京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

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亀岡七福神と和らぎのみち(北京都ウオーキング協会1月例会)

2014年1月26日(日)14キロ 曇り時々しぐれ
場所 京都府亀岡市
コース JR亀岡駅~①神応寺(毘沙門天)~②養仙寺(布袋尊)~和らぎのみち~③蔵宝寺(大黒天)~④金光寺(弁財天)~⑤耕雲寺(恵比寿)~出雲大神宮~⑥極楽寺(寿老人)~⑦東光寺(福禄寿)~JR千代川駅

丹波しぐれに震えた七福神詣

 前日の春の陽気は夜半の雨とともに消えた。それでも朝の京都駅周辺は道も乾き、さらに降りそうな気配はなかった。カラッとさわやかなウオークを楽しめると思ったのが甘かった。JR山陰線で亀岡駅に着いた途端、しぐれ交じりの寒風に身が震えた。

 山城と丹波でこれだけ天気が違うものかと驚いたが、丹後はもっと大変だったらしい。舞鶴市に住む会のスタッフは「出がけには大雨が降ってました」と話してくれた。雨をついて車で2時間かけて出てきたという。

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写真①=しぐれの中を元気に歩を進める
写真②=毘沙門天を祭る神応寺

 北京都(ほくと)ウオーキング協会は京都府北部が主な活動エリアだ。いつもなら早起きして午前9時までに綾部市以遠に行かないといけない。だがこの日は数少ない府南部での例会。しかも10時集合なので午前9時17分京都発山陰線で、ゆったり間に合う。

 参加者は普段より幾分多めの54人。駅舎の窪んだ一角で寒風を避けていたが、定刻になると気合を入れ直して駅前広場で円陣を作り出発式に臨んだ。強風としぐれの中を保津大橋を渡ると、亀岡市民駅伝のランナーが通り過ぎて行った。

 駅伝の中継所があったのでランナーの写真を撮っていると遅れてしまった。アンカーを含む十人程度で隊列を追いかけたがなかなかつかまらない。神応寺の登り口まで来ても気配すらない。そこへ先頭旗に率いられた一行が後ろから来たのに驚いた。別の道を通って駅伝選手の通過で足止めされてしまったとのことだったが「アンカーが先頭を抜かすとは前代未聞」と大笑いだった。

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写真①=養仙寺の布袋様に手を合わせる
写真②=蔵宝寺にあった大黒天のレリーフ

 七福神はいずれも小ぶりの寺だが、道々赤いのぼりが立っているので目立つ。それぞれの神様の石像が境内の一角に立っている。スタッフが台紙に定番のスタンプを押してくれる。観光ルートとしてすっかり定着しているようだ。

 それでも道は大変ややこしい。自動車道から地道に入ったり、けもの除けの網戸をくぐったり…。引率者がいないと苦労すること請け合いだ。和らぎの道という名がついた山麓の道を通る。七谷川沿いの散策路で、30品種1500本、全長2.2キロに及ぶ桜並木がある。春にはライトアップも実施される亀岡一の花の名所だ。芸術回廊を目指すということで、地元の高校生による顔の塑像が並んでいた。 

 牛松山への標識があった。亀岡に住んでいる当時の勤め先の同僚が、一緒に登ろうと誘ってくれた山だ。日程が合わずに実現しなかったが、丑年の新年登山にとの触れ込みだった。今は午年。もう5年前になる。

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写真①=弁財天を祭る金光寺
写真②=拝殿の傍らでえびす顔の恵比寿様

 正午10分前になったが、午前中の行程を2寺残している。「時間が押してるね」と一部の参加者が気に病むが、早く弁当を食べたいとの共通の思いがあったのだろう。弁天様と恵比寿様には手早くあいさつし、正午をそれほど過ぎない時間に出雲大神宮に着いた。

 出雲大神宮は和銅2(709)年創建といわれる、丹波國一之宮。 縁結びの神様として知られる。大国主命と后神の三穂津姫命を祭っている。毎月第4日曜に催行される縁結びまつりも人気のようだ。神域は広く摂社末社も多い。2世代夫婦だろうか。一列に並んで柏手を打ち頭を下げている。拝殿の奥山にも神様がいるのだろう。「登る人は社務所に申し出てたすきを掛けてください」との張り紙があった。

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写真①=丹波一の宮の出雲大神宮
写真②=極楽寺門前の寿老人の像

 鳥居の外側の、階段を上ったところに会議室のような部屋があり、出雲大神宮第1回写真展の作品が飾ってあった。紅葉の写真が多かったが、朝の厳かな雰囲気を写し取ったものなど力作ぞろいだった。神社は「食事に使ってもらって、作品の講評もしてください」と好意的だったが、昼のひと時だけは日差しに恵まれたので、多くの参加者は神域外の階段やベンチで思い思いに弁当を広げていた。

 地元の人が出す飴や野菜の出店を冷やかした後、午後1時に出発。同時にまた空が曇ってきた。寒さのせいで足早になってくる。寿老人様、福禄寿様にお参りを済ませ、JR千代川駅に向かう。

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写真①=東光寺の縁側にあった福禄寿の絵
写真②=福禄寿の像は階段の傍らにあった

 千代川駅からほとんどの人は北へ帰るものと思っていたが、集合場所の亀岡駅周辺まで車で来た人がかなり多く、14時25分京都行きの山陰線を目指す。駅に着いた人からストレッチをして筋肉をほぐしながら、健闘を讃え合った。

 京都駅まで戻ってみると、思った通りこの日雨が降った形跡はなかった。
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  1. 2014/01/26(日) 18:52:13|
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ピリケンさんとビリケンさんに逢いたくてハイク(駅長おすすめ・さんよう土曜ハイク)

2014年1月25日(土)11キロ 曇り
場所 神戸市兵庫区、長田区
コース 神戸高速新開地駅~湊町公園~西出町鎮守稲荷神社(ピリケンさん)~松尾稲荷神社(ビリケンさん)~西出町まちなか倶楽部(高田屋嘉兵衛記念館)~能福寺~柳原蛭子神社~ノエビアスタジアム神戸~水笠公園~山陽電鉄西代駅

ビリケンさん・嘉兵衛・清盛に会った

 兵庫県南側の海岸づたいに神戸~姫路間を走る山陽電車は主催ハイキングにも熱心だ。日曜の山陽ハイクを月2回、水曜の平日ハイクと土曜の駅長おすすめ土曜ハイクをそれぞれ月1回催行する(盛夏を除く)。京都からだと電車で片道2時間以上かかることもあり敬遠していたが、この日のエリアが山陽電車沿線では東端で比較的近いことから、ビリケンさんに会いに腰を上げた。

