京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

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高雄・清滝紅葉ウオーク(京都府W協会11月例会健脚コース)

2013年11月30日(土)快晴 18㌔
場所 京都市右京区
コース JR太秦駅~常盤野児童公園~広沢池児童公園~広沢池~後宇多天皇陵~直指庵~京見峠~菖蒲谷池~高雄~清滝~落合~JR保津峡駅

前日の嵐、紅葉狩りは遅かった 

 JR太秦駅には100人以上が降り立った。駅のお手洗いと精算機には一瞬のうちに長蛇の列ができた。午前8時26分京都駅発の亀岡行き山陰線は、45分の集合時刻にほぼぴったりの到着だ。改札口近くに京都府ウオーキング協会の役員が立つ。「コース上にはコンビニはありません。弁当など必要なものがあればここで買ってください」と駅向かいのコンビニを案内する。

 10分ほど北へ歩く。曲がり角ごとに役員が立って、集合場所の常盤野児童公園に案内してくれる。午前9時の予定時間になっても出発式が始まらない。「駅のトイレに並んでいる人がたくさんいるので、出発式を遅らせます」と役員がマイクで知らせる。

 式が済み、歩き出して街並みが途切れると、右手に広沢池が見えてくる。深い水の色と冬晴れの空のコントラストが鮮やかだ。今年も年末の風物誌「鯉上げ」が12月7日から始まるとの案内がある。

 街道筋の広沢池児童公園で列詰め休憩。この朝の京都の最低気温は1.8℃(平年5.2℃)まで下がった。体が冷えるのであろう。ここでも少ないトイレに長い列ができた。公園の木が数本、紅葉ないし黄葉していた。盛りを思わせる真っ赤な枝もあった。後述するように高雄など山間部の紅葉は盛りを過ぎていたので、私見だがこの公園の紅葉が一日を通して一番見事だった。

広沢池児童公園 後宇多天皇陵
写真①=紅葉の広沢池児童公園を出発
写真②=北嵯峨高校陸上部のみなさん

 しばらく田園の中を行く。時折現れる真っ赤な紅葉を写真に撮る参加者が目立つ。稜線の先端にある後宇多天皇陵の前に、北嵯峨高校陸上部の女子部員がトレーニングに来ていた。学校からランニングで御陵に来て、柔軟体操の後また走って帰るのであろう。長距離走はこれからの冬場がハイシーズン。ウオークとラン、お互いに頑張ろう。

 直指庵の前を通る。例によって中には入らないが、門前の竹林を見るだけでも手入れが行き届いているのが分かる。京見峠への坂に取りつく。一列でしか歩けない山道。ゆっくりとしか進めないが足慣れた人ばかり。筆者の周囲の人はみんな着実に歩を進める。

 京見峠からは眼下の広沢池の向こうに京都盆地が広がる。地蔵さんの小さいほこらがあって、ほおずきが供えてあった。鮮やかなオレンジの色彩に「この季節だから、きっと人工のものだね」と話している参加者がいた。

  鬼灯(ほおずき)は実も葉もからも紅葉かな 芭蕉

京見峠地蔵ほこら 高雄もみじ
写真①=京見峠のお地蔵さん。ほおずきが鮮やかだった
写真②=高雄の紅葉は盛りを過ぎ多くは散っていた

 シカやイノシシ除けの木枠と金網の門をくぐって菖蒲谷池の駐車場に下り立つ。午前11時半前で少し早いがここが昼食場所。明るい日差しに恵まれ寒さは感じない。参加者376人との発表がある。高雄・清滝といった紅葉の名所が引きつけたのであろう。普段はウオーキングに縁の無さそうな人や若い人も散見される。また、京都市の中でも府北部に近い場所だけに、綾部市や舞鶴市からの参加もあった。

 再び一列でしか通れない山道をたどり高雄に到着する。国道162号を地下道でくぐって、神護寺参道の下り坂にかかる。一帯の木々に紅葉はわずかに形をとどめるのみ。枯れ枝が目立つ。坂の途中に「もみじの天ぷら」を売る店があったが営業している様子はなかった。店の女性に聞くと前日に大風が吹き、多くの紅葉は枝ごと落ちたという。それでも坂の石段はゴミひとつない。落葉を掃き集めるだけでも大変な作業だったことだろう。

 高雄観光ホテルの前を通るが、人の姿は少ない。孫を連れた年配の男性が、時折思い出したかのように「どうぞ食べていってください」とホテル食堂の呼び込みをしていた。ここ高雄では紅葉のピークを過ぎたことが観光客には情報として行きわたっているのに違いない。

清滝川 赤橋
写真②=清滝川沿いの道は一列でしか歩けない
写真②=赤い橋と名残の紅葉がマッチする

 清滝川の右岸を水面に沿って行く。錦雲渓というらしい。ここも一列でしか歩けない。取り付けられた縄で体を支えながらしか通れないところもある。滑って川に落ちる人がいないよう、協会役員が「縄をつかんで気を付けて進んでください」と横に立って声をかける。アップダウンが多かったので足も覚束なくなっている。慎重に歩を進める。

