京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

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琵琶湖疏水と大文字観望ウオーク(京都府ウオーキング協会特別例会)

2014年8月15日(金)13キロ 曇り時々晴れ一時小雨
場所 京都市山科区、左京区
コース ラクト山科公園~琵琶湖疏水~日本最古の鉄筋コンクリート橋~田辺朔郎博士の像~南禅寺水路閣~南禅寺山門~岡崎公園~金戒光明寺~吉田山(大文字火床観望)~出町柳河川敷

近代の京都を支えた琵琶湖疏水

 「五山の送り火」は8月16日夜、東山・如意ヶ嶽(通称・大文字山)の大文字を筆頭に、京都盆地北郊の他の山々にも設けられた、東から「妙法」「舟形」「左大文字」「鳥居」の各送り火が夜空を焦がす。お盆に里帰りした亡き人を再び冥界に送る宗教行事だが、京都の夏の後半を彩る一大観光イベントにもなっている。

 京都府ウオーキング協会(KWA)は毎年、タイアップイベントとして五山送り火ウオークを催している。当日の16日は四つの火床を巡ってから終了後に鴨川河川敷で大文字を観賞する。前日の15日は大文字山の南側を半周してから、吉田山山頂から大文字を指呼の間に見る趣向だ。
 
 週末の9、10日は台風11号襲来で京都にも大雨が降った。それ以来、炎暑は影を潜めている。暑いことは暑いが、街全体が相当湿っぽくなったので、気化熱が気温の極端な上昇を抑えているのではないかと素人ながら考えている。15日も日差しが強ければ紫外線の悪影響を考えて参加を見送るつもりだったが、幸い曇りがちだったので腰を上げた。

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写真①=琵琶湖疏水沿いを歩く
写真②=第2トンネル東側入口上部には「仁以山悦智為水欲」の文字がある

 437人の参加者であふれる山科駅前のラクト山科公園を出発。JR琵琶湖線、京都市営地下鉄東西線、京阪電鉄京津線の三つの山科駅を地下道を通って横切る。洛東高校の前をからいよいよ、明治の近代化遺産である琵琶湖疏水をたどる道行が始まる。

 1869(明治2)年、東京に都が移り産業も人口も急激に衰退してゆく京都にあって、第3代京都府知事・北垣国道は、京都に近く水量豊かな琵琶湖に着目。疏水を開削して琵琶湖と宇治川の間に船運を開き、同時に水力、灌漑、防火などに利用して京都の産業振興を図ろうとした。

 琵琶湖疏水は1885(明治18)年6月に着工し90年3月に大津から鴨川落合まで完成。それ以南は92年11月に着工し94年9月に完成した。

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写真①=蹴上船溜まり。ここからインクラインで船を下ろす
写真②=琵琶湖疏水開削の功労者、田辺朔郎博士の像
 
 疏水に沿った快適な水辺ウオークがしばらく続く。太平洋高気圧が例年より東にあって、西日本は雨が降りやすいとの天気予報を聞いたが、確かに台風一過後も時折雨に見舞われる。疏水も幾分水量が多いようだ。永興寺(ようこうじ)前広場で列詰め休憩。時折お寺に墓参りに向かう家族連れが横切ってゆく。

 日本最古の鉄筋コンクリート・アーチ橋といわれる山ノ谷橋を渡ってここから琵琶湖疏水の近代遺産が目白押しだ。疏水はトンネルに入るのでコースは一旦住宅街に下るが、トンネルは石づくりや赤レンガなどいかにも明治の風情が漂う。東西の入口には維新の元勲の言葉がレリーフされている。

 「仁以山悦智為水欲(仁者は動かない山を悦び智者は流れゆく水を歓ぶ)」(井上馨)、「随山到水源(山に随い水源に到る)」(西郷従道)、「過雨看松色(時雨が過ぎると一段と鮮やかな松の緑を見ることができる)」(松方正義)、「美哉山河(うるわしきかな山河)」(三条実美)。琵琶湖疏水が壮大な国家プロジェクトだったことが分かる。

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写真①=赤レンガの橋の上を水が流れる水路閣
写真②=金戒光明寺には蓮が咲いていた

 水路を離れてしばし国道を歩く。左側に蹴上浄水場を見送り、右に折れて南禅寺に向かう。途中の広場に琵琶湖疏水開削の陣頭指揮に当たった田辺朔郎の銅像があった。

 田辺朔郎は工学校の卒業論文で「琵琶湖疏水工事論」を書いたのが京都府知事・北垣国道の目に留まり京都府に招かれた。完成後は東京と京都の帝国大学教授を務め、北海道の鉄道建設にも尽力した。80歳を超える長寿を得たが、銅像は疏水工事の頃の青年技師の姿だ。

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写真①=「お酒はないですよ」と言われながら紙コップを受け取る
写真②=標高105mの吉田山の三角点(右下)

