京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

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はつらつ健幸セミナー 疲労回復と傷害予防のためのツボ療法

6月15日(日)京都市中京区・ウェルネスクラブオーク21

老化遅らせ傷害を防ぐツボ刺激

  京都市中京区・烏丸蛸薬師にあるスポーツ施設「ウェルネスクラブオーク21」では月一回程度、東洋医学を活用して日々の健康に役立てる「知得!はつらつ健幸セミナー」を開いている。この日は9回目。脚部を中心としたツボの刺激による運動効果のアップや運動後の疲労回復、傷害予防をテーマにした。

 講師は明治国際医療大学(京都府南丹市日吉町=旧・明治鍼灸大学)鍼灸学部保健・老年鍼灸学講座の木村啓作助教。木村助教は前段として▽中高年層の運動の必要性▽適切な栄養摂取―について説明し、その後、ツボの位置の説明と、疲労回復と傷害予防のためのストレッチ実演を行った。申し込みのあった会員らと同施設スタッフ計約25人が参加した。

 日本では2010年には高齢者1人を2.6人が支える人口構成だが、このままいくと2060年には1人を1.2人が支えることになる。一人当たり医療費は2008(平成20)年に29万円だったのが、09年に30万円、10年に31万円と漸増しており14年の今ではさらに多額になっている。国全体では15年の39兆円が25年には53兆円になるという見通しが示されており、医療費の抑制が急務になっている。

 また平均寿命と健康寿命の差についても言及があった。WHOの2014年調査で日本人の平均寿命が84歳で加盟194国中1位(男80歳=5位、女87歳=1位)である半面、介護を必要とせず心身とも自立した状態でいられる健康寿命は男71歳、女78歳で、このことは平均して8年以上の介護が必要となっていることを意味する。これをできるだけ短縮することが国としても個々人としても課題だ。木村助教は「老化を自覚し、老化にブレーキを掛ける意欲が大切です」と心の持ち方について語った。

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 木村助教はそのためには運動に加え、腰、ひざ、足首への負担を軽くするため体重コントロールが必須であるとし、生活習慣病の予防や体力回復のためウオーキングや筋肉トレーニングを推奨した。また「運動後の一杯」についてビールのレギュラー缶(350ml)が140~170キロカロリーで3キロのジョギングに相当することを指摘。 「せっかく運動しても、カロリーの面では相殺されてしまいます」と警鐘を鳴らし、摂取カロリー量が消費量を上回らないよう促した。

 食事の面では江戸時代の思想家・貝原益軒の著作「養生訓」を引用。「大根は野菜の王様で、味噌で煮ると脾臓を助け、病を取り去り気の働きを促す。胃酸過多や胸やけにも効果がある」と話し、さらに▽胃腸を浄化する最高の食べ物は温かいお粥▽煮た根菜類は体力低下の回復に役立つ―とした。

 また豆腐や納豆には体を作る成分が多く含まれるので「大根と豆腐を味噌汁に入れたら完璧です」と語った。睡眠についても触れ、「免疫機能を回復させるので1日7~8時間とってください」と呼びかけた。

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 ここから木村助教はツボ(経穴)について説明。ツボとは①体の異常を知らせてくれる場所であり、弱ると硬かったり押すと痛かったりする反応点②刺激を与えることで痛みを止めたり気の流れや代謝を促す治療点―と二つの側面から定義した。全身に361のツボがある。さらにツボとツボの連絡線を経絡(けいらく)といい、ツボと経絡は駅と線路との関係に当たる。

 そのため木村助教ら鍼灸治療に携わる人は、腰など体の一点だけに不具合のある患者に対しても、必ず全身を診るようにしているという。

 この後、大腿部前面の血海(けっかい)、梁丘(りょうきゅう)、下腿部前面の足三里(あしさんり)、条口(じょうこう)、下腿部後面の承筋(しょうきん)、承山(しょうざん)について説明。木村助教が参加者の間を回って「ここです」とツボを押すと「あいたた」と悲鳴を上げる人もいた。

 また脳天の百会(ひゃくえ)と足の親指と人差し指の骨が交わる前にある太衝(たいしょう)を精神安定やリラックスのためのツボとして紹介した。

 木村助教は「ツボは健康に効果がありますが、一人では押しにくいこともあります。家族や仲間に押してもらって、絆やコミュニケーションづくりにも役立ててください」と結んだ。
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  1. 2014/06/15(日) 13:23:08|
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追っかけて小野小町百夜通いの道(京都府ウオーキング協会6月例会ファミリーコース)

2014年6月8日(日)14キロ 快晴
場所 京都市伏見区、山科区
コース JR藤森駅~藤森神社~欣浄寺~東古御香公園~折戸公園~醍醐寺三宝院~随心院~勧修寺公園~地下鉄東西線椥辻駅

恋の怨念に仏縁の救い

 小野小町と言えば、日本史上最高の美女とされ、世界史でも楊貴妃(中国・盛唐時代)、クレオパトラ(エジプト・紀元前1世紀)と並び称せられる。平安時代前期の文学史をひもとくと①国風暗黒時代(漢詩全盛時代)②六歌仙時代③(古今和歌集)選者時代―と分類されるが、その六歌仙の一人でもある。

