京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

第17回久留米つつじマーチ ウオーカーの集い

2014年4月19日(土)午後5時~6時半
福岡県久留米市 複合商業ビル「くるめりあ」

花が取り持つ、日韓誠心の交わり

 久留米つつじマーチの懇親会「ウオーカーの集い」が大会1日目の午後5時から、久留米市中心部の複合商業ビル「くるめりあ」で開かれ全国のベテランウオーカーら100人を超す参加者が会場を埋めた。

 集いは、久留米そろばん踊りと、久留米つつじ踊りの披露で幕開け。楢原利則・久留米市長(久留米つつじマーチ大会会長)が「色とりどりのつつじが咲き誇り今が一番良い季節。ようこそ久留米に来ていただきました」と歓迎のあいさつを行った。

 続いてあいさつした原口新五市議会議長(同大会顧問)は、大会直前の4月16日発生した韓国の旅客船セウォル号の沈没事故に言及。修学旅行の高校生ら約300人が死亡または不明になっていることから韓国内ではイベントやコンサートの自粛ムードが広がっていることを説明し、その中でも使節団が予定通り来てくれたことに謝意を示した。

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写真①=久留米そろばん踊りで集いの幕開け
写真②=客船沈没の惨事を押して来てくれた韓国のみなさん

 久留米市は2005年、中国・大連市の「国際アカシアウオークin 大連」、韓国・西帰浦(ソギボ)市の「済州島菜の花マーチ」との3大会で「東亜ウオーキングフェスティバル・東亜フラワーリーグ」を結成した。東アジアの花をテーマにした新しいリーグで、3月は韓国・西帰浦市、4月は日本の久留米市、5月は中国・大連市と、春に3か国で順番に開催する。

 西帰浦市は済州島の南半分を占める。久留米から真西に当たり直線距離にすれば京都より近い。そのこともあってか韓国からの参加も目立ち、ステージ近くの2テーブルに約20人が固まった。日本ウオーキング協会のカウンターパートに当たる韓国体育振興会のメンバーも顔を連ねた。

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写真①=堀野専務理事(左)から金メダル賞を受け喜びの表情を浮かべる受賞者
写真②=福島県からの参加者が誓いの言葉でお開き

 集いではマスターウオーカーなどの表彰式もあった。久留米つつじマーチなど全国18の大会のうち所定の8大会以上に参加し、実施日すべてに20キロ以上歩くとマスターウオーカーの称号が認定される。また通算30大会に参加すると日本ウオーカー金メダル賞が受けられる。わが京都府ウオーキング協会からも2人が金メダル賞に輝き、堀野正勝・日本ウオーキング協会専務理事から表彰状などが手渡された。

 最後に福島県からの参加者2人が登壇。2011年の東日本大震災の後、多くの人々から届いた善意は、金銭や物資にとどまらず被災者に勇気という無形の価値を与えてくれたと強調。歩く仲間の連帯に感謝の言葉を述べた後、参加者の今後の実りあるウオーキングに向けて「エイエイオー」の発声で締めくくった。
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  1. 2014/04/21(月) 14:59:07|
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第17回久留米つつじマーチ第2日 やきものの里皿山・田園コース

2014年4月20日(日)22.6キロ 雨のち曇り
場所 福岡県久留米市 佐賀県三養基郡みやき町
コース 久留米市中央公園~筑後川久留米つつじ園~北川原公園~皿山~北茂安小学校~水天宮~荘島公園~青木繁旧居~久留米市中央公園

勤王の士 久留米の立志 京都の死

 前日とは打って変わって雨の朝だった。「歩かずにこのまま帰ってしまおうか」とさえ考えたほどだが、ホテルのロビーに降りると同宿のウオーカーが朝食をとりながら準備をしている。こちらも少し前向きの気分になれる。とりあえずスタート会場まで行ってみる。 

 会場には主催、協賛団体のテントが林立しているが、参加者の多くはテントの一角で雨宿り。そのため人数の割には閑散とした印象だ。それでも出発時間が近づくにつれて広場中央に人が集まってくる。案内役の女性は学生ボランティアかと思ったのだが、この4月入職したばかりの久留米市役所職員だった。