 京都から三宮までJR新快速を使い、阪神電車に乗り換えて最寄り駅の神戸高速新開地駅に着く。この日の大阪の最高気温は15度で4月並みの陽気。改札口から道路反対側の湊町公園に向かうと既に多くの参加者が詰めかけて、最終的に544人が集まったという。山陽電車の社員とアルバイト計16人のスタッフが深緑色のウェアを着て参加者の世話に当たってくれた。

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写真①=狭い境内は参加者で満員になった西出町鎮守稲荷神社
写真②=ピリケンさんはガラス越しに足裏を見せて座っていた

 ビリケンさんは1908(明治41)年にアメリカの女性彫刻家が夢に見た神様をモデルに作ったという。足の裏をくすぐり笑えば願いがかなうと言われ、幸運のマスコットとして世界的に大流行した。戦前に作られたビリケンさんはこの日訪ねた2体だけといい、松尾稲荷のほうをビリケンさん、西出町鎮守稲荷はピリケンさんと呼ぶ。近くに二つあるので区別するためらしい。鎮守稲荷の本殿にピリケンさんが祭られておりガラス越しに見ることができた。空洞になっている寄木作りの体内から「昭和五年十月五日」「ピリケン菩薩」と記された小石が出てきたことから、約85年前のその頃作られたとみられる。

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写真①=松尾稲荷神社には奉納された提灯が無数に吊り下げられていた
写真②=頭のとんがったビリケンさん。鼻、口、耳も大ぶり

 もう一つの松尾稲荷神社までは至近距離。石や朱塗りのいくつもの鳥居をくぐり階段を上る。社殿の天井には無数の赤提灯が吊ってあり、何ともにぎやかな印象を受ける。ビリケンさんは左奥に安置されていて、一列になって行かないといけないので時間がかかる。

 参拝の人はビリケンさんの頭をなでて自分の頭に触る。知恵をいただこうということだろう。頭がとがり、耳、鼻、口いずれも大きい。足の裏を突きだしているはずだが、首から下はオレンジ色の布で覆われていた。

 神社の右脇から路地に出るとホルモンの串焼きとお好み焼きの2店があった。ここのお好み焼きは丸めて海苔で巻いて食べるのが特徴。ちょうど巻き寿司の中身をお好み焼きにしたようなものだ。二切れ百円。小腹がすいたところなので、歩きながら食べるのに最適だった。「ひかり」というこのお好み焼き店には最近テレビ局の取材も入ったという。

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写真①=海苔巻きのお好み焼きを売る「ひかり」。テレビ局も取材に来た
写真②=西出町の高田屋嘉兵衛記念館では嘉兵衛の生涯を紙芝居で再現していた

 西出町内の集会場「まちなか倶楽部」は江戸時代の豪商・高田屋嘉兵衛記念館でもある。高田屋嘉兵衛は寛政2(1790)年に故郷の淡路島から西出町の廻船問屋・堺屋喜兵衛のもとに身を寄せ、やがて独立し函館(北海道)に出店を構え、蝦夷地の開発にも尽くした。ロシアに捕らえられたのが契機となり、日露友好にも努力。司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」の主人公として知られる。

 文政5(1822)年に引退して淡路島に帰るが、その後も嘉兵衛が贈った石灯籠が鎮守稲荷神社に残るなど、育ててくれた西出町には終始愛着を抱き続けたという。記念館では係員が嘉兵衛の生涯を描いた紙芝居を見せてくれた。

 能福寺は平清盛ゆかりの寺としても知られる。治承4(1180)年に福原京遷都計画に伴って平家一門の祈願寺に定められたことで、大伽藍が建設され大いに栄えた。南北朝時代に兵火で七堂伽藍全てを焼失したが、慶長3(1599)年に再興されたという。

 その中でひときわ目を引くのが兵庫大仏。1891(明治24)年に豪商・南条荘兵衛の寄進により建立され、日本三大大仏の一つに数えられたが、残念なことに1944(昭和19)年、金属類回収令で国に供出され鋳つぶされた。もったいないことをしたものだ。現在の大仏は1991(平成3)年に再建された。

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写真①=神戸運河のほとりにある「清盛くん」
写真②=能福寺の神戸大仏は平成の再建だ

 兵庫の港は奈良時代から天然の良港として知られ、大輪田泊と呼ばれ親しまれてきた。平安時代末には平清盛によって経が島建設などの大修復工事が行われ、日宋貿易の拠点となった。その後、兵庫津と呼ばれ明との勘合貿易の中心舞台としてにぎわい、1868(明治元)年には兵庫港が開港され今日の神戸港発展の基礎となったという。

 近代になって造られたのが兵庫運河。1893(明治26)年に設立のための会社ができ、3年後に着工したが、井戸の水位低下や海水による農業被害への危惧から反対意見が相次ぎ、1899(明治32)年にやっと完成。難所の和田岬を通らなくて済むようになった。

 それゆえこの一帯には清盛にかかわる史跡やモニュメントが多い。兵庫区では「清盛がいなかったら兵庫の発展はなかった」と、2005(平成17)年に地域のシンボルとして像「清盛くん」を製作し、兵庫運河の入江橋傍らに設置している。

 2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」で思い出す場面がある。平家一門が筆写した経本を広島県の厳島神社に納めに行く「平家納経」の回だ。髪、ひげ、爪を伸ばし放題の異形の身となった崇徳上皇が香川県の配流先から呪いをかけ、一門と経本を乗せた船は瀬戸内海で嵐に遭う。一門の中から「経本を海に捨てて、怒りを鎮めよう」と意見が出るが清盛は断固として許さない。見えない敵に向かっての気迫のぶつかり合いの末、上皇が失神して嵐が治まった。

 大輪田泊開港の際に志願して人柱となった17歳の少年を祭る神社もあったが、上記のドラマから見て清盛は合理的な考え方ができる人だったと思う。人柱のような悪習に対して、「命を大切にしろ」と止めることはできなかったのだろうか。歴史上のこととはいえ残念に思う。

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写真①=頭が丸い0型新幹線と新幹線開業前の特急こだま
写真②=「白いコインが当たりです」と言われるがなかなか引けない

 南に道をとり兵庫運河近くの御崎公園で昼食休憩。Jリーグ・ヴィッセル神戸本拠地のノエビアスタジアムが隣接する。到着は午前11時40分。中間リーダーを務めるスタッフが「先頭は正午に出発しますが、私はその10分後まで待ちますのでゆっくり食べてください」と声をかけてくれる。