 落合橋からは、車が行きかう道をJR保津峡駅に向かう。ゴールは午後3時。一列でしか歩けない部分が多かった割には快調な道行きだった。それにしても山道や川沿いの道で難所も多く、協会役員は運営が大変だったことだろう。筆者が聞いた限り、事故なく終わったのは幸いだった。
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  1. 2013/11/30(土) 20:28:49|
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第11回大和路まほろばツーデーウオーク2日目 天香具山コース

2013年11月24日(日)10㌔ 快晴
場所 奈良県橿原市
コース 橿原神宮森林遊苑~近鉄畝傍御陵前駅~法然寺前~万葉の森広場~藤原京跡~橿原神宮森林遊苑

ありし日の藤原京 「語れ、石たちよ」

 事前申し込みはしていたのだが、初日の23日には仕事が入ってしまい1日だけの参加となった。せめて30キロ歩きたいと思ったが、午前7時の出発に間に合う午前6時8分京都駅発橿原神宮駅行き急行には、早すぎて起きられず乗れなかった。午前10時の10㌔コーススタートには8時45分京都発特急で何とか間に合わせる。

 9時45分ごろ橿原神宮内の会場に着くと間もなく出発式が始まった。あいさつに立ったのは近畿マーチングリーグの森田裕代表(京都府ウオーキング協会会長)。平均健康寿命が男性で9歳、女性で12歳半実寿命より若く、最晩年は病気や体の不自由を抱えて過ごす人が多いことから、「今より一日1000歩多く歩いて、死ぬまで健康でいてください」と歩く効用を語った。

 奈良県のマスコットキャラクター「セントくん」は2010年の平城建都1300年を記念して誕生した。記念の年が終わっても引退せずに、各地のイベントに顔を出している。この日は奈良市・若草山から応援に来た「シカオくん」とともに会場を盛り上げた。

 ストレッチ体操の指導に女性2人が登場。司会者は「年齢を聞いたらびっくりしますよ」と紹介した。いわゆる美魔女だ。体操の後、「せんとくん」と「シカオくん」と美魔女の計4人で出発のゲキを飛ばす。

セントシカオ檄一発 本薬師寺跡礎石
写真①=セントくん、シカオくん、体操指導の美魔女2人で出発のゲキ
写真②=本薬師寺跡には礎石に使った巨石が残っていた

 七五三の祝いの家族連れらで華やいだ雰囲気が漂う橿原神宮の神域を抜けて町中に入る。近鉄畝傍御陵前の駅の地下道をくぐり、天の香具山を目指す途中に本薬師寺の跡がある。藤原京から平城京への遷都の際、伽藍は解体されて新京で再建された。平城京の薬師寺は現代の近鉄西ノ京駅近くにあり「凍れる音楽」と讃えられた東塔と再建後真新しい西塔が観光客の人気を集めている。

 こちら藤原京の本薬師寺は礎石だけが10個ばかりこの地に集められている。一辺1メートル以上で高さは60~70㌢。一個100キロ以上あるだろう。廃都となった際に集められたのだろうか。

 黒岩重吾著「闇の左大臣」によると、大友皇子の側近だった石上麻呂(いそのかみ・まろ)は壬申の乱(672年)の敗戦後に敵方だった天武朝に仕え昇進を重ねる。老境になって人臣最高位の左大臣まで登り詰めた麻呂が最後の仕事に選んだのが、平城京遷都(710年)で廃都となる藤原京の残務処理責任者だった。石が集められたのは麻呂の命令だろうか。

 「語れ、石たちよ」。ドイツの文豪ゲーテは古代ローマ帝国の遺跡で詠った。藤原京の石たちにもこう呼びかけたい。

 本薬師寺跡の周辺は湿地でホテイアオイが群生している。夏になると一面に青い花を咲かせる。奈良市に事務局を置く大和ウオーキング協会が2014年9月12日(金)に鑑賞ウオークを予定している。午前9時45分にJR桜井駅南口集合。14キロを歩く。

山上憶良万葉歌碑 橿原桃柿直売所
写真①=山上憶良の歌碑と橿原市のボランティアガイドさん
写真②=直売所で奈良県名物の柿を品定め

 山というより丘に近い天の香具山を通り過ぎると、坂の多い地形を利用した公園「万葉の森」に入る。橿原磯城シニアという野球のクラブチームの中学生が道や階段でランニングしている。すれ違うたびに「おはようございます」とあいさつしてくれるのが清々しい。

 園内には万葉集の名歌の碑が林立する。隣にゆかりの木を植えて文学と植物学を同時に学べるようになっている。山上憶良の歌碑のところに橿原市のボランティアガイドさんが立って案内をしてくれた。

   妹が見し棟(あふち)の花は散りぬべしわが泣く涙いまだ干なくに  山上憶良

 妻を亡くした主人の大伴旅人になり代わって詠った。あふちの現代名はセンダン。5月に青い花をつける。11月の今は結実の季節。ガイドさんは直径2センチの黄緑色の実を見せてくれた。

