった。お勤めの僧は埋葬方法について説明した。それによると1年間は寺で保管する。その後は高野山内の奥の院にある大師廟の横の納骨堂に納めるが、全国から遺骨が集まるのですぐいっぱいになる。そこで順次その横の墓地に埋葬するという。「お大師様のそばで休んでいただきます」とのことだった。

 心が洗われるかというと、それほど単純なものでもないが、朝一番に厳かな雰囲気に触れることなど実生活ではめったにない。貴重な体験には違いない。精進料理の朝食をいただいてスタート会場の高野山大学へ。28キロの最長コースとあって昨日と同じ健脚自慢の人が集まっていた。

 出発式では世界遺産高野山ツーデーマーチ実行委員長を務める加藤栄俊・常喜院住職が「紅葉のきれいな季節です。歴史と自然とお大師様の町を楽しんでください」とあいさつした。コースリーダーは高野町役場の下勝己総務課長、アンカーは和歌山県ウオーキング協会の2人が務めてくれた。和歌山県3B体操協会のみなさんがストレッチ指導と出発の檄を担当した。

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写真①=あいさつする加藤実行委員長
写真②=3B体操協会のメンバーが出発の檄
 
 奥の院には20万と言われる墓がある。それだけの霊魂があるとすれば大変な場所だ。だが霊は普段は墓にはいないという。「千の風に乗って」の作詞者で作家の新井満さんは「普段は空中を浮遊しているが、縁のある人が訪ねてきたら墓に戻る。つまり墓は面会所にあたる」といったことを文藝春秋誌に書いていたように記憶する。

 いずれにしても墓石の林立する中である。心霊写真になっては恐ろしいので撮影を控える。心を引き締めて歩を進める。江戸時代の大名家から近代の企業の墓。・親鸞聖人の墓もあった。浄土真宗の開祖の墓がなぜ真言宗の墓地にあるのか、今のところよく分からない。
 
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写真①=赤松院を通り過ぎ、いよいよ奥の院の墓地群に入る
写真②=野迫川村のチェックポイントでは胡麻豆腐を出してくれた

 高野町の街並みを離れ野迫川村を目指す。一面に杉の植林された険しい山々は紀伊山地独特の景色だ。その一番奥の、最も高い連なりが、修験道で有名な大峰山脈のように思われた。

 町村境近くの峠が給水ポイント。そこから歩いても歩いても人家が見えない。ようやく数件の家が見えて、小中学を統合した校舎を過ぎて野迫川村のチェックポイントに着く。弁当を頼んだ人はここが引換場所だ。村役場近くにも中学校があった。なぜ2校もあるのか、駐在さんがおられたので尋ねた。中学は前年度で廃校になり、小学校に統合された。かつての中学校舎は村役場の一部となり体育館は住民が使っているとのことだった。

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写真①=野迫川村のチェックポイント。中央はコースリーダーの下さん
写真②=村内はところどころ紅葉していた

 チェックポイントには野迫川村職員も担当していた。村の人口を聞くと「住民票上は480人です」との返事だった。実際には村外に住む人もいるのだろう。

 野迫川村の隣の西吉野村と大塔村は合併で五條市の一部になった。野迫川村には高野町からは立派な道が通じているが、五條市など奈良県の他の地域と結ぶ道路事情は悪いらしい。そんなことも合併をせずに単独村政を選んだ理由かもしれない。

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写真①=野迫川村役場
写真②=「こうやくん」「わかぱん」と記念撮影をする和歌山県3B体操協会のみなさん

 自動車道から山道に入る。前も後ろも人がいなくなった。分岐では踏まれているほうをたどるが、心細いことこの上もない。地元の人らしい参加者が抜いていったので後ろに付かせてもらう。大滝という集落に出た。最後のチェックポイントだ。ここから高野山にはいったん下ってまた登り返す。「橋をかけてくれればいいのに」と休憩していた他の参加者はぼやいていた。

 和歌山県ウオーキング協会の人と一緒になったので後ろからついていくが、急坂が続き、そのうち置いていかれてしまった。それでも道ははっきりしているから安心だ。ようやく登りきってゴールも近いかと思ったのだが、給水所で聞くとまだ数キロあるとのことだった。