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写真①=スタート会場の案内をしていた久留米市の新人職員
写真②=筑後川沿いのつつじの花壇。雨で観賞の余裕がない

 スタートして間もなく筑後川に出る。堤防の遊歩道には花壇があって、つつじが雨に打たれてあざやかだが、人間の側も雨に打たれて愛でる余裕がない。かつての久留米城付近を通り筑後川を渡る。渡ったところの北川原公園が給水ポイント。お茶をくれた久留米市長門石地区の女性が「すぐそこは佐賀県です」と教えてくれた。

 左右から山が迫ってくる。そんな中に陶芸の里・皿山がある。案内図を見ると六つばかりの窯元があるようだ。道路が交差する広場に給水ポイントのテントがあった。

 みやき町の街中に入る。矢印に従って行くと、何やら工場のようなところに続いていた。天吹酒造という酒蔵だった。佐賀県の酒造会社の中でも老舗中の老舗という。

 天吹酒造で造る純米吟醸酒や吟醸酒は、アゼリアやなでしこなど花から見つけた酵母を使っており、甘い花のような飲み心地が人気だという。展示場のような建物に招き入れられ、そこでは係の人が青い瓶を持って「この水でお酒を造ります。いわばアルコール分のないお酒です」と説明しながら、カップにその水を注いでくれた。

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写真①=「アルコール分のないお酒です」と水の振る舞い
写真②=様々な花の酵母で造ったお酒が並ぶ

 北茂安小学校が20キロコースの昼食指定場所。みやき町ボランティア連絡協議会から約20人が出てここと皿山を担当している。出してくれた味噌汁は具だくさんでボリュームたっぷり。その上「おかわりしてもよかですよ」とさらに勧めてくれた。 

 田んぼの中から幹線道路沿いを通って再び筑後川に出会う。渡って左に曲がり、しばらくは河川敷を歩く。筑後川は全長143キロで別名、筑紫次郎。九州一の大河という。雨で増水しているせいもあるが、近畿地方の淀川より大きいように思った。

 かつてコーラスで歌った組曲「筑後川」の最後にこんな一節があった。

  筑後平野の 百万の 生活の幸を     
  祈りながら 川は下る 有明の海へ
  筑後川 筑後川     
  そのフィナーレ ああ
    (合唱組曲「筑後川」5 河口)

 実物を見たことがないものだから、当時は琵琶湖淀川水系の川をイメージして歌っていた。実際に河畔に立ってみると、川の巨大さに負けない大きなスケールの歌だったことが分かる。     

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写真①=筑紫次郎こと筑後川の河川敷に降りる。雨上りで増水していた
写真②=そろいの久留米がすりに身を包んだ京町女性の会のみなさん

 河川敷を離れ石段を登るよう指示する矢印が、いきなり現われた。登った先は水天宮境内のチェックポイント。地元の京町女性の会の6人が揃いの久留米絣を着て出迎えてくれた。

 水天宮は寿永4(1185)年、壇ノ浦の戦で平家滅亡の後、建礼門院に仕えていた官女が逃げてきて祀ったのが始まりだ。そのため壇ノ浦で入水した安徳天皇と祖母・二位の尼(平時子=清盛の妻)、助け上げられて京都・大原の地で余生を過ごした建礼門院(清盛の娘、天皇の母)の3人も、天之御中主神とともに祭神とされている。慶安3(1650)年、久留米藩第2代藩主有馬忠頼が社地と社殿を寄進し現在地に遷ったという。

 その後、水天宮は東京など全国に勧請されたがここ久留米が総本宮。水難、安産、火災、疫病、除災の霊験あらたかという。

 境内には幕末の動乱期に勤王派の旗頭で、京都に出て蛤御門の変の首謀者の一人となった真木和泉守を祀る真木神社と銅像がある。真木は第22代の水天宮宮司だった。蛤御門の変で幕府方に敗れ、京都と大阪の境にある天王山で自刃した。天王山には真木ら十七烈士の墓がある。筆者も何度か行ったことがある。天王山の死から久留米での生へ、真木の歩みを逆にたどることができ、何やら懐かしい気がした。