 万葉の森を抜けて、ため池沿いの曲がり角に柿と桃の直販所がありにぎわっていた。大ぶりの柿2個2百円。店内にはより小さめの柿もありウオーカーが品定めをしていた。店の女性は「渋柿ですが渋抜きはしています」と話していた。へたの部分を1週間、35度の焼酎につけると渋が抜けるという。

 女性のグループが買って切り分けて食べていた。こちらは丸々一個を歩きながら食べるのは腹に重過ぎる。説明してもらったことに丁寧にお礼を言うものの、買わずに立ち去る。

藤原京バナナ配布 橿原神宮ゴール
写真①=藤原宮跡のチェックポイントでバナナの配布
写真②=奈良県ウオーキング協会の役員に迎えられてゴール

 藤原京は廃都になってから1200年以上田園となり、昭和の初めにやっと発掘調査が始まった。宮域が更地のまま公園として保存されている。大和盆地南部には、京都市や奈良市と違って都城の形は残っていない。田園の中にかつての都を幻視して楽しむしかない。

 公園で大会本部がバナナを配ってくれた。10㌔コースの参加者は家族連れが多く、弁当を広げている。その中を、合流する30㌔、20㌔コース参加者が足早に通り過ぎていく。藤原宮跡を出ればあとは一路ゴールを目指す。神武天皇陵の参道を通り橿原神宮でゴール。赤いはっぴを着た奈良県ウオーキング協会の役員が出迎えてくれた。
  1. 2013/11/24(日) 18:21:39|
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山城国一周ウオークその3・山崎~新田(京都府W協会例会健脚コース)

2013年11月17日(日)20㌔ 快晴
場所 京都府乙訓郡大山崎町、八幡市、久世郡久御山町、宇治市
コース JR山崎駅~御幸橋~石清水八幡宮~松花堂庭園前公園~八幡市スポーツ公園~JR新田駅

橋板が流出、お金も流出

 京都府ウオーキング協会は今年(2013年)、旧京都府歩け歩け協会時代から通算して、設立25周年を迎えた。記念行事の一つが山城国一周ウオーク。京都市と京都府南部に大きな周回コースを設け、9回に分けて3年がかりで毎回20㌔程度歩こうという企画だ。

 9月にJR花園駅から桂川駅、10月に桂川駅から山崎駅まで催行した。いずれも雨天だった。3度目の正直でやっと晴れた。筆者にとってはシリーズ初参加になる。

離宮八幡宮出発式 御幸橋宇治川
写真①=離宮八幡宮境内で出発式
写真②=淀川の表示があるが実は宇治川

 JR山崎駅から徒歩3分。駅前広場の坂を下った離宮八幡宮が集合場所。阪急大山崎駅からも徒歩5分の場所にあり、両方向から切れ目なくウオーカーが集まる。「マイクを使えないので近くに集まってください」と京都府ウオーキング協会役員が呼びかけ、出発式が始まる。

 しばらくは天王山の麓を行くが、山崎は山と川に挟まれたごく狭い土地。合流間近の三川を次々渡る。桂川に架かる天王山大橋と宇治川、木津川に架かる御幸橋。桜の名所の背割堤も右手に望む。宇治川は橋の欄干も表示板も淀川と記載されている。間違いではない。河川管理上、宇治川が淀川本流とされるためそういう表記になっているのだ。

山城一周③参加者 八幡市用水路
写真①=参加者は237人でした
写真②=用水沿いを通る参加者

 八幡市に入り石清水八幡宮を横目で見て通り過ぎる。古い人家が密集する。大阪への通勤圏として人口が急増し市制施行したのが1977(昭和52)年。恐らくはその前後に建てられた家だろう。当時は若い人が多かったが今は人口が減少傾向という。

 弁当で有名な松花堂庭園横の公園が昼食場所。年間皆勤賞をもらえるスタンプカードに押印してもらう人が列を作った。この日初参加の人も多く、山城国一周専用カードをほしいという問い合わせが多かったようだ。

 コースは田園地帯に入る。大谷川という小河川沿いを通り、次の休憩場所の八幡市民スポーツ広場を目指す。長距離だけあって、時速5キロほどのハイペースだ。

流れ橋流失 新田駅ウオーク終了
写真①=流れ橋は流失していて通行できなかった
写真②=ゴールで歩行回数と距離の証明を受け取る

 この日の行程はもともと18㌔だった。ところが観光名所でもある「流れ橋」(上津屋橋)が9月16日の台風18号で流され、下流の木津川橋を渡るコースに変更したので20㌔に増えた。遠目に望んだ流れ橋は橋脚のみ残し橋板はない。京都新聞の報道によると、1953年の架設以来、流出はちょうど20回目という。