 ようやく高野町の街並みに入ってゴール。昨日と同じく婦人会のみなさんが豚汁で出迎えてくれた。高野町のマスコット「こうやくん」と県のマスコット「わかぱん」が場を盛り上げていた。
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  1. 2014/10/26(日) 21:42:01|
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第9回世界遺産高野山ツーデーマーチ第1日 町石道コース

2014年10月26日(土)27キロ 快晴
場所 和歌山県伊都郡九度山町、高野町
コース 九度山町役場~慈尊院~二つ鳥居~神田地蔵~花坂矢立~大門~高野山大学

町石たどり 27キロ登った

 和泉弥生ツーデーウオークから一週間後に世界遺産高野山ツーデーマーチがある。さすがに歩きすぎかと思い、見送るつもりでいた。だが筆者の勤務先のトップは和歌山県出身である。その縁で和歌山県から来客が相次いだ。県内のさまざまな名所の話を聞いて行ってみたくなった。宿坊が取れたら行こうと思ったら、高野町観光協会で簡単に確保できた。こうなったら参加するしかない。

 1日目の最長コースは町石道コース。ふもとの九度山町から山頂の高野町までの登り27キロだ。一町(108m)間隔で町石と呼ばれる石の標柱が180柱立ち並ぶ町石道は全国的にも名コースの一つだ。10キロの楽なコースもあるが、少々無理をしてでも町石道を体験しようと決めた。

 JR京都駅を午前5時20分発の快速に乗る。梅田、難波、橋本と3回乗り換えて7時半過ぎに九度山に着く。南海高野線内で少し居眠りできたので体調は良い。歩道が狭く交通量の多い道をたどり九度山町役場に着いた。ここが出発式会場だ。

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写真①=出発式であいさつする岡本章・九度山町長
写真②=出発の檄を行う手作り甲冑九度山真田隊のみなさん

 出発式では岡本章・九度山町長があいさつ。それによると町はかつて高野山の寺領で物資を運び上げる場所だった。今は日本一の富有柿の産地として知られるという。戦国時代の武将・真田幸村が14年間蟄居した地でもある。岡本町長はその様な町の特色を紹介した後「町石道は5~7時間かかります。景色を楽しみながらハイキングしてください」と励ました。

 スタートしてほどなく真田庵に向かう曲がり角があった。せっかくの機会だからと立ち寄ったが、多くの参加者は素通りし、この日二度と会うことはなかった。

 信州・上田の領主・真田昌幸と二男の幸村は関ヶ原の合戦に際し徳川秀忠率いる大軍を足止めし、合戦に間に合わせなかった。だが合戦は徳川方が勝利し真田父子は九度山に蟄居させられた。昌幸は九度山で死去し、幸村は豊臣方に付いて大坂夏の陣で戦死する。真田庵には昌幸の墓などがある。

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写真①=真田庵には真田昌幸の墓がある
写真②=町石道の下の起点、慈尊院に到着

 町石道のふもとの起点である慈尊院に着くと朱塗りの建物が目を引いた。もっとも下にある180番目の町石の場所を聞こうと拝観窓口の僧侶に尋ねたところ「そちらにお参りください」と向かいの建物を示された。弘法大師の母の廟所だという。「町石の言わばゼロ番に当たります」と僧侶は説明。多くの人は参拝もそこそこに町石をたどることにばかり興味を持つことに残念そうな口ぶりだった。

 町石をたどろうとする筆者はいささか後ろめたいが、質問したおかげでおかげで最初の町石を石段右側に発見できた。町石は鎌倉時代にできたもので側面には文永6(1269)年の記載がある。谷に投げ捨てられたり破損されたりした時代もあり、紛失した石は大正時代に再建された。鎌倉期のものは高さ約3メートル。大正のものはそれより小ぶりに見えた。

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写真①=町石道の0番」弘法大師の母の廟
写真②=慈尊院の階段の右手に180番の町石