 運河近くに広大な川崎重工業兵庫工場があった。JRはもとより山陽電車、京阪電鉄、阪神電鉄、泉北高速鉄道など数多くの鉄道車両を造っている日本有数の車両基地だ。構内を見ると4種類の車両がレールの上に並び、道路沿いの敷地内には東海道新幹線開業の1964(昭和39)年から2008(平成20)年まで活躍した頭の丸い0型車両と、新幹線開業前に東海道本線の東京~大阪・神戸間を走った特急「こだま」の車体が展示してあった。

 「地下鉄の車両をどうやって入れるのか考えると夜も眠れない」という漫才のネタが昔あった。兵庫工場の車両もどうやって運ぶのだろう。深夜、巨大なトラックに積むのだろうか。レールはどうするのか。眠れなくなりそうなので考えるのをやめた。

 ゴールの水笠公園では福引が待っていた。ルーレットなどに使うプラスチックコインを1枚引く。白が出たら当たり。待っている間にも、時折当たりを祝う拍手が聞こえてきた。
  1. 2014/01/25(土) 19:13:35|
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第4回西大路七福社ご利益めぐりウオーク(京都府W協会1月例会ファミリーコース)

2014年1月19日(日)14キロ 晴れのち曇り一時雪
場所 京都市南区、下京区、中京区、上京区、北区
コース JR西大路駅~①吉祥院天満宮~②若一神社~③春日神社~④大将軍八神社~北野天満宮~⑤平野神社~⑥わら天神宮~⑦熊野神社衣笠分社~JR円町駅

神社も歩友も個性派ぞろい

 京都市の西大路通りの近くにある七つの神社のご朱印を集めて1年のご利益をいただく「西大路七福社」巡りが毎年1月から2月にかけて催される。この日は京都府ウオーキング協会(KWA)主催によるタイアップウオークで、七福社を南から北にたどる。好評につき毎年開催しており今年で4回目になる。

 七福社とそのご利益は、南から順路沿いに▽吉祥院天満宮=知恵・学問▽若一神社=開運▽春日神社=厄除▽大将軍八神社=建築方除▽平野神社=開運▽わら天神宮=安産▽熊野神社衣笠分社=延命長寿―となっている。

 午前7時段階ではうっすら雪が積もっていた。この冬初めて長靴を履いて出たのだが9時過ぎには道路の雪は溶けていた。長靴で長距離を歩いたりしたら足を痛めるリスクがある。ウオーキングシューズに履き替えに帰ったのでJR西大路駅には10時ぎりぎりの到着となった。

 出発式ではコースリーダーが主なご利益を説明する。例として「妊娠している人は、わら天神宮がいいですよ」と言うと、高齢者ぞろいの参加者からは「そんな人いーひん」と笑いが漏れた。リーダーはご朱印を集める色紙の購入を勧めた。最初にお参りする吉祥院天満宮では同天満宮のご朱印の入った色紙を400円で購入する。あとの6神社では300円ずつ納めて色紙にご朱印を押してもらう。すべて集めると2200円かかる。「私は神社の回し者ではありませんが」と予防線を張りながら「ご利益を得られることを思えば安いものです」と呼びかけた。

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写真①=吉祥院天満宮で七福社めぐりを開始
写真②=300円を納めて台紙に御朱印をいただく(若一神社)

 吉祥院天満宮ではお参りを済ませた参加者に、スタッフが社務所前で「色紙が要る人はここでお金を納めてください」と呼びかける。入手する人は10人に1人くらいだろうか。もっと少なかったかもしれない。西大路九条交差点で歩道橋を渡って直角に曲がる。橋上から眺めると、前方にも後方にも参加者の列が長く続く。

 若一神社は平清盛の西八条の屋敷跡と伝わる。清盛お手植えとされる樹齢850年のクスノキが歩道に茂り、このため西大路通が一部湾曲している。狭い境内は人でいっぱい。拝殿にも、ご朱印をいただく社務所にも列ができた。

 集合時点では晴れて比較的暖かかったのにだんだん風が冷たくなる。「上(かみ=北)に行くともっと寒くなるね」と話している参加者がいた。本日のコースは北端でも北大路通を越えない。「市街地の中でそんな極端な違いはないだろう」と思っていたが、後述のように天気はかなり違った。

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写真①=平清盛が植えたといわれるクスノキ
写真②=厄除けの神様・春日神社

 西大路の西側の佐井通(春日通)を五条近くまで北上したところの公園でトイレ休憩。男女とも約30人が並んだ。全員が終わるのを待っているわけにもいかず出発。休日でも人通りの多い阪急西院駅近くを通る。仲間の一人が、四条春日交差点西南のキムチ店を指さし「ここの味は絶品ですよ」と教えてくれた。

 三条坊町公園が昼食予定地。グランドと外側の芝生帯を区切る高さ10センチ程度の縁石に腰を下ろして弁当をとるが、寒さのため早々に食べ終えて腰を上げる。出発は零時45分との案内があったが、その15分も前から公園出口に参加者が集まった。参加者は229人との発表があった。400人を超えた年もあるが、早朝の雪と大阪で別の協会の例会があったことから、この数にとどまったようだ。

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写真①=大将軍八神社は方位を司る神様だ
写真②=北野天満宮には長い列ができた

 北野天満宮から南に続くことから天神通というのだろう。その道を北上して一条通を少し西に入ると大将軍八神社がある。二つの道の狭い交差点には、三つの角にKWAスタッフが立った。神社前にも2人が立ち、計5人でお参りに入る人と出る人が一列で安全に歩行するよう誘導してくれた。方角を司る神様なので拝殿前の方位盤が目を引いた。

 北野天満宮は七福社に入っていないが、外すわけにいかない。神社の知名度や格はもちろんだが、広いトイレが2カ所にあり、団体で行ってもほとんど待たずに使用できるからだ。一般の参拝者も多い。「両脇からも参拝してください」というアナウンスがあったが、やはり正面からでないとご功徳が弱くなるとでもいうのだろうか。中央に長い列が続いた。

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写真①=開運を願い平野神社にお参り
写真②=樹齢400~500年と言われる平野神社のクスノキ

 北野天満宮を北門から出るとすぐ西に見えるのが平野神社。樹齢400~500年というクスノキがある。参拝を済ませた人の中には、ご神力をいただこうとするかのように、両手で抱きかかえる人が目立った。

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写真①=安産の神様わら天神宮に参拝
写真②=コンクリート造りの中に祭壇がある熊野神社衣笠分社