 全長356・5メートルの流れ橋は日本最長級の木造橋。もともと水量が増えれば流出することを前提に造られ、水が引いた後に橋板を回収して復旧していた。ところが近年は大雨が増え、損傷が激しいという。同紙によると2011年から3年連続の流出で、ことし4月末に約3500万円かけて修繕したのにわずか5カ月で通行不能となった。前回と同額の費用が見込まれ「税金の無駄遣い」との声も上がっている。

 半面、時代劇のロケ地としても有名で観光客も多い。文化的価値をどう評価するか悩ましいところだ。

 久御山町佐山で右折。自衛隊大久保駐屯地の南側を通って近鉄大久保駅まで一本道だ。国道24号を渡り住宅の中を少し歩いて、JR新田駅でゴールする。

 変化の緩やかな平坦コースを一気に通り抜けた印象。距離が長い割りには疲れは感じなかった。
  1. 2013/11/18(月) 08:25:03|
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第24回加古川ツーデーマーチ第2日 東南20キロコース

2013年11月10日(日)22㌔ 雨のち曇りのち雨
場所 兵庫県加古川市
コース 加古川市役所~卸団地~新井水路~加古川刑務所~県立農業高~兵庫大学~教信寺~鵤公民館~浜の宮公園~浜宮天満宮~尾上神社~鶴林寺~加古川市役所

「毛利より織田だ」…伽藍救った決断

 列島大荒れの一日、と天気予報は伝えていた。午前7時のテレビでは雨雲の筋が広島県から鳥取県へと斜めに走っている。その延長線上の秋田県など東北地方では、竜巻の恐れもあると伝えていた。兵庫県南部に警報は出ていないが、京都から通う計画にしていたら怖気づいて不参加を決め込んだことだろう。加古川市内に泊まっていて幸いだった。

 とりあえず行ってみようと、小雨の中をメイン会場の加古川市役所に向かった。40㌔コース参加者が出発した後の広場は閑散としていたが、8時半の出発式が近づくにつれて数百人が集まった。式では福田好宏・兵庫県東播磨県民局長が「みなさんのパワーで雨もやみました。東播磨の景色を楽しんでください」と歓迎のあいさつ。実行委員長は樽本庄一・加古川市長だが、主催者あいさつの機会を別の人に譲っているのだろう。市長は右端に立っていた。
 
加古川出発式 新井用水
写真1=あいさつをする福田好宏・兵庫県東播磨県民局長。右端は樽本庄一・加古川市長
写真2=新井用水横の遊歩道を行く

 スタートしてしばらくは市街地を行く。歩道が参加者で混み合い、じれて車道を歩き係員から注意を受ける人も見受けられた。卸団地で団地まつりを開いていた。団地を購入しようと見に来る人を対象にしたイベントだろうが、始まったばかりの様子で客足はまばら。たこ焼きや綿菓子の店が並ぶがスタッフは手持無沙汰の様子だ。「おでん3個100円」にも心が揺れる。だが歩き始めてまだ30分。体が温まり始めたところで足を止めるわけにいかない。「休んでいってください」というスタッフの声を振り切って先を急ぐ。

 水路沿いの遊歩道に入る。新井(あらゆ)用水という。水路は江戸時代初頭に姫路藩のもとで開かれ、遊歩道は戦後に造られた。両側の樹木は一部黄葉し、雨上がりのしっとりとした風情を漂わせていた。どんよりとした空の下、加古川刑務所から県立農学校のそばを通って寺田池というため池の堤防に登る。池を半周すれば兵庫大学のキャンパス。心なしか南の空が明るくなり、ひとまず雨の心配は遠のいた。

兵庫大卓球部模擬店 IMG_3972_convert_20131110214507.jpg
写真1=八戸せんべい汁を売っていた兵庫大学卓球部のみなさん
写真2=元気汁という名の豚汁をふるまってくれた「まちづくり浜ってサークル」のみなさん

 兵庫大学は学園祭の真っ最中。陽気な音楽が流れ模擬店が並ぶ。すれ違った女子大生にお手洗いの場所を聞くと、青森県名物・八戸せんべい汁の模擬店を出している卓球部の部員だった。親切に教えてもらったのが縁で一杯200円のせんべい汁に舌鼓。野菜を味噌で煮込んだ上にせんべい状に練った小麦粉を乗せた、B級グルメの一つのようだ。

 ステージ上では子どもや学生が登壇し、小麦粉の中に顔を入れて口で飴玉を探し出すというゲームを行っていた。年齢を重ねても学園祭の華やいだ雰囲気には心引かれるものがある。本当は2本100円の春巻も食べたかった。

 JR東加古川駅から線路づたいに行くと、やがてチェックポイントの教信寺に着く。豊臣秀吉の播磨攻めの際には寺の東側にあった野口城に寺の僧兵も加わり応戦したが敗れたという。寺では地元の野口自治会の女性ボランティア10人が、お茶かアクエリアスの缶を配ってくれた。境内にパイプいすが並んでいたが、参加者の大半は通り過ぎたのか、休んでいる人はまばらだった。