 道沿いに柿がなって地元農家の人が収穫していた。12月中旬ころまで続くが、10月半ばでは富有柿にはまだ早い。収穫しているのは「ひらたね」という渋柿で炭酸ガスで渋を抜くらしい。ケースには大粒の柿がいっぱい入っていた。

 二つ鳥居を経て神田地蔵がチェックポイント。事前に予約した人は弁当を引き換えができるが、筆者は当日参加なので申し込んでいない。コース上にコンビニなど昼食用の食料を買える場所はない。いささか空腹ではあるが、宿坊の精進料理の夕食を楽しみに展望を楽しんだだけで出発した。

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写真①=町石の左に文永6年の文字
写真②=九度山町は柿の産地でもある

 コースは一旦自動車道を横断する。花坂という土地で焼き餅店があった。1個120円の焼き餅を買い、店の中でお茶をいただきながら食べる。甘さが力に変わるのが分かる。店の人が「残り6キロで標高差は400メートルあります」と教えてくれる。相当の勾配のようだ。

 登りだした直後は相当の急坂だが、このあたりから弘法大師の伝承のある巨石や奇石が点在する。「このあたり、熊が出ます」との看板があり、クマ除けの鈴をリュックに付けた人もいる。筆者も含めて皆相当疲れている。抜いたり抜かれたりしながら最後の坂を登り詰めると、いきなり朱塗りの大門が現われた。両脇に構える金剛力士像が圧巻だ。

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写真①=神田地蔵のチェックポイント
写真②=花坂の焼き餅店で一休み

 両側に寺院や商店が並ぶ高野町のメインストリートを通りゴールを目指す。宿泊予定の宿坊もあった。ゴールの高野山大学では高野町婦人会による豚汁の接待があった。出発前の体操指導など運営に協力している和歌山県3B体操協会と同大学学生がダンスをしていた。

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写真①=最後の登りを過ぎると大門が見えた
写真②=ゴールでは産業フェスタも開催していた

  夕刻、宿坊でボリュームたっぷりの精進料理に舌鼓を打ったことは言うまでもない。
  1. 2014/10/26(日) 21:36:14|
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第16回和泉弥生ロマンツーデーウオーク第2日・よしもとコース

2014年10月19日(日)快晴 17キロ
場所 大阪府和泉市
コース 和泉中央駅前・アムゼ広場~郷荘神社~黒鳥山公園~池上曽根史跡公園~泉井上神社~西福寺~アムゼ広場

大型建物で体感 弥生人の畏怖の念

 2日目は和泉市北部を巡る。最長コースは22キロ。距離的にはちょうどいいのだが出発時刻が8時と早い。そこでJR京都駅を7時ごろに出れば9時のスタートに無理なく間に合う17キロコースに参加することにする。

 出発式では実行委員会副会長を務める和泉商工会議所専務理事・橋本隆次さんがあいさつ。多くの人の協力で16回目を迎えたことに感謝の言葉を述べ、「歴史とロマンの里で秋の一日を満喫してください」とエールを送った。

 吉本興業の漫才コンビ「ロシアン生まれ」も駆けつけた。一方が相方を指して「こいつの生家は和泉府中駅の近くでんねん。近くまで行ったら表札の写真撮ってやってください」と突っ込んで笑いを誘っていた。

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写真①=出発式であいさつする和泉市商工会議所の橋本専務理事(右)
写真②=吉本興業の漫才師「ロシアン生まれ」も応援に駆け付けた

 郷荘神社が最初のチェックポイント。黒鳥山公園は桜の名所らしいが、今回は門前を通り過ぎるだけ。協賛企業の一つ、量販店「FRESHMARTサンパール」前では店員の女性がパラソルを立てて、ペットボトルの飲料を配ってくれていた。

 フェンスに囲まれた中に弥生時代の巨大な高床式建物が見えてきた。池上曽根遺跡の史跡公園だ。建物は「いずみの高殿」と名付けられ80畳の広さがあるという。

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写真①=最初のチェックポイントの郷荘神社
写真②=FRESHMARTサンパールからペットボトルのサービス