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写真①=水天宮にあった真木和泉守の像
写真②=青木繁が17歳まで住んだ家

 給水ポイントの荘島公園は10キロコースの昼食指定場所で味噌汁の提供がある。20キロの参加者にも「どうぞ食べて行ってください」と振る舞ってくれた。接待に当たったのは地元の荘島女性の会のみなさん。聞いてみると調理したのは自衛隊久留米駐屯地の隊員の方だった。少し離れたところで数人の隊員が、われ関せずの表情で大型車両の洗車をしていた。自衛官は警察官と一緒で強面を求められる仕事だけに、愛想の部分は女性の会に任せているのかもしれない。こちらも御礼は心の中だけにとどめた。

 中心市街地に入っていく。その中の住宅街に青木繁(1882~1911)の旧宅があった。青木は近代洋画界で最も著名な画家の1人。代表作に「海の幸」がある。旧宅には8歳から17歳で上京するまで住んだ。床の間近くには絶筆となった作品「朝日」の複製が飾られ、ガイドさんが説明してくれた。

 コースは最終盤。池町川に沿って中央公園に向かう。このあたりでは先にゴールして帰宅途中のウオーカーとすれ違う。「あと少しです。がんばってください」などと声を掛けられた。池町川は、市民が水辺に親しめるようにと筑後川の水を引いて造った人工河川。来月の端午の節句を前にこいのぼりの飾り付けがあった。

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写真①=池町川にはこいのぼりの飾りつけ
写真②=「みんな久留米にくるっぱー!」と呼びかける「くるっぱ」ら

 中央公園のゴールでは、つつじ色のユニフォームの久留米市職員が花道をつくって迎えてくれた。ステージ前のイベントでは久留米市イメージキャラクター「くるっぱ」が登場。筑後川生まれの河童との触れ込みで、市の「キラリ久留米宣伝課長」を務めているという。この日も「みんな、久留米にくるっぱー!」と呼びかけていた。
  1. 2014/04/20(日) 20:00:51|
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第17回久留米つつじマーチ第1日 大パノラマ高良神社・森林つつじ公園コース

2014年4月19日(土)20.6キロ 快晴
場所 福岡県久留米市 
コース 久留米市中央公園~高良川公園~御井小学校~高良大社~久留米森林つつじ公園~山川小学校~筑後国府跡~久留米市中央公園

たずね来て 神とつつじと 人の縁

 「時差スタート」という言葉がある。ツーデーマーチなどウオーキングの大会には長短複数のコースがあるが、ゴール時刻を一定の幅に収めるため、長いコースの出発時刻はその分早い。ところが短いコースの参加者が長いコースの人と一緒に出てしまうことをいう。

 主催者の自治体やウオーキング協会は、正規の出発時刻に合わせてチェックポイントや湯茶接待所の設営をするので早く来られても対応できない。それで時差スタートをしないよう呼びかけている。いわばマナー違反だ。なぜそんなことをする人がいるのか疑問に思っていたのだが、今回図らずも、自分でやってしまう羽目になった。

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写真①=スタッフのみなさんに見送られて出発
写真②=高良大社へは長い石段を登る

 久留米は初めてだ。早めに行って雰囲気を味わっておこうと会場の中央公園に着くと40キロコースの出発式の途中だった。20キロコースに参加のつもりだったのに気合が入ってくる。仮設店舗も開いてない中であと1時間待つのも退屈だ。そんなわけで背中のゼッケンの参加距離欄を「40キロ」と書き換えてスタートする。

 ところが末尾近くで周囲に人が多く、あまり速く歩けない。右も左もわからぬ街を人込みについて進むと高良川の水辺から久留米大キャンパスを横切り、自転車で様々な遊びが楽しめるサイクルファミリーパークを抜けて、高良大社の一番外側に当たる石鳥居が見えてきた。その脇の御井小学校が休息ポイント。ここで5.3キロ、やっとリズムが出てくる。お茶と飴をいただいて先に進む。

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写真①=ようやく本殿に到着
写真②=高良大社のクスノキは樹齢400年