浜宮天満宮 尾上の松
写真1=菅原道真ゆかりの松がある浜宮天満宮
写真2=山陽電車の駅名にもなっている尾上の松

 40、20、10㌔の各コースが合流する浜の宮公園は一面の松林。松が切れた一角にチェックポイントと、元気汁と名付けた豚汁の振る舞いのテントが並ぶ。調理をするのは「まちづくり浜ってサークル」のみなさん。「浜って」は浜と嵌(はま)るの掛詞だろう。1991年結成された地元のまちづくり団体で、ツーデーマーチの接待も年間行動目標の一つという。「写真を撮らしてください」と頼むとマスクを外して満面の笑顔を作ってくれた。

 他の団体もみんなそうだが、自分たちが楽しみながらおもてなしをしてくれる。頭が下がる思いだ。

 浜宮天満宮の松は菅原道真手植え。今のものは二代目だが、それでも樹齢500年という。次の尾上神社にも松があり「尾上の松」として山陽電車の駅名にもなっている。他のコースは西へ迂回して崎宮神社を目指すが、距離設定の関係だろう。20㌔コースだけは北の鶴林寺へ直行する。

鶴林寺三重塔 鶴林寺甘酒
写真1=重要文化財・鶴林寺の三重塔を行き過ぎる
写真2=甘酒接待をしてくれたボーイスカウト隊員のお母さんたち

 鶴林寺の縁起は次のようなものだ。高麗(こま=高句麗)の僧、恵便(えべん)法師は物部守屋ら排仏派の迫害を逃れて、播磨に身を隠した。聖徳太子は恵便を慕い、その教えを受けるためこの地に来た。少年時代のことだ。物部合戦(587年)で廃仏派を滅ぼし摂政となった後に秦河勝に命じて精舎を建立し、刀田山四天王寺聖霊院と名付けた。平安時代初期に慈覚大師円仁の訪れを機に天台宗となり、天永3(1112)年に鳥羽天皇から勅額を得て、以来「鶴林寺」と寺号を改めた。

 鎌倉時代、室町時代にかけて太子信仰の高まりとともに、鶴林寺は全盛時代をむかえた。だが戦国時代の16世紀後半、播磨の他の領主同様、厳しい選択を迫られる。尾張から出た織田信長が京都を制圧し、播磨にも伸長してきた。西の毛利の陣営にとどまるか。東の織田の勢いにつくか。結局、信長への寺領差し出しにより破壊だけは免れた。 

  天台宗は総本山の比叡山延暦寺が焼き討ちに遭った。同宗の寺としては生きた心地がしなかったことだろう。信長とそれに続く豊臣秀吉らの弾圧、さらには江戸幕府の厳しい宗教政策のため、衰徴の一途をたどらざるを得なかったが、この時毛利についた僧俗の領主が滅亡したことを思えば、マイナスを最小限にとどめたと言えよう。

 おかげで本堂、太子堂、三重塔など国宝や重要文化財が残り、今に生きる私たちの信仰心や美的好奇心を満たしてくれる。

 お坊さんだろうか職員だろうか。寺内には抹茶色の半纏を羽織った数人の男性が案内に立って、上記のような話をしてくれた。

ソフトバンク模擬店 加古川参加者数
写真1=ソフトバンクショップ運営会社「デジホン兵庫」のみなさん
写真2=参加者は延べ9006人でした
 
 鶴林寺では加古川のボーイスカウト隊員の母親が、甘酒をふるまってくれていた。もうウオーカーの通過も終わり近かったのだろう。お代わりの注文にも快く応じてくれた。

 ゴールして、加古川に本社を置きソフトバンク製品を販売する「デジホン兵庫」の模擬店でコロッケを買う。ステージ前で小学生のコーラスを聞きながら、祝杯を挙げていると雨が強くなった。缶ビール片手にあわてて退散する。

 大会には、甲南女子大学チアリーディング部「ベルーガス」もスタートチェック時の押印係などボランティアとして運営に協力した。そのベルーガスが演技を披露。肩の上に立って三層の人塔をつくりその上でポーズを決めたり、その高さから飛び降りてみたり、投げ上げられて宙返りしたり、見ごたえある内容だったが、雨で観客が少ないのは気の毒だった。

 チアリーダーにカメラを向けるのはお色気狙いに見られそうで自粛。写真はない。李下に冠を正さずだ。

 模擬店も多くは商売をあきらめたのか、帰り支度に入っていた。ウオークの間は本降りにならずに済んだのだからぜいたくは言えないが、本当はもう少し市役所前広場での食べ歩きを楽しみたかった。

 参加者は二日間で延べ9006人。天気予報の影響で参加を取りやめた人も多かっただろう。今年は黒田官兵衛人気もあり日曜も好天なら両日で1万人を越えたと思われる。主催者やボランティアの皆さんには気の毒な幕切れだった。
  1. 2013/11/10(日) 20:21:29|
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第24回加古川ツーデーマーチ第1日 西北20キロコース

