京都駅前つれづれ通信

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史跡めぐり「大発見向日市」~向日市の歴史をたどるスタンプラリー 

2013年2月10日(日)快晴 所要時間3時間 
コース 阪急西向日駅~長岡宮朝堂院跡公園~長岡宮大極殿公園~南真経寺~向日神社~元稲荷古墳~須田家住宅~向日市文化資料館~五塚原古墳~桓武天皇皇后陵~寺戸大塚古墳~物集女車塚古墳~阪急東向日駅

歴史の向日市、丸ごとゲット

 豊臣秀吉の時代に誕生した西国街道筋の町場「向日町」は、古くから交通の要所として発展してきた。現在の京都府向日市には史跡長岡宮跡、向日丘陵古墳群などの長い歴史が重層的に残っている。スタンプラリーは市制40周年を記念し、多くの史跡のうち16か所をチェックポイントに選び、自由に見てまわってもらおうという趣向。向日市、向日市教委、向日市埋蔵文化財センターの主催で、文化庁が主唱する「歩き・み・ふれる歴史の道」本年度中央大会の認定を受けている。

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写真①=記念の桜を植樹する向日市の久嶋市長(右端)ら
写真②=受付には参加申し込みの長蛇の列ができた

 阪急電鉄西向日駅は駅前広場がない小さな駅だ。線路西側の道を京都河原町方向へ1分も歩けばスタート会場の長岡宮朝堂院公園。受付開始時間の午前9時45分には100人近い列ができていた。埋蔵文化財センターが執り行う小規模なイベントを想像していたのだが驚いた。京都新聞の報道では、800人の参加があり、350冊用意していたスタンプ用の台紙はまたたく間になくなったという。別に、大会タイトルと同じ「大発見向日市」という冊子もくれた。市内の史跡を網羅しており解説も手厚い。これで参加費無料でいいのか心配になるほどだが、手に入ったのは幸いだった。

 服装から判断する限り参加者は、距離を歩くことを目的にするウオーカーと、アマチュアの歴史ファンが半々のようだ。出発式では市の花でもある記念の桜を植樹。主催者の久嶋務・向日市長と奥野義正・向日市教育長に、来賓の市議会議長、市選出の京都府議、文化庁の担当課長も加わりスコップで土入れを行った。

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写真①=長岡宮大極殿跡で記念撮影する参加者
写真②=向日神社社殿前でスタンプの押印をしてもらう

  向日市は市域はわずか7.6平方㌔の「箱庭のようなまち」(久嶋市長)。桓武天皇の治世の延暦3(784)年から延暦13(794)年までのわずか10年間、長岡京が置かれ日本の中心だった。大阪寄りに長岡京市が隣接し混同されやすいが、宮城の中心の大極殿と朝堂院は現在の向日市域になる。朝堂院は昔の役所で、官僚は朝にここで政務を行い、後に大極殿にいる天皇の裁可を仰いだという。

 大極殿跡は朝堂院の北方。発掘調査で位置が確定し1964(昭和39)年に国史跡として整備された。

 西国街道に面した鳥居をくぐると、丘に向かって伸びる参道がある。登り詰めたところに向日神社の本殿がある。伝承では奈良時代の養老2(718)年の創建といい、市を代表する古社と言っていい。

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写真①=元稲荷古墳の発掘現場。「多くの葺石は流失しました」との説明
写真②=街道筋の青果店では早掘りタケノコが一盛千円

 向日神社の北側に元稲荷古墳がある。3世紀半ばの築造で卑弥呼の時代よりやや新しい。全長97メートルの前方後方墳で、当時の大王墓とされる奈良県・箸墓古墳(全長275メートル)の3分の1。発掘調査を公開していた。こぶし大の石が葺石として敷き詰められており、説明員は「西側の小畑川渓谷から運び上げました。日本で一番小さい葺き石です」と話していた。石のない場所は長い間に流失したからという。古墳からは小畑川を隔てて小塩山などの展望がいい。箸墓の被葬者に臣従して乙訓に威を誇った権力者の姿がしのばれる。

 勝山公園の中を抜けて細い道から幹線道路の物集女街道に出る。左側角が江戸時代から明治時代まで商家として栄えた須田家住宅。右側は神崎屋という青果店。店頭には早掘りタケノコが一盛千円で売られていた。2月のタケノコは幾分小ぶりだが、この一帯は京都式という大変手の込んだ栽培法が特徴。柔らかくまろやかな舌触りは絶品といえる。店は季節感ある商品を並べるのが特徴。この日はひな祭りの飴も販売されていた。秋になるとマツタケが店頭を彩り、見るだけでも豪華な気分になれる。

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写真①=向日市歴史博物館には長岡京に関する展示が充実している
写真②=竹の径に向かう手前にあった桓武天皇皇后陵

 物集女街道を北へ向かうと左手に向日町競輪場がある。レジャーの多様化で競輪そのものは廃止の方向だが、秋の収穫祭など市を挙げてのイベントでは会場となる。近くには市役所や市民会館など行政関連の施設が集中している。向日市文化資料館もその一つ。古墳時代や長岡京の時代、西国街道沿いに栄えた近世など各時代の変遷が分かりやすく展示されている。

 道は登りになり、住宅に代わって竹藪が目立ってくると桓武天皇の皇后となった藤原乙牟漏の墓に着く。桓武は長岡京時代に皇后の乙牟漏、母の高野新笠、夫人の藤原旅子とかかわりの深い女性3人を相次いで失った。平安京遷都を決めた動機の一つとみられる。

 長岡京を詠んだ歌はなく、長い間「幻の都」とされてきた。長岡京発掘の先達、中山修一氏は、当時を代表する歌人の藤原浜成は桓武即位に反対して大宰権帥に左遷され、万葉集選者の大伴家持は存命ではあったが、地方官として都を離れていたためという(「遷都1200年「長岡京」、1984年、京都新聞社)。だが、直後の平安時代初頭は文学史上「国風暗黒時代」と呼ばれ、漢詩全盛で和歌は影をひそめた。和歌そのものの衰退が長岡京時代から起きていたのではないかと推測する。

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写真①=「天井石は姫路産です」と指し示す説明員
写真②=物集女車塚古墳の石室を見ようと長い列が続いた

 竹やぶの中に遊歩道を通した「竹の径」を周遊し、寺戸大塚古墳から住宅街の中を抜けてゴールの物集女車塚古墳に到着。16のチェックポイントのうち10個集めれば完歩が認められる。福引でゲットした記念品はC賞のポストカード。それでも残っていただけラッキーだった。

 古墳は形がきれいで石室内の保存状態もいい。だが羨道内には5人ずつ程度しか入れないことから、順番待ちの長い列ができた。市埋蔵文化財センター職員が奥の石室内で説明する。30分待って見学は1分程度。それでも係員は「午後3時までに終われるか心配」と話していた。

 石棺脇にセンターの技師が立ち、羨道からのぞき見る参加者に説明に当たる。「石棺は二上山(大阪府・奈良県)産で天井石は姫路から運んだ。石室内は上にいくほど幅が狭くなるアーチ構造」。説明はここまで。交代を促される。なぜ産地まで分かるのか、あらためて質問してみたく思った。

 石室を出ると、待つ人の列はさらに長くなっていた。
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  1. 2013/02/10(日) 19:43:52|
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