 高良大社は高良玉垂命を祭る筑後の国一の宮。第二鳥居をくぐって丸太の階段を登る。背くらべ石といった神功皇后の朝鮮半島遠征にちなむ石もある。九州に来たことが実感できる史跡だ。踊り場のような自動車道に出て少し歩くと、今度は赤鳥居から石段が続いていた。神職の方が階段を登りきった所で神社のパンフレットを渡してくれた。

 神社には別の道もあるらしく昨年はそちらを通ったという。「今年は正面から登るので、遠方から来た人には分かりやすく参拝できて良かったでしょうね」と並んで歩いた地元のウオーカーが話してくれた。今年で6回目の参加だそうだ。「もっと早くこの大会に出会いたかったです」とやや残念そうだった。

 朱塗りの門と塀の中の、古びた建物が本殿だった。準備不足で神様の名前も由来もこの時点ではろくに知らなかった。浮ついた気分で神域に立ち入り「粗末なことをした」と反省しきりだ。

 大クスノキがあった。周囲は9メートル。社殿改築の際の用材としては使わないためご神木として崇められている。 

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写真①=市街地を見渡せる高台にある夏目漱石の句碑
写真②=つつじ公園の一角にチェックポイントのテントが見えた

 市街地を一望できる高台に夏目漱石の句碑があった。3月の筑後川は菜の花に覆われ黄色い帯のようになるらしい。漱石は熊本第五高等学校(現・熊本大学)の教諭時代に、先輩の見舞いで久留米を訪れたという。

  菜の花の遥かに黄なり筑後川  漱石

 このあたりは耳納山地の西端に当たる高良山(標高312m)の斜面だ。合戦の舞台になった歴史を反映して山城が多い。右へ行くと毘沙門嶽城跡への登りだが、逆に左に下る。福岡県の「県の木」に久留米つつじが選ばれたのを記念して造られた「久留米森林つつじ公園」が見えてくる。

 久留米つつじは江戸時代に久留米在住の坂本元蔵という人が、鹿児島県大隅半島や霧島山系のサタツツジやキリシマツツジをもとに品種改良した。公園内には100種6万株のつつじが植えられている。赤、紫、濃いピンク、薄いピンクと色とりどりのつつじが一面に花開き、参加者は歓声を上げたり記念写真を撮ったりと、思い思いに楽しんでいた。

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写真①=薄いピンクが鮮やかなつつじ。他にもさまざまな色のものがあった
写真②=つつじ色のはっぴを着た山川学区仲良し女性の会のみなさん

 長い下り坂だが、土の感触が快く歩きやすい。40キロコースと20キロコースの分岐に着く。右にとると久留米市東部を巡る40キロ。だが高良大社の登り道から道草しながら歩いてきた。到底、長駆歩き通せるペースではない。背中の数字を再び「20キロ」と書き換え、迷うことなく左にとる。結果的に時差スタートしたことになった。同じようなペースの人が前後合わせて数十人いる。この人たちもそうなのだろうか。

 田園風景の中を2キロ余り進むと山川小学校。20キロコースの昼食会場だ。弁当を注文しておいてもスタート会場で受け取るのでどこで食べてもいいのだが、指定場所では汁物を接待してくれる。門前では男性3人が出迎えてくれた。中から「ここは14.3キロ地点です。味噌汁は山川校区仲良し女性の会から、白玉ぜんざいは久留米商工会議所観光部会からです。どうぞ食べていってください」とのアナウンスが聞こえてきた。

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写真①=久留米商工会議所観光部会のみなさんがぜんざいを振る舞ってくれた
写真②=中央公園で春巻などを売っていた久留米大学留学生のみなさん

 市街地に入り交通量が増える。10キロコースと合流してウオーカーの数も増えてくる。午後1時にゴール。高良大社の登りと久留米森林つつじ公園の道草を考えると、5時間半の所要時間は満足すべきものだった。

 会場には模擬店がたくさん出ている。久留米大学留学生の会が春巻や餃子などを売っている。この日は中途半端なことをして反省の多いウオークになったが、天気に恵まれ完歩できたことに感謝し、春巻をつまみに祝杯を挙げた。 
  1. 2014/04/20(日) 20:00:03|
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如水最後の大博打~軍師官兵衛③(京都府W協会4月例会ファミリーコース)