2013年11月9日(土)曇り時々晴れ 20㌔ 
場所 兵庫県加古川市
コース 加古川市役所~市防災センター~水管橋~弁財天神社(平荘湖)~ウェルネスパーク~升田会館~加古川河川敷凧揚げ祭り会場~称名寺~本町~加古川市役所

 おもてなしの連続、楽しい食べ歩き

 おもてなし。2013年9月、20年五輪の開催地を決めるIOC総会(アルゼンチン・ブエノスアイレス)でのプレゼンテーションで、女子アナの滝川クリステルさんが日本人の美徳として紹介した。見事東京招致に成功したので一挙に流行語となった。今年の大賞にも選ばれかねない勢いだ。

 その心が脈々と息づいているのが市制40周年を記念して始まった加古川ツーデーマーチ。樽本庄一市長が大会誌でアピールしているように、今年も地域・職域・各種団体に集まる老若男女2000人が、ボランティアとして大会を支えた。

 来年(2014年)、NHK大河ドラマで豊臣秀吉の天下獲りを支えた黒田官兵衛を主人公に「軍師官兵衛」を放映する。ゆかりの地は早くも大ブーム。加古川市北部の志方町は官兵衛の妻光姫(てるひめ)の故郷。ゆるキャラ「てるひめちゃん」が登場し出発式を盛り上げた。夫の「かんべえくん」は他のイベントに駆り出されたか不在だった。 

つるひめ 3Bスタッフ激励
写真1=黒田官兵衛の妻のゆるキャラ「てるひめちゃん」も見送りに
写真2=笑顔でウオーカーを送り出す3B体操のメンバー

  市役所前広場にウオーカーが密集する。スタートチェックの押印が混み合わないように、係員が数十人ずつの小集団に区切って出発させる。「はいここまで」と目の前で制止された。「なんと不幸な」と隣の人が嘆いていたが、最前列で待つことができ、写真を撮る位置としては幸運だった。

 3キロ近く歩いて加古川の河川敷。広々とした中に最初のチェックポイントがあった。おもてなし第1号は「加古川ファミリーサポートセンター」。託児が必要な人と担える人を結びつける。保育園不足を民間の力で少しでも解消しようという女性中心の組織だ。たこせんを配っていた。えびせんのような色の直径6㌢程度のせんべいにソースを塗ったものだが、エビの代わりにタコを溶かし込んでいたのだろうか。

 地域の自動車整備協会のテントもある。主催者からはヘルシアかヤクルトか、どちらか1本選ばせてくれた。

 河川敷を3キロ歩き、このコースの名所の一つ、水管橋に着く。全長426㍍。直径1.2㍍の管を左右に通し、中央に歩行者道を配した水色の橋だ。ウオーカーの他に一般の人の自転車も往来し結構混み合うのだが、快適な川風に吹かれて、どの人の表情も穏やかだ。渡りきったところに升田堤の案内板があった。江戸時代初期の17世紀半ば、姫路城主によって加古川の大規模な改修工事が行われ、東西二流を一本にして、下流部の洪水防止とともに、旧河床部を田んぼにして米の収量を増やした。

 二本の流路を一本化する河川改修は、近現代になってからも滋賀県の野洲川など各地で行われている。 

水管橋2 まちこん鍋
P1=河川敷の階段を登り水管橋に向かう
P2=まちこん鍋と題した豚汁の振る舞い

 民家の中の緩い坂道を登っていくと視界が開け平荘湖が現われる。1966(昭和41)年に東播磨工業地帯への水の安定供給を目的に造られた人造湖。春はサクラ、夏はアジサイ。そして秋は紅葉が美しいというが幾分早すぎたのか、紅葉はあまり見えなかった。鴨がゆったり泳いでいる。

 湖を3分の2周するとウェルネスパーク。図書館や音楽ホールを備えた市の文化施設で、芝生広場がこのコースの昼食好適地だけに弁当を広げる人が多い。まちこん鍋と称した豚汁のふるまいもある。容器と割り箸のリサイクルには「加古川・まちづくり塾」が活躍している。発泡スチロールの容器はイトーヨーカドー加古川店に持ち込みプランターなどに加工する。割り箸は王子製紙米子工場に運ぶ。青いユニフォームのメンバーがウオーカーに協力を呼びかけていた。

容器リサイクル 升田かかし2
写真1=発泡スチロールの容器はプランターに再生される
写真2=ユニークなかかし。この日だけのために升田地区の人が作る

 コースは平荘湖を離れて加古川市東神吉町の升田地区に入っていく。何ともユニークなかかしが並ぶ。綿か厚紙か何か丸いものに白い布をかぶせ、思い思いの表情を描く。胴体にも詰め物をして、背広やブラウス、学生服などさまざまな古着を着せる。夫婦や恋人同士、家族などに見立てて、2体か3体ずつ道路端や田んぼの畔に杭を立ててくくりつける。サザエさん一家もあった。およそ30㍍から50㍍に一組立ち、全部で百体以上はあっただろうか。升田地区の出口の加古川堤防のり面には約10体が並んでいた。