 選者筆頭の紀貫之は古今和歌集仮名序で六歌仙を評している。小野小町については「いにしへの衣通姫の流なり。 あはれなるやうにて強からず、いはばよき女の悩めるところあるに似たり。強からぬは女の歌なればなるべし」と語る。絶世の美女と言えば、小町以前は記紀に登場する衣通姫だった。男性5人(在原業平、僧正遍照、文屋康秀、喜撰法師、大伴黒主)への評価が辛辣なのに比べ、小町に対しては女らしさを肯定的に評価している。

  思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ 夢と知りせばさめざらましを  小野小町

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写真①=藤森神社を出発する参加者
写真②=深草少将が使ったとされる欣浄寺の井戸

 才色兼備の女性だけに言い寄る男性は多かった。その一人が深草少将。つのる思いを胸に秘めて屋敷を訪ねてきた少将だったが、小町は冷たかった。少将は「あなたの心が溶けるまで幾夜でも参ります。今夜はその初日です」と門前に榧(かや)の実を差し出した。

 通い詰めて99夜目は大雪だった。病を押して訪ねてきた少将は99個目の榧の実を手にしたまま倒れ、再起できなかったという。

 少将は伝説上の人物だが、モデルはやはり六歌仙の一人、僧正遍照と伝えられる。もちろん百夜通いで死んだわけではない。出家して僧正に昇進したが、俗界にいた時に多くの恋の歌を残したからだ。 「歌の様は得たれども まこと少し。 たとへば絵にかける女を見て いたづらに心を動かすがごとし」と貫之に評されている。

  天津風雲の通ひ路吹き閉ぢよ をとめの姿しばしとどめむ  僧正遍照

 今回のウオークでは、京阪電鉄墨染駅近くにある少将の屋敷跡とされる伏見・欣浄寺から、小町が住んだ地である山科盆地の随心院まで東向きに、少将の恋の通い路をたどる。

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写真①=欣浄寺にある小野小町塚(左)
写真②=杖の先から水が出たという弘法大師杖の井

 藤森神社からいったん西南に向かい欣浄寺に着く。ここに深草少将の屋敷があったとされる。少将が使ったとされる井戸や小野小町塚と書かれた五輪塔がある。小町塚の右隣にもやや大きめの五輪塔があるが少将を弔うものだろうか。百夜通いの伝説を受けて作られたものだろう。2基ともそれほど古くは見えなかった。

 日差しが強くなってきた。歩道は二人分の幅しかない。参加者の列の中に雨傘を日よけにさしていた男性がいる。通行の邪魔で危険でもあった。次の瞬間、別の男性と口論になっていた。「どこのもんや」「地元のもんじゃ」といったやり取りも聞こえてきた。近くにいた京都府ウオーキング協会スタッフが止めに入ったが、一方は参加者でなく一般の人だったのかもしれない。

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写真①=醍醐寺唐門の前を通る参加者
写真②=随心院にある小野小町歌碑

 伏見区中心部から山科盆地南部に向けて峠越えにかかる。地道で所々ぬかるみもある。緩やかなアップダウンを経て、「杖の井」という井戸があった。 

 その昔、この地を一人の僧が訪ね里人に水を所望した。乞食坊主とみたのであろう。里人は追い返そうと「塩辛くて飲めません」と断った。僧が去った後、本当に塩辛くなって飲めなくなっていた。後年、再び僧がたずねてきた。里人が前非を悔いて謝罪したところ、僧が杖でたたいた地面から勢いよく清水が噴出した。この僧こそ弘法大師空海だったという。

 周辺には水たまりはあったが、井戸水はもはや湧き出ていない様子だった。

 井戸から少し進むと醍醐方面の眺望が開けた。街中に降りて山科川を渡る。醍醐寺に入り唐門の前を通って仁王門前を北に折れる。豊臣秀吉が大花見会を開いた寺で、二つの門をはじめ桃山時代の貴重な遺構が多数残るが、この日のテーマから外れるだけに解説も休憩もなし。その割り切り方は見事だと思う。

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写真①=小野小町が寄せられた恋文を埋めたという文塚
写真②=小野小町化粧の井戸

 醍醐寺を抜け、醍醐天皇陵の脇を通っていよいよ小町の屋敷跡とされる随心院に入る。ここの歌碑に、百人一首でも有名な小町の歌が刻まれている。

  花の色は移りにけりないたずらに わが身世にふる眺めせし間に  小野小町

 年を取って美貌が衰えていくことを嘆いた歌だという。老いさらばえたり皮膚病で顔かたちが崩れたりした小町の伝説は日本各地に残っている。美は永遠には続かない。愛惜の気持ちが伝説に結実したのだろうが、選ばれた人に対する嫉妬や悪意もあるような気がする。

 「蛇、蜂に注意」との警告札が書かれた草むらの奥の石塔が、小町が男性から届いた恋文の山を埋めたという文塚だ。文には情念が宿る。それゆえ供養しないといけないのだろう。寺内では小町が使ったとされる井戸も見学した。小町関連の史跡はここまでだ。

 少将は怨念を残して死に、小町は老醜をさらして生きたのでは、王朝ロマンとしてはやりきれない。そこで後世、能楽「通小町」に採り上げられた二人は仏縁を得て救われたことになっている。

 この日の参加は271人。大阪府堺市と金沢市、岐阜市でツーデーマーチがありウオーカーが分散したことを思えば、よく集まったと言える。
  1. 2014/06/08(日) 17:46:37|
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