2014年4月13日(日)13キロ 曇り
場所 京都市中京区、上京区、北区
コースJR二条駅~平安京大極殿跡~報土寺~聚楽第跡~黒田如水邸跡碑~報恩寺~扇町公園~船岡山~大徳寺・龍光院~相国寺~京都御苑~地下鉄丸太町駅

天の時得られず洛中に寓居

 慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦で子の黒田長政を徳川家康率いる東軍に随行させた官兵衛(剃髪して如水)は、合戦が長期化するとみて九州を手中に収め天下を狙おうとした。だが皮肉にも長政の働きで合戦は一日で東軍が勝利を収めた。天の時を得られなかったことを悟った如水は切り取った領地をすべて返納した。

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写真①=如水の妻・光姫の墓の一つがある報土寺
写真②=聚楽第近くに構えた如水の屋敷跡

 「如水が長政に『戦を長引かせよ』と指示しておけば良かった」と言う人がいる。だが長政による小早川秀秋への調略が不発に終わっていたら東軍敗北の可能性は高い。この場合、西軍のまとめ役・石田三成には天下を采配する地力はないので戦国が継続することになる。

 如水の領土切り取りは続いただろうが、九州には加藤清正と島津義久がいる。簡単に倒せる相手ではない。よしんば九州統一に成功しても毛利輝元の領国の中国地方を通らなければ上方には手が届かない。だが西軍総大将の輝元には手が出せないであろう。天下取りなどおよそ現実的ではない

 長政の活躍で大領を獲得したことは、黒田家にとってのメインシナリオであり一番喜ばしい結果である。如水の周辺領土切り取りは万一に備えての生き残りへの保険だったとみるほうがいい。

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写真①=屋敷跡近くに如水町の地名がある
写真②=柳の木が風情を醸し出す一条戻橋

 老境に入って天下取りを目指した軍師・如水には先輩がいる。古代中国の周建国時の軍師。釣り人の代名詞としても知られる太公望呂尚だ。

 以下は酒見賢一著「周公旦」に依る。紀元前11世紀、古代中国の統一国家・殷を滅ぼした周の武王が死ぬ。幼い成王を摂政したのは武王の弟・周公旦だがカリスマ性の低下は覆うべくもない。斉(今の青島・山東半島周辺)の領主となっていた太公望呂尚は「自分が天下を取らないと治まらないではないか」と、殷の紂王の遺児・禄父と、武王の他の弟3人に謀反をそそのかす。

 周公旦は、太公望に次ぐ建国の功臣で燕(今の北京周辺)に領地を得た召公を抱き込む。自身への弾劾文を自ら書いて召公の名で公表させ、それにこたえる形で全土の不満を鎮静化する。文章力で世を治める周公旦の面目躍如たる場面だ。一方、太公望は天の時が得られなかったことを悟り口をつぐみ、単独で蜂起した4人は鎮圧される。

 武王と成王は豊臣秀吉と秀頼に対応するにしても、日中の結末は同じではない。太公望と召公には家康と前田利家を当てたほうがいいような気がする。周公旦はいない。三成にその役回りができれば豊臣の世は続いただろうが…。

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写真①=黒田家の定宿で長政の終焉の地・報恩寺
写真②=応仁の乱の発端となった百々橋の礎石

 出典の書物が手元にないので記憶で書いている。関ヶ原の後、京都の屋敷に多くの客人を招いていた如水に、ある人が「徳川殿の目があるので行動を慎んだほうがいいのではないか」と忠告した。如水は「関ヶ原の際に天下を狙ったが果たせなかった。いまさら何の野心があろうか」と言って意に介さなかったという。

 如水は慶長9(1604)年、京都・伏見城下の黒田家屋敷で死去する。

 時代は下り元和9(1623)年、徳川2代将軍徳川秀忠に先駆けて京都に上った黒田長政は、黒田家が定宿にしていた報恩寺で死去した。如水の妻・光姫(幸圓)は寛永4(1627)年まで75歳の長寿を得て、福岡で死去した。今回は如水と妻光姫、嫡子長政の夢の跡を洛中にたどる。