 稲刈りはとうに終わっている。以前通った時、加古川には変な風習があると驚いた。だが違った。ツーデーマーチ参加者のため、わずか一日だけのために升田地区の人が手作りしてくれた、おもてなしのシンボルだった。

 地区の役員だろうか。升田会館の入口近くで年配の男性が5人ばかり立って到着したウオーカーを迎え入れてくれる。一杯200円のぜんざいは女性陣が調理と販売を担当。「数に限りがありますからどうぞ」と小学生が盛んに呼び込みに努めていた。歩いて消耗した体に甘さが染み渡る。丸餅が心地よく腹に収まる。弁当を持ってこなくてずっと空腹だったが、それが正解だった。

バナナとヤクルト配布 称名寺
写真1=加古川勤労者福祉協議会の人がヤクルトとバナナを手渡してくれた
写真2=加古川城跡でもある称名寺

 加古川河川敷に出ると、今度は加古川勤労者福祉協議会の人がバナナとヤクルトを手渡してくれる。和太鼓の演奏や凧揚げ大会も行われている。時折日差しの射す秋空のもと、ウオーカーも他のイベントの参加者も思い思いに楽しんでいる。

 河川敷を離れると神社があり、休憩用のいすが並んでいた。氏子の人だろう。「お茶もありますから、どうぞ休んでいってください」と声をかけてくれるが、おもてなしを既に十分受けている。申し訳ないと心の中で手を合わせながら素通りする。

あん巻き 加古川牛
写真1=揚げて甘く味付けしたサツマイモスティックを販売する「本町まちづくり」のメンバー
写真2=「但馬牛ではありません。加古川牛です」と焼肉の宣伝
 
 古い民家が密集するあたりがチェックポイントになっていた。その横に焼きそばを200円で販売していたのが「本町まちづくり」。その名の通り、ここ本町のまちづくり団体だ。他に2店が出店し、50メートルほどずつ間隔を空けてサツマイモスティックと、小麦粉に粒あんと白あんを巻いた「あん巻き」を売っていた。両方とも歩きながら食べられるのが売りだ。

 本町を抜けるとアーケードの下に寺家町(じけちょう)商店街が続く。約2割はシャッターが下りたままだ。商店街の衰調は全国的な傾向だが、大規模店舗の進出で消滅したところもあるというから、むしろ健闘しているほうかもしれない。

 最後はJR加古川駅近くのメインロードを通り、市役所前広場にゴール。広場には約20の模擬店が並び自慢の品を販売していた。小型のお好み焼き150円、うどん200円、焼肉300円など。宮城県石巻市の特産品のテントもあり、わかめの酢のものの試食をさせてくれた。ステージでは高校生がファッションショーを開いている。缶ビールとうどんで祝杯を挙げて、完歩後の充実したひと時を楽しんだ。 
  1. 2013/11/10(日) 20:11:23|
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兵庫の西国街道(大阪ウオーキング連合11月A例会)

2013年11月4日(月・振替休日)17キロ 曇り一時雨
場所 兵庫県西宮市、芦屋市、神戸市東灘区、灘区、中央区
コース JR西宮駅~西宮神社~金津山古墳~業平橋~東灘区役所~阪神御影駅~阪神大石駅~阪神岩屋駅~JR三ノ宮駅

権力者と庶民の喜怒哀楽見つめ

 昨夜来の雨は明け方にやんだが、天気予報では雨マークがついている。どんよりとした空ながら回復を信じて列車に乗る。午前9時半にJR西宮駅集合なのでそれほど早くなくて大丈夫。8時29分の新快速で尼崎駅で乗り換えて各停で三つ目が西宮駅だ。

 駅北口から同連合役員の道案内に沿って、集合場所に向かう。曲がり角の多い道を約10分。東川親水南公園に着く。東川の水流のすぐ横にステージを設け、取り囲むように半円形で階段状の客席がある。300席以上あろうか。野外劇場のような設備のある立派な公園だ。コースリーダー2人がステージ近くに立ってコース説明と注意事項を説明した。

西宮出発式 宮水
P1=階段状に席が設けられた集会場で出発式
P2=沢の鶴の看板の下部に宮水井戸の記載がある

 西国街道は京都・東寺から西宮までという説もあれば、遠く山口県下関市までという人もいる。大阪からの道と合流する西宮より西については同じ道を山陽道とも呼んだ。呼び方は時代によっても、起点をどこに置くかによっても違った。京都―西宮に限定する人は、大阪を通らずに京都から直接中国地方を目指した点を重視しているのだろう。

 大阪ウオーキング連合は毎年4月、西国街道を舞台に歩行力認定を行う。西宮をスタートして午前9時から午後5時までの8時間でどこまで行けるかを自分に試す。大阪府箕面市から茨木市を経て京都の東寺でゴールする。全長約55キロ。完歩しようと思えば時速7キロ近い驚異的なスピードが必要になる計算だ。