 蹴上船溜から南禅寺の船溜までインクライン(傾斜鉄道)が通る。距離582mに対し落差が36mあるのでどうしても陸送しないとならない。そこでレール4本敷設して船ごと運行できるようにしたのがインクライン。電力でワイアロープを巻き上げて船を乗せた台車を上下させる仕組みだ。

 南禅寺の中には赤レンガの高架橋・水路閣が通り、その上を水が流れていく。橋脚をくぐって山門の横から動物園の前を通り岡崎公園の中で昼食。暑さしのぎにとKWAスタッフがレンガ状に凍らせたアクエリアスを配ってくれた。

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写真①=大文字の火床を見ながら櫻井語り部(中央)の説明を聞く
写真②=叡電出町柳駅から河合橋を渡ってゴール

 蓮の咲く金戒光明寺を抜けて吉田山に向かう。登り口で紙コップの配布。「コップ酒くれるんか」「これから尿検査か」などてんでに好きなことを言いながら受け取る。山頂近くの公園でKWAスタッフが氷をコップに入れてくれた。標高105mの三角点を過ぎて、如意ヶ嶽の「大」を一望できる東屋に到着。ここが後半の目玉だ。

 ここから大文字までは直線距離で約600メートル。説明してくれたKWAの歴史解説担当理事(語り部)の櫻井昭平さんによると、「大」の一画目は80m。二画目は160m、三画目は120m。火床は74ある。ふもとの銀閣寺を建立した室町幕府8代将軍・足利義政と日野富子夫妻が、若くして陣没した子の9代将軍・義尚の菩提を弔うために始めたという。

 雨の降りそうな中を慎重に下山。京大キャンパスの間を通って叡電出町柳駅前に向かう。昨年は駅前がゴールだったが、客待ちのタクシーとの交錯を避ける意味で、今年は高野川に架かる河合橋を渡り中洲の公園で解散。「明日もがんばりましょう」と声を掛けながら別れていく。

 16日は、筆者は檀家寺での法要がある。ウオーキングのほうは最初から欠席を決めていたが、後で聞いた話では警報が発令されるほどの大雨で途中で中止になったという。濡れネズミになったであろう参加者とスタッフの運命に胸が痛んだ。雨は夜になってやみ、送り火のほうは無事点火された。
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  1. 2014/08/15(金) 21:00:41|
  2. ウオーキング
  3. | コメント:0

らくらく運動教室体験記

2014年8月1日(金)午前9時半~10時半
京都市中京区・ウェルネスクラブオーク21地下スタジオ

貧乏揺すりは介護予防の切り札

 日本人の平均寿命(男79.55歳、女86.30歳=2010年)は世界一と言われるが、自立して主体的な生活を過ごせる健康寿命(男70.42歳、女73.62歳=同)との差を見れば、臨終までの約10年もの間、介護が必要になる実態が統計上分かる。2000(平成12)年の介護保険制度発足以来、家族介護から社会介護への道筋は一定整ったが、元気な老後を過ごす必要性は変わるものではない。

 京都市中京区・烏丸蛸薬師のスポーツ施設「ウェルネスクラブオーク21」が開いている「らくらく運動教室」は、そのような時代の要請に応えたものだ。おおむね65歳以上の人を対象に、適切な体の動かし方を継続して行ってもらうことで健康寿命を延ばすのが目的。2013年4月の開講から1年半近くになる。担当スタッフ5人はベテラン中心の布陣だ。

 同施設にはマシントレーニング用のジム、エアロビクスやヨガなどのレッスンを行う二つのスタジオ、自由に遊泳できるほか水泳教室やアクアビクスも行うプールがあり、会員になれば好みに応じて使うことができる。だが近年は加齢とともに以前と同じ運動ができなくなったことから、退会する高齢者が目立ってきたという。

 ところが退会すると多くの場合運動する習慣そのものを失う。筋肉は落ち、固くなり、要支援・要介護の度合が加速する。悪循環である。教室はそういう人への受け皿として始まった。きめ細かな指導ができるように定員6人に限定しスタッフ2人がトレーナーとして付く。1時間のプログラムは椅子に座って行う。普段着のままで気軽に楽しめるのが特徴の一つだ。

 プログラムは①準備運動(ストレッチ)② 筋力維持運動・姿勢悪化予防運動③バランストレーニング。具体的な運動内容と効果は、数例を挙げれば▽両手を重ねて額や後頭部の周囲を回転させると普段使わない肩周りの筋肉がほぐれてくる▽空気の入った円盤状のバランスディスクに座布団代わりに座り、お尻を前後左右に動かすことで骨盤や腰椎など腰回りがほぐれる▽直径20センチほどの柔らかなちびボールの上に足を乗せて前後に動かすだけで足首がほぐれてくる―などがある。