 わら天神宮がこの日のコースの北端。西南に迂回して最後の神社である熊野神社衣笠分社に着く。粉雪が舞いだした。駐車場には3~4センチの雪を積んだ車が止まっている。分社はコンクリート製の小ぶりの造り。拝殿右手で色紙を持った人が最後のご朱印を押してもらっていた。「見せてもらって祝福してあげればよかったなあ」と後になって振り返っているが、その時は寒さで余裕がなかった。

 粉雪の中をJR円町駅まで南下してゴール。帰りの山陰線で京都駅が近づくにつれて雪がやみ青空になっていったことを考えると、北と南でかなり天気が違ったのかもしれない。
  1. 2014/01/19(日) 18:57:59|
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福知山初詣神社めぐりウオーク(北京都ウオーキング協会1月例会)

2014年1月12日(日)12キロ 曇りのち晴れ
場所 京都府福知山市
コース JR福知山駅南口~長谷霊園~一宮神社~福知山城~久昌寺~御霊神社~中丹勤労者福祉会館~JR福知山駅北口

トイレの神様は憤怒の相

 北京都(ほくと)ウオーキング協会は新年最初の例会を総会ウオークに当てており、京都府中丹地域の舞鶴市、福知山市、綾部市で順番に開催する。今年は福知山市の番。毎回、地元の神様にお参りしてから年次総会を開く。この日は市内の5社寺を巡る計画。出発式では「社寺は市街地に固まっているので1時間ほど南へ迂回して歩いてからお参りをします」とコースリーダーから説明があった。

北京都新年例会出発式 福知山一宮神社参拝
写真①=「黄色い協会旗は先頭、赤い旗はアンカーです」と出発式で旗の説明
写真②=一宮神社本殿にお参りする参加者

 総会ウオークの日は例年参加者が多い。それだけ会員の、会に対する思い入れが反映されているのだろう。昨年は104人が集まったが、この日も90人ほど参加。歩く経験の少ない人もいるらしく自然と列が長くなり、途中の道で列詰めする。寒いことは寒いが付近の田には雪や霜はない。丹波霧が放射冷却を防いでいるのかもしれない。

 一宮神社というから丹波国一宮かと思ったら違った。丹波国一宮は亀岡市の出雲大神宮。福知山の一宮神社は「いっきゅう」と読む。本殿の左右後方には多くの境内社があり、五穀豊穣、家内安全、学業成就など、それぞれの神様のご利益が記してあった。

 次は福知山城内の朝暉(あさひ)神社に参る。かまぼこ型の橋を渡って城内に入り、天守閣の下にある小さいほこらに祈願する。

福知山城到着 福知山城朝暉神社
写真①=かまぼこ型の橋を渡って福知山城に入る
写真②=天守閣の真下にあるのが朝暉神社

 由良川の音無瀬橋近くの河川敷で福知山市の消防出初め式が行われていた。堤防へ上るため信号待ちをしているところへ「これで一斉放水を終わります」とのアナウンスが聞こえてきて、筆者の周辺の参加者から落胆の声が上がった。だが式そのものは終わっておらず制服姿の消防団員数百人が整列。市の消防団組織の長であろう。「制服を脱いだ時にも消防団員であるという自覚をもって1年を過ごしてください」との訓示をしていた。

 植村花菜さんの歌「トイレの神様」がヒットしたのは2010年だが、久昌寺のトイレには、ほんとうに「トイレの神様」が祭られていた。この「神様」は歌詞にある女神ではなく、全身を火炎で覆われ憤怒の相をした烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)という仏像。どんな所にも出かけ、人々を下半身の病気から守ると言われている。京仏師・海老名峰彰さんの作品で1982(昭和57)年から祭られている。

 トイレは男女共用で女性が列を作った。途切れるのを待って、ようやく写真に収めることができた。

 久昌寺は曹洞宗で本山の一つは福井県の永平寺。創建は豊臣秀吉の時代の文禄元(1592)年で、後に福知山藩主・朽木家の菩提寺となった。

久昌寺トイレの神様 御霊神社消防団朝礼
写真①=久昌寺トイレに祭られていた烏枢沙摩明王
写真②=御霊神社では消防団が朝礼を行っていた

 出初め式を終えた消防団員は地域ごとに分かれて朝礼に移ったようだ。明智光秀を祭る御霊神社にお参りするはずだったが、境内には団員数十人が整列している。ウオーカーが多数入り込んで引き締まった雰囲気を壊してはいけないので参拝を自粛した。市民の安全を託している人たちに敬意を表するのは当然だ。

 正午近くなったので少しペースアップして、最後に参拝予定だった厄除神社は門前を素通りするにとどまった。総会会場の中丹勤労者福祉会館にゴールして持参の弁当をとる。総会では2014年の年間予定が示され、役員からは「例会の日は今から印をつけておいて万障繰り合わせて参加してください」「友人知人に声をかけてウオーキングの輪を拡大しましょう」などの要望が出ていた。
  1. 2014/01/12(日) 20:17:01|
  2. ウオーキング
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官兵衛と秀吉が築いたまち①「山崎の合戦」(SKYウオーキング歩こう会1月例会)

2014年1月11日(土)10㌔ 快晴
場所 京都府乙訓郡大山崎町
コース JR山崎駅~離宮八幡宮~妙喜庵~アサヒビール大山崎山荘美術館~宝積寺~旗立松展望台~十七烈士の墓~酒解神社~天王山山頂~柳谷別れ三叉路~小倉神社~山崎聖天~大山崎町歴史資料館~阪急大山崎駅・JR山崎駅

天下への第一歩、記した山崎

 高齢者の健康と生きがいづくりをテーマに京都SKYセンターが発行する季刊誌「SKY」は、「お歩きやす京都」と題して年間テーマに沿ったウオーキングコースを紹介している。2014年のテーマはNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にちなんで黒田官兵衛が選ばれた。

 その初回は「天下統一へ山崎で第一歩」。天正10(1582)年6月、本能寺の変で織田信長が家臣の明智光秀に討たれた。この時、備中国(岡山県)で毛利方と対陣していた羽柴(後の豊臣)秀吉に官兵衛は「これで運が向いてきましたな」とささやいたと言われる。秀吉は官兵衛の策を容れ、急きょ和睦して中国大返しを敢行し、山崎の戦で勝利した。

 その意味で山崎は豊臣秀吉が天下人となる足掛かりを築いた地。古戦場は天王山と桂川に挟まれた平野部だが、そこを天王山中腹から眺めて楽しもうという趣向だ。センター傘下の同好会の一つ「SKY歩こう会」は季刊誌で紹介されたコースを実際に歩くイベントを行っており、この日はそれに当たっていた。