 1993年秋か94年春だったと思う。滋賀県守山市の伊勢遺跡で弥生時代の大型建物跡が発掘され、魏志倭人伝にある「三十国」の一つではないかと言われた。柱の太さと間隔で建物の高さや形態を推測するらしい。その時専門家が描いた想像図がちょうどこんな形だった。

 東西20メートル、南北7メートルで、庶民が暮らした竪穴式住居と比べれば途方もない規模だ。神事に使ったらしいが集落の人々の感激と畏怖が伝わってくるようだ。専門家は語りたがらないが、神社建築の原型になったという推測もあながち荒唐無稽とは言い切れない。

 普通の遺跡では柱跡の穴しかない。せいぜい白い塗料で輪郭を描き見学者の便宜を図ってくれるのが関の山だ。それを思うと建物の実物を目の当たりにできるのは貴重な機会であり、感激を禁じ得ない。

 チェックポイントのテント周辺と、パネル展示とトイレのある管理棟はにぎわっていたが、復元された建物を見に行くウオーカーは少ない。そんな中で建物の写真を撮っていたのが目に留まったのか朝日新聞の記者の方に声を掛けられた。遺跡の印象を聞かれたので上記の内容をかいつまんで話すと翌10月20日の記事に載せてくれた。京都府ウオーキング協会の仲間が北九州市と滋賀県長浜市での大会の際、朝日新聞に採り上げられたことがある。今回図らずも同じ栄誉に浴することができた。

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写真①=弥生時代の大型建物を復元した「いずみの高殿」
写真②=筆者を採り上げてもらった10月20日の朝日新聞の記事

 アーケードのある商店街に入っていく。その中の四つ角で、商店街「ロードインいずみ」の役員がバナナを配ってくれていた。まろやかな甘さが疲れた体に心地よい。「もう一本いかがですか」と言ってもらったが、丁寧に断って出発する。

 和泉の地名のもとになった和泉清水を祭るのが泉井上神社。ここも豊臣秀頼の再建だ。和泉市桑原町の西福寺に入っていく。このコース最後の名所旧跡に当たる。

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写真①=商店街「ロードイン・いずみ」でバナナのプレゼント
写真②=和泉清水を祭る泉井上神社

 鎌倉時代初期に東大寺再建に尽力した俊乗房重源上人はこの地で生まれたという伝説があり、西福寺の中興の開基と伝えられる。その重源上人がこの地で雨乞いの儀式をしていた時に、本堂の隣にあった井戸でお婆さんが洗濯をしていた。雨乞いの効果がてきめんとなり、にわかに黒い雷雲が空を覆い、夕立となった。

 ゴロゴロという雷鳴と共にその井戸に雷が落ちたのだが、おばあさんはすかさず洗濯中のたらいで井戸に蓋をして雷を閉じ込めてしまった。雷を逃がすかわりに二度とこの地に落ちないという約束をその雷から取り付けた。それは、ゴロゴロと音がした時に「くわばら、くわばら」と村人たちが唱えれば、この地が桑原であることが分かるので、雷が間違って落ちることがないというものだ。この約束を交わしたのちに雷は解放され、天に戻ることができた。

 この逸話がもとで、「くわばら、くわばら」と唱えることが雷封じの呪文となった。雷を閉じ込めたという井戸は本堂右手奥にあり、大きな石でふたがしてあった。さい銭のつもりだろう。その上には小銭が置いてあった。

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写真①=おばあさんが雷を閉じ込めたという西福寺の井戸
写真②=参加者は延べ2231人でした

 ゴールすると、この日もステージではライブ演奏が行われていた。小学6年の西川怜伽さんはホイットニー・ヒューストンの曲を抜群の歌唱力で歌い上げた。高校1年の番匠谷紗衣さんは自作の曲をギターで弾いた。他にもアーティストの卵が多数登場していた。

 客席にも仲間の若者が多数集まっていた。このような企画が他の大会にも広がっていけば「ウオーキングは高齢者のもの」という偏見を、一定程度払しょく出来るのではないかと思う。