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写真①=ちびボールやバランスディスクなどの器具も使う
写真②=前屈などのストレッチで入念に筋肉を緩めていく

 お尻や太ももを小刻みに動かす、いわゆる貧乏揺すりもあった。一般的に、年を重ねると動作が緩慢になる。これは瞬発力を発揮する時に使う速筋が衰えるせいだ。そこで体幹を固定してバランスをとった状態での速筋トレーニングが貧乏揺すりなのだが言葉がいかにも貧乏くさい。トレーナーは「何か良い言い換えはないですかねえ」と問いかけていた。

 プログラムには、手足の指でグーチョキパーを順番に作る脳トレーニングなど遊びの要素もある。スタッフによると、この他にも顔の筋肉を鍛えることによる口腔ケアのメニューもあり咀嚼、嚥下といった食にかかわる部分を改善できる。運動それ自体の脳への刺激効果と合わせて、引きこもり防止やうつ状態の改善といった良い生活パターンにつながるという。

 運動が終わると大スクリーンの映像・音響によるリラクゼーションや濃いお茶をいただきながらの歓談の時間となる。筆者が参加した時は、トレーナーから睡眠や食事、飲酒など日頃の生活習慣についての質問と、「夏は水分を頻繁に摂ってください」「汗と一緒に塩分も失うので補充してくれるスポーツ飲料はお勧めです」などのアドバイスがあった。

 これまでの受講者からは、腕が上がるようになったり、歩行が改善したりといった喜びの声も聞かれたという。スタッフの一人は「正しい機能改善運動と筋力維持運動を続けることで健康寿命が長くなります。民間企業なのでお金はいただきますが、私たちは社会貢献の意識で行っています」と決意を語ってくれた。

 教室は平日の午前9時半から10時半と午後2時から3時の時間帯で、水曜午前を除いて週に九つある。2014年8月7日現在、多くの教室は定員に達していない。 費用は①教室受講者がメンバーとなる「はつらつ運動倶楽部」年会費3240円(税込・以下同)+②受講料=曜日・時間指定で月額(4回分)6912円(※)。1年間48回継続した場合総額86184円、1回当たり約1800円となる。希望時間に予約を入れて参加できるチケットもあり10回分21600円だが、割高な上、定員に達した教室には入れない。スタッフは曜日・時間指定を勧めている。
※このほか③事務手数料(カード発行、登録)が通常3240円必要だが、同日現在キャンペーン価格で0円になっている。

 高いか安いか見解が分かれるところだが、生活全般を良い方向に導く動機づけになるのなら、出費に見合う価値は十分得られる、との印象をもった。
  1. 2014/08/07(木) 21:59:07|
  2. 医療
  3. | コメント:0

京都の六地蔵巡り①(京都府ウオーキング協会8月例会ファミリーコース)

2014年8月3日(日)曇り一時小雨 11キロ
場所 京都市山科区、伏見区
コース JR山科駅~ラクト山科公園~徳林庵~井筒八ッ橋本舗~一里塚~早稲ノ内公園~旧東海道線山科駅跡~大善寺~JR六地蔵駅

末法の世にお地蔵様の救い

 六地蔵巡りは8月22,23日に京都の入り口にある旧街道にある6カ所のお地蔵さんを巡拝して、それぞれのお寺で授けられる色とりどりの「お幡(はた)」を家の入り口に束ねて吊るすと、家内安全、無病息災、家運繁栄といったご利益が得られるという、800年以上続いている宗教行事だ。 

 始まった平安時代は、お釈迦様入滅から1000年が過ぎた末法の世とされ、人々の意識の中では魑魅魍魎が横行していた。伝えられるところによると釈迦入滅後は56億7000万年後の弥勒菩薩出現まで救い主は現れず、この間、人々は六道(天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)の世界を輪廻し続けないといけない。

 釈迦と弥勒の間の世で、一定の慰謝を与えてくれるのが地蔵菩薩だという。平安時代初期の公家・小野篁が熱病で死んで冥界に着くと、六道の人を救おうとしている僧に出会った。僧は「私は地蔵菩薩。もう一度人間界に戻って人々に私のことを伝えてほしい」と頼んだ。生き返った篁は木幡山から一本の桜を切って6体の地蔵菩薩像を刻んだ。

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写真①=ラクト山科公園で開かれた出発式
写真②=地蔵堂の裏手にも石の地蔵が並ぶ

 当初は6体とも奈良街道沿いの大善寺に安置した。このため一帯は六地蔵と呼ばれ、現在ではJR奈良線、京都市営地下鉄東西線、京阪電鉄宇治線の三つの六地蔵駅が集中し、京都市東南部から宇治市東北部にかけてのターミナルとなっている。