離宮八幡宮油祖像 妙喜庵前説明
写真①=離宮八幡宮では油祖像が出迎え
写真②=「国宝になっている茶室は三つです」と妙喜庵の前で説明

 朝は相当冷え込んだが、明るい冬晴れに誘われて77人が集まった。世話役の一人は「山登りコースだと恐れをなして来ない人が多いのに、こんなに集まるのは珍しい」と話していた。JR山崎駅近くの離宮八幡宮に立ち寄る。中世には、油座を組織し全国の荏胡麻油専売権を握り販売を独占した生産者がこの地を本拠に勢威を誇ったという。再び駅前広場に戻り妙喜庵の前で説明を受ける。ここには千利休が唯一残した茶室と言われる「待庵」(国宝・非公開)がある。国宝の茶室には全国で3例しかなく、その一つらしい。

 JR東海道線の長い踏切を渡り、天王山への坂道に取り付く。山麓には多くの名所や施設があり、観賞しながらの登りになる。最初はアサヒビール大山崎山荘美術館。大阪で活躍した実業家・加賀正太郎が大正、昭和初期に営んだ英国風邸宅。アサヒビール初代社長の山本爲三郎が支援した民芸運動の旗手たちの作品や、フランス印象派の巨匠モネの「睡蓮」などが展示される。

 美術品も調度品も景観も素晴らしい美術館。この日は無料の庭園しか通らないが「値打ちのある場所なので、またの機会にぜひ中に入ってください」と周囲の参加者に勧める。

大山崎山荘美術館見学 宝寺三重塔説明
写真①=アサヒビール大山崎山荘美術館前で見学
写真②=宝積寺三重塔を見ながら説明を聞く

 宝積寺は奈良時代に行基が開基したと伝わるが、桃山時代建立の三重塔(重要文化財)が有名だ。美術館からいったん下って山門から塔へと登り返すほうが、雰囲気を味わうには良いのだが、後の行程も考えて、美術館から本堂横への近道をとる。ここからだと塔に行くには階段を下りないといけない。せっかく登ったのに高度を損するのを嫌ったのか、塔を見に行く人はほとんどいなかった。

 寺からいよいよ本格的な登りにかかる。石の多い山道だが、筆者の見た限り、参加者はみんなトレッキングシューズで足元を固めてくれていた。それでも急坂なので遅れる人が出てくる。「先頭、ちょっと止まって」と後ろから声がかかったあたりで、ちょうど7合目付近の青木葉谷展望台に到着した。

 あと5分も登れば旗立松展望台に着く。山崎合戦のさい秀吉が士気を高めるため老松の樹上高く千成ひょうたんの旗印を掲げた場所で、眼下には淀川の流れ、大阪平野、京都盆地が望める。休んでばかりいられないので足は止めない。10人ほど入れる展望スペースに交代で入ってもらった後、すぐの出発となる。

 ハイキングコースには小説「鬼と人と」で信長と光秀の相克を描いた作家・堺屋太一氏の監修による6カ所の陶板画が、本能寺の変から秀吉の天下取りへの歩みを、氏の史観を基に伝えてくれる。

 文久3(1863)年の蛤御門の変で敗れ天王山で自刃した尊王攘夷派の真木和泉守ら17人の「十七烈士の墓」と鎌倉時代前期の建築の神輿庫のある酒解神社を通って、いよいよ待望の天王山山頂だ。

天王山山頂出発 山崎聖天観音寺参拝
写真①=天王山山頂を出発
写真②=山崎聖天を参拝する参加者

 天王山は標高270.4㍍で丹波山地東南端の山。山崎合戦の直後、秀吉の手で城が築かれたが、大阪へ本拠が移るとともに廃城となった。山頂には城郭や天守閣のあった位置を示す案内板があり、一段高い天守閣跡には石が積まれ、山頂を示す標識が立っていた。

 展望は利かないが広い山頂なので参加者は思い思いに分かれて弁当を摂る。89歳の最高齢の男性もしっかりした足取りで山頂に立った。

 少しアップダウンを繰り返した後、柳谷別れ三叉路からは急な下り道。列は長くなるが山中で立ち止まっていると体温を奪われるばかり。迷い込む恐れのある脇道もないので先頭には小倉神社までゆっくり歩いてもらう。
 
 小倉神社でトイレ休憩をとった後はJR山崎駅に向かって街歩き。途中、右手に山崎聖天(観音寺)に登る階段がある。山から下りてきたところなのにまた登り返すのはきつい。一部の人は近くの公園で待っていることになった。

 阪急京都線とJR東海道線が立体交差するあたりで歩行者用の踏切を渡る。阪急大山崎駅手前には大山崎町歴史資料館があって、妙喜庵の茶室「待庵」の原寸大レプリカもあるのだが、筆者が見た限り誰も立ち寄る人はいなかった。
  1. 2014/01/11(土) 21:01:45|
  2. ウオーキング
  3. | コメント:0

古都の初詣ウオーク「世界遺産/西の京」「新大極殿」(大和ウオーキング協会設立例会)

2014年1月9日(木)13キロ 曇り一時雨
場所 奈良市
コース 近鉄西の京駅~薬師寺~唐招提寺~垂仁天皇陵~平城宮朱雀門~ウワナベ古墳~コナベ古墳~磐之媛命陵~平城京遺構館~大極殿~近鉄西大寺駅

雨降って 地固まった旗揚げ例会
 
 奈良県に新しいウオーキング団体「大和ウオーキング協会」が誕生した。この日は記念すべき第一回例会。集合場所の近鉄西の京駅に降り立つと、紺地に白い「Y」の字入りの帽子をかぶった協会スタッフが、薬師寺に招き入れてくれた。玄奘三蔵院伽藍西側の広場での出発式では設立記念のセレモニーも合わせて開かれた。

 同会の田島忠夫顧問は「一つ一つの例会を丁寧にこなしていきたいと思います。皆さんの知恵をお借りしたいのでご協力をお願いします」とあいさつ。続いて場所を提供してくれた薬師寺からは安田奘基録事が祝辞を述べた。ユーモラスな語りで参加者を笑わした後、仏法を求めて天竺(インド)に向かった、「西遊記」で有名な中国・初唐時代の僧・玄奘三蔵を例に、歩くにも目標を持つ大切さを強調した。薬師寺は玄奘三蔵が持ち帰って漢訳した経典の流れをくむ法相宗の総本山だ。