 それゆえ今回の西宮―三宮間は山陽道の入り口でもある。普段ならJR新快速か阪急特急で通りすぎる土地。そこをじっくり歩こうという企画に引かれた。とはいえ人口密集地の阪神間なので、昔の道は寸断されたのであろう。幅5メートル弱の比較的狭い昔の道と、国道2号など現代の幹線道路を交互にたどるようなコース設定。道筋には古墳時代から平成の世までの歴史の集積が残っていた。

香櫨園駅 金津山古墳
P1=夙川の上に建つ香櫨園の駅舎を通り過ぎる
P2=芦屋では有数の規模とされる金津山古墳

 歩き出して間もなくJRの線路を超え、国道2号線を渡り石畳の道を経て国道43号に沿ってゆく。石在町という交差点がある。ここは天然の良水が湧き出るところ。西宮の各酒造会社は宮水と呼び、井戸を掘って清酒の醸造に使った。今は酒造工場は別のところに移ったが、宮水はタンクで輸送し清酒にするらしい。阪神高速の高架道路を造るときも、地下水脈に影響しないよう、この地だけ橋脚の間隔が広くなっていると、仲間のウオーカーが話してくれた。

 西宮神社でトイレ休憩。夙川に架かる阪神香櫨園駅を横目で見て芦屋市に入る。金津山古墳は全長55㍍、後円部が直径40㍍。芦屋では最大級という。現在の平地の多くは平安時代まで海だったという。眼下に海を望んだ場所だったのだろう。洋上を支配した有力者だったのではないか。

 古墳の近くに阿保親王廟と記した石碑があった。陵墓はさらに坂の上にある。阿保親王は第51代、平安京第2代の平城天皇の皇子。父上皇が起こしたクーデター未遂事件「薬子の変」のため左遷されるが、父の崩御後許されて要職を務める。

 きっと目端の利く人だったのだ。息子を臣籍降下させて在原姓とした。クーデター未遂が続き多くの皇族や貴族が粛清された奈良時代から3世代ほどしか離れていない。皇位への野心がないことを示したかったのだろう。その甲斐あって息子のうち中納言行平と在原業平朝臣は百人一首に登場するなど存在感を発揮した。 

業平橋 一里塚橋
P1=芦屋川に架かる業平橋を通り過ぎる
P2=昔の一里塚は橋の名のみに

 特に業平は歌物語「伊勢物語」の主人公でいわゆる色男の先駆とされる。その業平の名をとった 業平橋(なりひらばし) は、芦屋市にある国道2号の芦屋川に架かる。業平の別業が芦屋にあり、歌にも詠んでいることから、橋の名前の由来となったのだろう。

 芦屋には打出小槌町という福々しい名の町もあった。地名が先か伝説が先か、今のところよく分からないが。

 神戸市東灘区に入る。森南町の住居表示板に18年前の阪神大震災を思う。ここは被害が甚大だった場所のひとつ。どこの新聞だったか、森南町で定点取材して折に触れて被害状況や復興の動きを連載していた。

 公園で弁当を広げる。出発しようとしたとき雨になった。傘をさしての道行。

 旧街道沿いには所々思いがけない史跡が現われる。くび地蔵もその一つ。道路の角の祠に、首より上だけの巨大な顔があった。直径60㌢ほどあっただろうか。一瞬気味悪く思ったので写真に収めるのをはばかったのだが…。後で調べてみると、江戸時代にあった石仏が、首から上の病気平癒に霊験があると信仰されていたことから、大正年間に首から上の地蔵像を造ったそうだ。阪神大震災により倒壊、平成7年5月に再建された。

 他の人のブログなどで見ると中々よいお顔のお地蔵様なので、次回東灘を訪ねたときは是非写真に収めたいと思っている。

西国橋 西国街道ゴール
P1=西国街道の名が唯一地名に残る石屋川の西国橋
P2=大阪ウオーキング連合の役員に迎えられてゴール

 幻の道とされる徳川道の起点もこのあたり。慶応3(1867)年の兵庫港開港に当たり、外国人と一般住民の接触を防ぐため、北の鈴蘭台方面を経て明石に至る34㌔の迂回路を造ろうとした。英国人が斬殺された横浜の生麦事件を受けて、世情騒然としていた時期のものだが、翌年の明治維新で徳川幕府そのものが消えた。多くの部分は計画だけに終わったのだろう。

 コース終盤、灘区から中央区にかけては今も生活道路として使われている。道案内の連合役員が「このあたりは昔の西国街道です」と教えてくれる。「ご存知でしょうけど」と付け加えてくれたが、知らなかった。阪神石屋川駅前の西国橋。橋そのものは新しいが、唯一、街道名が地名に残っている場所らしい。取り壊された一里塚が地名にだけ残っている「一里塚橋」もあった。

 阪神岩屋駅を左に通り過ぎる。まだ少し距離はあるのだが同連合役員の花道に迎えられてゴール。「三宮までは一本道です」と見送られて駅に向かう。
  1. 2013/11/04(月) 18:36:02|
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