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写真①=茶の湯関連の建物が並ぶ一角にある本法寺
写真②=長政が如水の冥福を祈って建てた龍光院

 日曜日は崩れると天気予報は伝えていたが、直近になって雨の範囲は近畿南部に限られたようだ。京都府ウオーキング協会の今年のシリーズウオーク「軍師官兵衛」も最終回を迎えた。JR二条駅近くの公園には434人が集まった。当初は平安京の史跡をたどるが、二条城北側にあったとされる聚楽第跡地が近づくにつれ、黒田家関連の史跡が現われてくる。

 報土寺には官兵衛の妻・光姫の墓があり、肖像画を所有している。拝観はできないがKWAスタッフが説明の紙を掲げて案内してくれた。如水は豊臣秀吉から聚楽第北側に屋敷を与えられたので、そのあたりには如水町や旧姓の小寺町といった地名が残る。聚楽第も黒田家屋敷も今はなく石碑でしのぶしかない。

 北へとると長政終焉の地である報恩寺。一帯には応仁の乱初期に戦いのあった百々橋の礎石や、表千家・裏千家など茶の湯に関連する建物も多い。

 さらに北へ足を延ばし大徳寺内の塔頭・龍光院に着く。長政が如水の菩提を弔うために建てたという。

 黒田官兵衛関連の史跡はこれで終了だ。大徳寺から地下鉄北大路駅まで約20分。ここがゴールならいいのにと思いながら、無料公開でにぎわう京都御所まで足を延ばす。満員の予想だったが桜の季節が過ぎたせいか、意外と少ない印象だった。
  1. 2014/04/13(日) 22:13:57|
  2. ウオーキング
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第12回讃岐うどんつるつるツーデーウオーク第2日

2014年4月6日(日)10キロ 曇り
場所 香川県坂出市、綾歌郡宇多津町
コース 坂出駅前市民広場~聖通寺~常盤公園~グリーンベルト~坂出駅前市民広場

海をバックに結婚式いかが

 2月下旬から3月上旬の寒さだという。高松市の予想最高気温は12度。夜来の雨は早朝には止んだがひんやりした湿り気が残る中を集合場所の坂出駅前市民広場に向かう。午前8時からの出発式は20キロと10キロ両コースの合同。香川県ウオーキング協会の阿波谷誠治代表理事が「ことしは瀬戸内海国立公園指定から80周年です。海と瀬戸大橋をさまざまな角度から楽しんでください」とあいさつした。

 両コースのスタッフの紹介などに続いていよいよ出発。10キロコースは20キロの人が出発して5分ほど間を置く。「20キロコース参加の人はもういませんか」という司会者の声に誘われるように、どこからか姿を現しては一人また一人と広場を後にする。

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写真①=紹介を受ける20キロコースのスタッフ
写真②=讃岐豊年太鼓の響きの中を出発

 10キロ参加者は20キロよりやや少ないようだ。しばらくはJR予讃本線の線路沿いに西へとり、2キロほどで北へ向きを変える。途中で同協会スタッフが「良い写真を撮るなら20キロ歩いたらどうですか」と声を掛けてくれる。前日35キロ歩いたのでこの日は10㌔に自重した。アドバイスはありがたいが、気持ちはすっかり緩みきっている。

 田園風景が増えてくる中、聖通寺に到着する。四国八十八カ寺には入っていないが、奈良時代の行基菩薩の開山と言う。寺の後方の山が標高117メートルの聖通寺山。山頂が常盤公園として整備されている。

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写真①=聖通寺の本堂にお参り
写真②=お茶の接待をしてくれた「サン・アンジェリーナ」のスタッフ

 山頂付近の道沿いにあるのが「サン・アンジェリーナ」という結婚式場。3人のスタッフがお茶の接待をしてくれた。瀬戸大橋が眼下に望める。人の胸あたりまでの大型の青い十字架が海を背にして設けられ、結婚式では新郎新婦が親族や友人と記念撮影にするのに使われるのだろう。