 浅田晴夫会長は「限られた宣伝しかしていないのに200人以上もの人に集まってもらって感激です」と設立の第一声。今後の目標として①事業・決算報告も行う信頼される会②参加者の心が通い合う会③マナーを守りウオークに感謝する会―の3点を掲げて高い志を披露。さらに「やあ!おはよう明るい挨拶さわやかに」「信号であわてず焦らず待つ余裕」「広がるな参加者だけの道じゃない」「自分のゴミ自分の責任持ち帰り」「歩かせていただく土地に感謝して」の、日本ウオーキング協会のマナー5カ条を読み上げ、参加者全員で唱和した。

 石段で記念写真を撮ったが人数が多いので3班に分かれた。

浅田会長再替え 安田録事再替え 田島さん再替え
写真①=「これだけの人が集まってくれて感激です」と浅田会長
写真②=「目的を持ったウオーキングをしてください」と薬師寺の安田録事
写真③=「みなさんの知恵と協力でこの会を発展させてください」と田島顧問 

 前日ひねもす降り続いた雨は、この日夜明けにようやくやんだ。雲に覆われてはいるが時折日がさすウオーク日和。秋篠川西岸を通って道の駅でトイレ休憩。奈良県の地酒を販売しており試飲もできる。天平の甍(いらか)、豊祝などの銘柄を見て心引かれるが、スタート直後に飲むわけにいかない。筆者が見た限り、さすがに誰も試飲する人はいなかった。

 唐招提寺の前を通り、北へ向きを変える。広い堀を隔ててこんもりとした森が見える。神話から歴史への移行期にあたる第11代垂仁天皇の陵だ。

 第11代垂仁天皇の陵がなぜ、奈良市のど真ん中と言える近鉄尼ヶ辻駅近くにあるのか、疑問に思っていた時期があった。第10代崇神天皇と第12代景行天皇の陵は奈良盆地東麓の山の辺の道にある。崇神、垂仁、景行の3代は第15代応神天皇に始まる河内王朝に先立つ三輪王朝の大王ではないかとの説がある。三輪山(奈良県桜井市)に近い山の辺の道なら話が合う。だが奈良市中心部では三輪王朝の勢力圏から遠く離れるからだ。

 とはいえ明治時代に比定された天皇陵の被葬者は、築造年代と合わないケースが多い。目ぼしい古墳を古事記や日本書紀に記載されている人物に適当に当てはめたに違いない。明治から戦前までは天皇家の「万世一系」が建前になっていたから、河内王朝、三輪王朝といった考え方が表に出てきたのも戦後の話と思われる。垂仁天皇陵の被葬者は三輪王朝とは関係ない、奈良盆地北部の主だろう。あまり意味のない疑問だったと振り返っている。

薬師寺記念撮影 唐招提寺
写真①=薬師寺の好意で石段を借り3回に分けて記念撮影
写真②=唐招提寺の前を通り過ぎる

 再び秋篠川沿いに戻り北上する。かんぽの宿の所で東に向きを変えると、遠く若草山が正面に見える。道なりに平城宮跡南端の朱雀門に着き列詰め・トイレ休憩をとる。

 一旦平城宮跡を出て、法華寺からウワナベ古墳、コナベ古墳、仁徳天皇皇后磐之媛陵と回って再度平城宮跡に入り、北東にある平城京遺構館で昼食休憩。行程の4分の3が過ぎており、当初予定通り午後零時半の到着だった。参加者は庭園の木製ベンチで弁当を食べていたが、しばらく前から断続的に降っていた小雨が強くなり風も舞いだし、体感温度が急に下がってきた。あわてて遺構館の屋内に避難する。

 遺構館ではボランティアガイドさんの説明があった。それによると平城宮は面積130ヘクタール。瓦や柱から礎石に至るまで平安京造営のために持ち去られ、その後100年ほどで田んぼになった。1200年間田んぼとして耕作されていたがこれが遺跡保存には幸いした。水につかっていたおかげで奈良時代の道路、建物、井戸、土器、木簡などが壊れたり腐ったりせずに残った。したがって80センチほど地面を掘ると大量の遺物が出てくる。火山の噴火で滅んだ古代ローマ帝国の都市ポンペイと並ぶ奇跡的な場所で、世界遺産にもなっている。

 発掘が始まったのは1960年代前半の池田勇人内閣時代。それまで民有地だったのを買い集め文化庁の手で進めた。保存のため、掘り出してもすぐ埋め戻さないといけないが、せっかくの遺跡だから展示できるものを造ろうと、180億円かけてできたのが遺構館だという。内部には柱跡とみられる穴が無数にあった。

平城宮朱雀門 平城宮遺構館説明
写真①=平城宮朱雀門を目指して歩く
写真②=平城宮遺構についてガイドさんの説明があった

 ガイドさんの説明を聞いて外に出ると、雨は幾分弱くなったが降り続いている。大和ウオーキング協会スタッフから「佐紀神社、八幡神社、成務天皇陵を省略して西大寺駅に直行します」との説明がある。約2キロ短縮される計算だ。「例会の初回がこんな形で終わるのは残念です」とも付け加えたが、事故もなく無事終了しただけでも大成功だったと思う。

 西隣の大極殿の内部を見学してから完歩証代わりのIVV証明(歩行距離と参加回数を証明する紙片)を受け取って解散。駅に向かった。「予定通りのコースを歩きたい人はスタッフが先導します」ということだったので何人か残ったようだ。天候はその後回復に向かった。残り行程を十分満喫したことだろう。
  1. 2014/01/09(木) 20:31:39|
  2. ウオーキング
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奈良新春初詣ウオーク(奈良県ウオーキング協会特別例会)

2014年1月4日(土)13キロ 曇り一時しぐれ
場所 奈良市
コース JR奈良駅~率川神社~興福寺~春日大社(末社めぐり)~手向山八幡宮~二月堂~東大寺大仏殿~平城宮跡~近鉄西大寺駅

8つのご利益 神のまにまに

 奈良県ウオーキング協会が主催する2014年最初の例会だ。JR奈良駅前にある奈良市総合観光案内所前の広場には数百人のウオーカーが集まった。出発式では同協会の植田楢治会長が「健康で楽しい生活を送るため、毎日歩いてください」と呼びかけた。 

 奈良市の目抜き通り・三条通を東へ向かう。途中、三輪山をご神体とする大神神社(奈良県桜井市)の摂社・率川(いさがわ)神社でお祓いを受ける。家庭円満、安産、育児の神様という。昨年は参加した約380人が一度にお祓いを受けたが、今年は神社の要望で2班に分かれた。宮司さんだろう。神職の装束を身にまとった人が拝殿奥で祝詞を奏上。次に拝殿前に出てきて、参加者を御幣と鈴の音で清めてくれた。