 霊験あらたかとされたことから、篁の時代から300年後の保元の乱(1156年)に勝利した平清盛が、6体のうち1体だけを大善寺に残し、あとの5体は京都へ入る他の街道筋の寺に安置した。浄禅寺(鳥羽地蔵=西国街道)、地蔵寺(桂地蔵=丹波街道)、源光寺(常盤地蔵=周山街道)、上善寺(鞍馬口地蔵=若狭街道)、徳林庵(山科地蔵=東海道)で、この日のコースでは徳林庵と大善寺を巡る。

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写真①=スタッフに迎えられて井筒八ッ橋本舗で休憩
写真②=お菓子の試食を楽しんだ後はお茶コーナーに長い列

 暑いことは暑いが明るい灰色の雲に覆われている。炎天でもなければ大雨の心配もない。盛夏のウオークとしては理想的な天気に恵まれた。JR山科駅前のラクト山科公園を234人の参加者が埋め尽くした。今回の企画に興味を持って遠方から参加した人もいたという。

 旧東海道を東にとる。ほどなく徳林庵(山科地蔵)に到着する。第54代仁明天皇の第4皇子・人康(さねやす)親王ゆかりで、東海道の門番として多くの参詣者を集めた。このあたりを「四宮」というのは第4皇子の人康親王にちなんだという。地蔵堂の後ろには石彫りの地蔵が数体並び、手を合わせるウオーカーもいた。

 京都と大津を結ぶ国道が逢坂山トンネルに入る道路わきに井筒八ッ橋本舗がある。内部にはさまざまな商品の試食をさせてくれる。生八ッ橋の形状は定番の板状のものと餡入りがある。味もニッキや抹茶など多様。そのうえ名物の走り井餅もある。試食用の一切れは親指の先程度の大きさだが、何種類も試すうちに口の中が甘くなる。そのような人のためにはお茶コーナーもあり、30人近くが並んでいた。 

 このあたりは追分と呼ばれ、逢坂の関から1キロ京都側に下った、東海道と奈良街道の分岐点に当たる。江戸時代には人家や商店、茶店が立ち並び隆盛を極めた。「走り井餅」「大津絵」「そろばん」などの名産品を買い求めたという。

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写真①=江戸時代の交通を今に伝える大宅一里塚
写真②=明治の旧山科駅跡は戦後に名神高速道路の起工式会場になった

 南に向きを変え奈良街道沿いに進み山科盆地縦断へと向かう。住宅街の中の交差点に大宅一里塚があった。石碑の横にエノキの木もある。一里塚は17世紀初め、徳川家康の命令で街道の両側に一里(約4キロ)刻みで目印として整備され、分かりやすいようにエノキが植えられた。ここは京都市内で唯一現存するものだという。

 早稲ノ内公園で昼食を取っていると小雨が降り出した。零時40分の出発予定を20分繰り上げて出発する。「もう少しゆっくり歩いてほしいと要望があったのでそうしたいのですが、天気の具合もあるのでどうなることやら」とコースリーダーは話していたが、雨は間もなくやみ後半は少しぺースダウンした。

 地下鉄東西線小野駅付近から名神高速道路沿いに西に入ったところに旧山科駅跡の碑があった。明治12(1879)年に鉄道が京都―大谷間で開通した時は、京都から今の奈良線稲荷駅まで南下し、東に折れて山科盆地中央を横切るルートだった。大正10(1921)年に東山、逢坂山の二つのトンネルの開通で京都―大津間がほぼ最短距離で結ばれたとき、山科駅も盆地北端の現在地に移り、稲荷―小野を通る旧ルートは廃線となった。

 昭和33(1958)年10月19日、この地で名神高速道路の起工式が行われた。旧ルートの大半は高速道路に生まれ変わったという。

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写真①=六地蔵の発祥の地・大善寺に到着
写真②=古代の地蔵信仰について櫻井語り部㊧から講義を受ける

 コース後半は山科川堤防の気持ち良い道を行く。多くの人は右側半分を2列になって歩くのだが、どうしても道いっぱいに広がってしまう箇所ができてしまう。後ろから自転車で来た男性が何回か「どけ」と声を荒げながら追い抜いて行った。

 ゴールの六地蔵のビル群が見えてくる。地蔵のある大善寺はいったん駅から離れ西へ向かう。交通量が多い街道で信号待ちを繰り返してから到着。六角形の六地蔵堂に参拝してから、この日のメインイベントである京都府ウオーキング協会歴史解説担当(語り部)・櫻井昭平さんの解説に多くのウオーカーが耳を傾けた。

 櫻井さんは小野篁、平清盛、徳川秀忠の娘で後水尾天皇の女御となった東福門院和子らの事績を交えながら、冒頭に記したような地蔵信仰の由来について熱弁。取り囲んだウオーカーからは拍手が送られていた。
  1. 2014/08/03(日) 19:52:52|
  2. ウオーキング
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