 付近は坂出市や宇多津町屈指の桜の名所。下り道では鮮やかなピンクがこれでもかとばかり、視界に迫ってくる。 

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写真①=サン・アンジェリーナから瀬戸大橋が眼下に
写真②=讃岐うどんを振る舞ってくれた坂出市職員のみなさん

 山を下って直進すれば20キロコース。瀬戸大橋下の埋め立て地から沙弥島に向かう。10キロは右へ折れてグリーンベルト遊歩道に入る。一昨年に丸亀城と沙弥島を含む35キロコースを歩いた時、コース終盤を意識してやれやれと一息ついた場所だが、10キロだとさすがに物足りなくはある。

 1.3キロの遊歩道を抜けるとゴールの市民広場の目印となるイオンの看板が見えた。残り約2キロ、と距離から判断するが、実際には1.3キロしかなかった。シャッターが下りたままの店が多い商店街を歩く。平成5年に店を閉じたとみられる美容室を一昨年に発見したが、2年たってもそのままだった。

 ゴールは10時半。市民広場では特別出勤の坂出市職員約20人が、名物の讃岐うどんを振る舞ってくれた。注文しておいた弁当はゴールで受け取り、駅弁代わりに新幹線の中でいただいた。 
  1. 2014/04/06(日) 17:44:30|
  2. ウオーキング
  3. | コメント:0

第12回讃岐うどんつるつるツーデーウオーク第1日

2014年4月5日(土)37キロ 雨のち曇り
場所 香川県坂出市、高松市
コース 坂出駅前市民広場~塩業資料館~西行法師のみち~白峯寺・白峯御陵~へんろころがし~国分寺~鼓岡神社~天皇寺高照院~坂出駅前市民広場

心清め、心を高めるへんろ道

 出発式に遅れたのは痛恨だった。出発の30分前に着いたつもりが、会場では出発の檄がとどろいていた。時刻は7時25分。「定刻まであと5分待ってください」と司会者が言ったが、すぐに「雨が降ってきたのですぐ出発します」と訂正した。「もう出発の方はいませんか」との声に誘われるかのように受付を済ませてあわてて広場を出る。今月(2014年4月)登場したばかりのゆるキャラ「さかいでまろ」が見送ってくれていた。

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写真①=坂出市の新キャラクター「さかいでまろ」
写真②=白峯寺への登り口に当たる青海神社

 筆者にとってこの日はリベンジウオーク。一昨年に初日は35キロ歩いて、疲れが出た2日目は35キロの予定を10キロに短縮した。そのため回れなかった白峯陵やへんろ道に思いが残った。NHK大河ドラマ「平清盛」では、配所の崇徳上皇が、厳島に向かう清盛ら平家納経の船に呪いをかけた。そんな場面を見ると白峯御陵などの山道を歩いてみたいと思い返したものだ。

 ところが2年ごしの念願がかなったはずなのにモチベーションが上がってこない。理由ははっきりしている。折からの雨だ。スタートからしばらく瀬戸内海沿いの道を行くが、海も建物もどんよりとした画面の中にくすぶっているかのようだ。塩業資料館の横を通り、2時間で青海神社に着く。ここが白峯寺への登り口。西行法師のみちに取り付く。

 門をくぐると一面の桜並木を通って本格的な登りにかかる。石段が約800段あるという。約20m間隔で崇徳上皇と、交流のあった西行法師の歌碑が立ち並ぶ。

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写真①=登り口には鮮やかな桜並木
写真②=350段登ったところの東屋で休憩

 崇徳上皇は保元元(1156)年、弟の後白河天皇方との戦に敗れ讃岐(香川県)に配流され、9年後に崩御する。西行はもともと北面の武士(院=上皇=を警固する武士)だったが23歳で出家。73歳で示寂するまでの50年間、高野山、伊勢吉野(?)、善通寺などに庵した。乱の後には仁和寺に訪ねたり、崩御後に讃岐を弔問したりしており、上皇とはかかわりが深い。讃岐での上皇の霊との交感は、能や雨月物語の主題にもなっている。