 三が日が終わって、三条通も平常モードに戻りつつある。「三日間とも暖かかったね」「きょうはちょっと寒いけど」など顔見知り同士で話している。餅つきをしている店には十数人の人だかりができていた。

率川神社お祓い 興福寺南円堂
写真①=率川神社でお祓いを受ける参加者
写真②=藤原冬嗣が父・内麻呂のために建てたとされる興福寺南円堂

 右手に猿沢の池が見えたところで三条通を離れ左側の階段に取り付く。登りきった所にある六角形の優美な建物が興福寺南円堂。平安時代初頭の弘仁4(813)年に藤原冬嗣が父・内麻呂の冥福を祈って造ったという。冬嗣の子が人臣初の摂政となった良房、その養子が初の関白になった基経。下って道長、頼通へと続く。摂関家となり栄えた藤原北家の草創期のシンボルと言えそうだ。

 さらに進むと五重塔が見える。2018(平成30)年落慶を目指して中金堂の再建も計画されている。奈良公園から春日大社境内へ、露店が並び鹿が行き交う。団体歩行のはずだが一般参拝者が多くてウオーカーはバラバラになってしまった。ようやく混雑から離れ、金龍神社の登り口から自由歩行。1時間半後の午後零時45分に東大寺大仏殿横で集合とのスケジュールが示される。

興福寺五重塔 春日大社自由歩行
写真①=興福寺五重塔。左は中金堂建設予定地
写真②=自由歩行で春日大社に向かう参加者

 春日大社の8つの境内社を巡るのがこの日第一の目的。金龍神社=金運・財運▽夫婦大黒社=夫婦円満・家内安全▽若宮神社=知恵と生命▽祓戸神社=罪・穢れのお祓い▽船戸神社=交通安全▽総宮神社=住居・建物の守護▽一言主神社=一願成就と善悪の判断▽水谷神社=無病息災。それぞれの神様の持ち場も分かれている。全部合わせれば、ご利益の総合商社と言ったところか。

 春日大社本殿には、当初計画では混雑を避ける意味で立ち入らないことになっていた。しかし一方通行の順路になっているので通らざるを得なくなった。拝殿前には左右十数メートルにわたって白い布が掛けられ、その上に賽銭が投げ入れられていた。拝殿奥のご神体の方向は、目の細かいネットで遮られ、ぼんやりとしか見えない。一般参拝者は中に入れないが、ご祈祷を受ける人が数人入っていくのが見えた。

春日大社にぎわい 春日大社縁起物
写真①=参拝客でにぎわう春日大社本殿
写真②=縁起物売り場も人でいっぱい

 縁起物を売る場所は三つに分かれていたがいずれも混雑していた。夫婦大黒社の名前が入ったハート形の絵馬も用意してあった。お神酒のコーナーには長い列が続き、1本400円で販売もしていた。新年にかける人々の熱気を体感でき、本殿を通る意味は十分あった。

 境内の曲がり角や間違えやすい場所約10か所には同協会スタッフが立って案内をしてくれる。春日大社から若草山のふもとをかすめて手向山八幡宮に入る。百人一首に採られた菅原道真の歌の詠まれた場所だ。

  このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに  菅家(菅原道真)

 「まにまに」は呪文ではない。「随に」と書き、この場合は「神の御心のままに」との意味になる。

春日大社お神酒 奈良県W協会スタッフ
写真①=お神酒を振る舞ってくれるコーナーもあった
写真②=要所では奈良県W協会スタッフが案内 

 朝には青空が見えていたのだが、正午を過ぎてしぐれが舞いだした。東大寺の二月堂前を下り大仏殿に至る。参加者は外側にある石造りの廊下の縁に腰かけて弁当をとっていた。空いた場所に座ると石の冷気が体にしみ込んできた。

 午後は東大寺を出て奈良市の街中を行く。途中、法華寺で列詰め。あまり広くない道を車が通る。ウオーカーは渋々といった感じで道の両側に寄るが2列か3列を保ったまま。車は徐行しながら通るのだが、ドライバーにとっては恐怖ではないかと危惧した。

春日大社一言主神社 平城宮跡福引
写真①=「一つでいいから願い事をかなえて」と一言主神社に参拝の列
写真②=「福引をしますから地図を用意してください」と呼びかけるスタッフ 

 草の茂る空き地が広がる平城宮跡に到着。「福引のチェックをしますので地図を用意してください」とスタッフが声をかける。お神酒のカップ酒を受け取った後、2014年の運試しのくじを引く。賞はAからJの8種類に分かれ空くじなし。下位でも奈良漬か酒粕がもらえる。

 A賞のリュックサックが当たった男性がいた。「容量20リットルか30リットルかどちらにしますか」と大きさを聞かれ20リットルを選んでいた。確かに日帰りウオークで30リットル入りでは大きすぎると、他人事ながら思った。 
  1. 2014/01/04(土) 19:43:31|
  2. ウオーキング
  3. | コメント:1

第21回新春古都の道ウオーク(京都府ウオーキング協会特別例会)

2014年1月2日(木・三が日)14キロ 曇り
場所 京都市下京区、東山区、左京区、中京区
コース JR京都駅~梅小路公園(集合)~三十三間堂~豊国神社~方広寺大仏殿跡~清水寺~高台寺公園~石塀小路~八坂神社~円山公園~知恩院~岡崎公園~平安神宮~金戒光明寺~吉田神社~三条大橋西詰鴨川河川敷

神あまた 功徳いただく 初歩き

 2014年が明けた。たとえ景気回復を実感できなくても、20年東京五輪決定で京都など近畿地方が積み残される危惧はあっても…。とにかく健康で新しい年を迎えた。それだけで十分ありがたい。

 元日を自宅で祝った人にとってはこの日が歩き初め。集合場所の梅小路公園には所定の午前10時よりかなり早くから参加の列ができ、顔見知りを見つけては年頭のあいさつを交わしていた。中には「元日は故郷の神社めぐりで歩いてきました」という猛者もいた。

 新春古都の道ウオークは京都府ウオーキング協会(KWA)が毎年正月2日に行う恒例行事。東山山麓の有名社寺を結ぶのが特徴で、かつては団体歩行だったが、観光客が密集する中を集団で突っ込むのは迷惑ではないかとの反省から、現在は自由歩行で行っている。