 司会者で演歌歌手の春奈佑果さんはこの日もトリを務める。ライブは午後3時の予定だったが、あと1時間余りが待ちきれずに会場を後にした。ファンとしては落第かもしれない。
  1. 2014/10/19(日) 19:47:50|
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第16回和泉弥生ロマンツーデーウオーク第1日・牛滝温泉いよやかの郷コース

2014年10月18日(土)20キロ 快晴
場所 大阪府和泉市
コース  アムゼ広場~春日神社~和泉国分寺~道の駅・いずみ山愛の里~コスモ中央公園~松尾寺~くすのき公園~アムゼ広場

司会の歌姫に魂を奪われた

 和泉弥生ロマンツーデーは40キロコースが有名だ。標高491メートルの槙尾山施福寺への登り降りがあり全国有数のハードなコースとして知られる。挑戦してみたい気はあったが、午前7時半のスタートに間に合わせるにはJR京都駅を5時過ぎの電車に乗らないといけない。歩く前から調子が狂ってしまいそうだ。20キロだと7時14分の始発の新快速で間に合う。 

 梅田と難波で2回乗り換えて泉北高速鉄道・和泉中央駅前広場の大規模商業施設にあるアムゼ広場に着くと、出発式が始まろうとしていた。受付を済ましている間に式が進行し主催者あいさつやコース説明は聞けなかった。司会は春奈佑果さん。市が委嘱する「いずみの国和泉市PR大使」でもある。一昨年も務めたので覚えていたが、本職が演歌歌手だとは今年初めて知った。後述のようにゴール後には温かな美声を聞かせてくれた。

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写真①=アムゼ広場を元気に出発するウオーカー
写真②=春日神社に到着

 日本ウオーキング協会の加盟団体は大阪府には八つある。この大会はそのうち南大阪歩け歩け協会が主管し、コース地図の監修など行っているが、他の7団体(大阪府歩け歩け協会、大阪関西歩け歩け協会、オレンジクラブ一歩会、近畿ウオーキング笑会、浪速歩け歩け協会、大阪ウオーキング連合、河内長野歩こう会)からも多くの人がボランティアで大会スタッフを務めている。中央会場やコース上で各協会の小旗やユニホームが揃い踏みするのは壮観でもある。

 大会本部前や出発ゲートでは以前ウオーキング研修で一緒になった人がスタッフを務めていた。再会を喜ぶとともに、今回お世話いただくことに謝辞を述べてスタートする。

 泉北高速鉄道沿いには高層団地や新興の街並みが多いのが特徴だが、コースはむしろ農村風景の中を丘陵地に入っていく。春日神社や和泉国分寺といった由緒ある寺社を訪ねると、この土地が古くから開けていたことが分かる。和泉国は河内国から分かれたと聞いたことがある。今でこそ産業活動の中心は大阪湾岸に集中しているが、国分寺があったということは内陸のこの付近も国の中心の一つだったのだろう。

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写真①=プチタオルをくれたテクノステージ和泉まちづくり協議会のみなさん
写真②=松尾寺本堂にはボランティアガイドさんがいて案内してくれた

 広い自動車道に出ると、ため池の横にそびえる道の駅「いずみ山愛の里」がチェックポイントになっていた。お茶とオレンジジュースの給水がある。糖分も一緒に摂れるのでジュースはありがたい。アップダウンも少なく秋晴れの中を気持ちよく歩くうちに、もう8キロ来たのだった。

 コースはしばらく自動車道をたどり、テクノステージ和泉という工業団地に入っていく。昼前とあって工場の従業員を目当てにワゴン車の荷台に商品の弁当を並べている女性が気になったがそのまま通り過ぎた。そこから1キロほどでチェックポイントのコスモ中央公園。東屋やベンチ、芝生があって昼食最適地だ。「あの弁当を買っとけばよかった」。後悔先に立たずである。

 チェックポイントではテクノステージ和泉まちづくり協議会のメンバーが参加者全員にプチタオルを配ってくれていた。同協議会は団地内114社の従業員約5000人で構成し、普段から公園清掃などのボランティア活動を行い、ツーデーウオークにタイアップしての活動も毎年行っているという。