 西行の歌は「一首詠み出でては一体の仏像を作るの思いをなし、一句を思い続けては秘密の真言を唱うるに同じ…」の心情がこもったものだったと案内板にあった。山家集などに残る数々は卓抜不朽の歌であると紹介している。一方の上皇の歌には都を懐かしむものが多い。

  鳴けば聞く聞けば都の恋しきにこの里過ぎよ山ほととぎす 崇徳院

  心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮 西行法師
 
 桜が満開のこの季節にぴったりの歌もあった。

  春風の花をちらすとみる夢は覚めてもむねのさはぐ也けり 西行法師

  願わくは花のもとにて春死なむそのきさらぎのもちづきのころ 西行法師

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写真①=延々と続く石段
写真②=チェックポイントになっていた白峯寺護摩堂

 幸い雨は止んだ。石段を登りながら歌碑に目を走らせる。足を止めるわけにいかないので、味わう間もなく次の歌碑が見える。次々と忘れてゆくのだが、それでも頭の中が名歌でいっぱいになるような心地よい感覚で、何ともぜいたくな気分になってくる。  

 かなり登ったところに東屋があってお茶の接待があった。ここで約350段だと聞かされた。まだ半分にはならない。周りの参加者からは悲鳴にも似た喚声が上がる。

 階段を登りきると白峰御陵への分かれ道。81番札所白峯寺門前には弘法大師の像がある。門を入った突き当りが護摩堂。左手がチェックポイントになっていた。コースはここから引き返してへんろ道に入るのだが、本堂にお参りしようとさらに奥に進む。護摩堂前を左にとって50mほどで別のお堂があった。ここかと思ったら違った。お堂の入り口右手に100段ほどの石段があった。800段登って相当疲れているがここまで来てお参りしないわけにいかない。

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写真①=さらに上の本堂には遍路の一行が心経を唱える
写真②=国分寺にもお遍路さんの姿

 頭上から聞こえる読経の声に導かれて最後の石段を登る。本堂前ではお遍路さん姿の団体数十人がお経を唱えていた。  

 本堂まで登っている間に他のウオーカーからは遅れてしまった。チェックポイントに戻り白峯寺を出て、四国のみちと名付けられたへんろ道を行く。よく踏まれた山道で、天気が良ければ足にも柔らかく気持ちいいはずだが、雨上りで一面ぬかるんでいる。水の少ない部分を選んで歩を進める。遍路姿の人と時折すれ違う。「こんにちは」と声を掛けあうのが気持ちいい。

 ツーデーマーチに参加して帰ると、みそぎをした後のような清々しさを感じる。遍路となるとその何倍も、新生の思いが強烈なのに違いない。昔、菅直人・元首相がお遍路に出たという新聞記事を見たが、政治家にとっても自分を見つめなおす良い体験なのだろう。「同行二人」と記した白装束に身を包み、一人か二人で歩く人もいれば、バスを利用しての団体もいる。外国人の男女にも会った。

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写真①=崇徳上皇が使ったという内裏泉
写真②=八十場の泉にはところてんの店がある

 第80番札所の国分寺が昼食場所。ここまで白峯寺から約2時間。へんろころがしと呼ばれる急な下り坂もあり結構きつい。国分寺境内中央には巨石が十数個ベンチ代わりに配置され、注文の弁当を受け取り休憩する。境内で飲食していいのがありがたい。大半の参加者はとっくに行き過ぎたのだろう。休んでいる人はまばらだった。

 配流後の御所とした木の丸殿があった鼓岡神社を通る。近くには上皇が使ったことから「内裏泉」と呼ばれる井戸があった。

 79番札所天皇山高照院に隣接して八十場の泉があった。上皇の崩御後、都からの検視を待つため遺体を21日間浸しておいたと伝わる場所だ。ここの名物はところてん。空模様が怪しくなってきたので足を止めるかどうか迷ったが、話の種にと試してみた。小皿一皿250円。味はもちろん悪くなかったが、ひんやりした日だったので満足度は今一つだった。

 ゴールは午後3時50分。振る舞いの讃岐うどんはいただいたが、周囲ではすでに片付けが始まっていた。
  1. 2014/04/05(土) 18:46:14|
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