 競合するウオークイベントはほとんどなく、大阪府や滋賀県、奈良県などからの参加も多い。梅小路公園ステージ前に集う数百人を眺め「みんな本当に歩くことが好きだなあ」とあらためて感心する。次の日からは大阪、奈良、神戸でもウオークイベントがあり、関西4都めぐりを計画している人もいる。 

新春古都の道出発 豊国神社ひょうたん絵馬
写真①=最初は団体歩行。先頭旗に続いて出発
写真②=秀吉の馬印にちなむひょうたん型の絵馬

 堀川七条の交差点まで約500㍍団体で歩き、そこから自由歩行になる。だが数百人が歩道にひしめくので、実態は変わらない。足のそろった人ばかりなので細長いかたまりになったまま七条通を東進。鴨川を渡り三十三間堂に着く。早く歩くことを主眼にする人は脇目も振らず通り過ぎる。観光も目的にする人は案内板などに目を走らせる。ようやく人がばらけてくる。

 三十三間堂は平安時代末期、後白河法皇の離宮として始まった。京都市の前身の平安京は鴨川西岸に造られたが、時の権力者は広い土地を東岸に求め、屋敷や寺を建てて勢力を誇示した。他にも代表的なものとして、白河法皇の岡崎や、平清盛の六波羅が挙げられる。時代は下るが七条通をはさんで北側は豊臣秀吉の勢力圏だったようだ。秀吉を祀る豊国神社や方広寺の鐘楼と大仏殿跡がある。それらを結ぶ細い路地を通って東山五条交差点に出る。

生八つ橋試食 正二寧坂混雑
写真①=生八つ橋の店の多くは試食を勧めてくれた
写真②=三年坂から二年坂に曲がるとさらに混雑の度を増した

 五条坂の登りにかかる。スタッフから「一列で歩いてください」との指示が出るが、2人分の幅しかない狭い歩道なので、言われなくても一列になるしかない。そこに一般の観光客も交じる。沿道の店から出てくる人もいるので、時々列が止まってしまう。やっぱりというか案の定というか、車道に出て歩くウオーカーがいた。

 それでも茶わん坂から清水寺までは、まだましだった。土産物店や生八つ橋店が密集する門前の道は観光客で超満員。三年坂と二年坂のそれぞれの曲がり口に立つKWAスタッフは、人混みに埋没しないように旗を高く掲げながら案内に努めてくれた。生八つ橋やちりめんじゃこの試食を勧めてくれる店もあった。参加者の中には、店の中でお茶を飲みながら休息する人もいた。

スタッフ道案内8 平安神宮参拝に列
写真①=八坂神社前で観光客に道を教えるKWAスタッフ
写真②=平安神宮本殿を参拝しようと100人以上が列を作った 

 自由歩行なのでコースの要所にはKWAスタッフが立って案内してくれるのだが、この立ち番は結構大変なのだ。この日も出発2時間前の午前8時に集合して配置に就いた。参加者の全員通過を確認してアンカーが到着するまで、寒い中を3時間以上担当の場所に立っていないといけない。前述のように混雑する場所もあれば、道案内を求められることもしょっちゅうある。この日も石塀小路の出口で外国人から話しかけられたり、八坂神社で女性観光客から質問を受けたりしている場面に出会った。 

 八坂神社は京都を代表する神社の一つ。日本三大祭りに選ばれている7月の祇園祭はここの神様の祭りだ。初詣客が最も多いのは京都では伏見稲荷大社だが、八坂神社は2位グループに入る。この日も本殿前は満員で、縁起物売り場には神職や巫女さん約10人もが破魔矢やお守りを求める客の対応に当たった。露店も多く出ていたが、甘酒400円、焼きそば600円などと、立派な値段がついていた。

平安神宮新春おみくじ 桜酒橘酒販売
写真①=今年1年の運勢は…おみくじを引く善男善女
写真②=平安神宮ではピンクの桜酒、薄緑の橘酒を販売していた

 八坂神社から円山公園を抜けて北進する。知恩院、青蓮院などを横目に通り過ぎ、三条通を超えて突き当りが平安神宮。京都に都が置かれた初代の桓武天皇と最後の孝明天皇を祭神とする明治時代建立の神社で、今も朱塗りが鮮やかだ。本殿にお参りしようと思ったが100人以上が列を作っているので諦めた。

 おみくじの番号を記した籤(ひご)を抜き取る筒にも人だかりができていた。受け取ったくじを手にする人の運勢を盗み見る。吉が一番多い。大吉が1人。凶も2人いた。十人程度のうち2人だから2割程度は入っているのだろう。意外と多いというのが実感だった。

 京都御所にある左近の桜、右近の橘をリキュール酒にイメージ化したピンクの桜酒と薄緑の橘酒はともに350mlくらいで千円。他にも平安神宮のオリジナル菓子を売っており、買い求める人が目立った。

黒谷金戒光明寺 吉田神道六角
写真①=新選組史跡でもある黒谷こと金戒光明寺
写真②=すべての神様の功徳が得られるという吉田神社の斎場所大元宮

 平安神宮の東側の道から丸太町通を渡り、金戒光明寺の山門をくぐり坂を登る。通称・黒谷と呼ばれる金戒光明寺は浄土宗の大本山で法然上人が比叡山から降りて最初に庵を結んだ地。徳川幕府は京都防衛の要地として城郭構え建築にした。幕末には京都所司代となった松平容保が駐屯し、新選組隊士が出入りした。

 寺は境内の飲食禁止を徹底している。このためKWAでも誤って飲食する参加者がいないよう、出発式で注意を促していた。

 吉田神社の末社に斎場所大元宮という六角形の建物がある。吉田神道の根本思想を体現したもので天神地祇八百万神(あめつかみくにつかみやおよろずのかみ)を祀っている。それゆえ参拝する側は、すべての神様の功徳を得られるという。正月三が日以外は門が閉じられて入れないというが、この日参拝できたのはラッキーだった。

 吉田神社でも縁起物の販売など新春ムードはいっぱいだが、むしろ2月3日の節分こそより多くの人でにぎわう。

吉田神社お守り 吉田神社初穂
写真①=家内安全を…と縁起物を買い求める参拝者
写真②=御初穂も用意されていた

 東一条通を鴨川に向かう。両側に京都大学キャンパスがあり学都・京都を代表する地域。洒落た喫茶店やレストランもあるのだが、正月で休業していた。

 鴨川河川敷を南へたどる。荒神橋、丸太町橋、二条大橋、御池大橋と見て三条大橋西側河川敷でゴール。KWAスタッフがお神酒のパック酒と、運試しの福引を用意してくれていた。
  1. 2014/01/02(木) 17:29:20|
  2. ウオーキング
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