 一人1枚のはずだが「お孫さんにどうぞ」と言われ2枚、3枚もらっている人もいた。 

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写真①=300年前の作と言われる松尾寺の持国天
写真②=右側には増長天も寺を守護している
 
 分岐に立つスタッフが「もう13キロ過ぎましたよ」と声を掛けてくれる。松尾寺に着くと山門は100段以上もの階段の上にあった。門の左右には持国天と増長天が寺を守護する。いずれも相当古びている。本堂前のボランティアガイドさんに聞くと約300年前の彫像とのことだった。

 松尾寺の開基は672年(天武天皇元年)。役行者が当地で7日間修法し、霊木を得て如意輪観音を刻んで安置したという伝説がある。その後、天台宗の寺となった。1581年(天正9年)には織田信長が紀州高野山攻めの際に松尾寺も攻撃し、諸堂を丸ごと焼き払ってしまった。現在の松尾寺は、その後、豊臣秀頼の寄進などにより再建された。

 関ヶ原の戦い=慶長5(1600)年=から大阪の陣=慶長19~20(1614~5)年=に至る間に秀頼は多くの社寺に寄進している。これは大阪城の金銀を費消させようとする徳川家康の謀略に引っかかったもので、愚かであったとする見解が一般的だ。だが現実に古刹がよみがえり平成の世の私たちがお参りや観光をすることができる。秀頼の行為をもっと肯定的に評価してもいいのではないか。松尾寺でそんなことを考えた。

 境内には本堂のほか伝教大師(最澄)幼形像や、信長の焼き討ちの際に寺宝百数十点を保護した長諭和尚の顕彰碑、江戸時代の鐘楼など見所が多彩だ。源義経が一の谷の合戦で亡くなった将兵の首を船で運び納めたという首堂もあった。

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写真①=ゴールでは3B体操の女性スタッフが笑顔で出迎えてくれた
写真②=和泉市のキャラクター「コダイくん」(左)と「ロマンちゃん」

 松尾寺を出る。隣接する丘陵を通りかかると、前を歩くウオーカーが「前はここにため池があったのに」などと話しているのが聞こえてきた。真新しい道路はできているが周辺は草地。いずれ住宅か事業所が建つのであろう。その中にテニスコートなどを併設する最後のチェックポイントの「くすのき公園」があった。

 アムゼ広場にゴールするとステージでは地元の和太鼓集団「いずみ太鼓鼓聖泉(こせいせん)」の演奏が行われていた。この日はジュニアで成人メンバーは翌19日の登場ということだったが、様々な太鼓や銅鑼の響きは、内臓を心地よく揺さぶられる感覚だった。鼓聖泉も「いずみの国和泉市PR大使」として観光に一役買っている。毎年公演を行っており、ことしも近くJR阪和線信太山駅近くの会場で行うとのことだった。

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写真①=和太鼓集団「鼓聖泉」。この日は中学生以下だったが内臓を揺さぶる響きだった
写真②=ライブで観客と握手する春奈佑果さん(右)

 弥生人の衣装をまとった和泉市のマスコット「コダイくん」と「ロマンちゃん」も広場を回ってウオーカーや市民との記念撮影に応じていた。その後時間が空いたのであろう。司会者で演歌歌手の春奈佑果さんのライブが予定時間より早く始まった。春奈さんはまず自分の持ち歌を歌った。男女の愛憎を描いたドロドロ・コテコテのド演歌ではなく家族の情愛を歌い上げた温かく上品な歌詞と曲調だった。

 その後、「美空ひばりさんの好きな人はおられますか」と観客に問いかけ、数人が手を挙げると「お年がばれますよ」と言って笑わせながらマドロスものの一つ「港町十三番地」を歌った。昭和32(1957)年の歌だから、リアルタイムで聞いていた人は若くても60歳代。春奈さんは歌いながら数十人の観客と一人ずつ握手していた。

 大会から数日たったというのに、「港町十三番地」の歌声が頭から離れない。ローレライの岩で美女が口ずさむメロディーに魂を奪われた、ライン河の舟人の心境である。 
  1. 2014/10/18(土) 20:07:10|
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