京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

第4回みなと町神戸ツーデーマーチ第1日 東10キロ

2012年9月29日(土)11キロ 晴れのち曇り

コース みなとのもり公園~生田川公園~王子公園~人と防災未来センター~神戸港貨物線跡~HAT神戸~みなとのもり公園

阪神大震災の記憶を一堂に 

 1995(平成7)年1月17日午前5時46分に発生した阪神大震災から、早いもので17年が過ぎた。震災後何年かは神戸港の突堤に亀裂が走り段差ができていたのがそのままの姿で放置され、揺れの激しさを伝えていた。関連する展示はJR・阪神・阪急三宮駅南側の商店街の一角に集められていたのを覚えている。だが、今回のウオークで、神戸震災復興記念公園でもある「みなとのもり公園」や、開設10年を迎えた「人と防災未来センター」を訪ね、震災の記憶を後世に伝えるべく体系化されているのを感じた。東日本大震災の惨禍で新たに注目を浴びる阪神大震災について、あらためて学びに訪れたいと強く思ったウオークだった。

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写真①=あいさつする主催者の那須勝・神戸ウオーキング協会会長。右端は五輪銅メダリストの朝原宣治さん。その左は森田裕・近畿マーチングリーグ代表(京都府ウオーキング協会会長)
写真②=高層ビルが林立する神戸市の中心市街地に向いて出発する10キロコース参加者

 メイン会場のみなとのもり公園は三ノ宮駅から約15分なだらかに下った海浜にあり、東西には神戸港の多数の突堤があり、水路を隔てた南側には人工島ポートアイランドが築かれ、多数の市民が住んでいる。湾岸道路というのだろうか。巨大な高架道路が走り、東の灘方面にも西の元町方面にも高層ビルが林立している。公園は貴重な緑地空間だ。着いたときには長距離を歩く参加者はすでに出発し、10キロと5キロにエントリーしているウオーカーが三々五々到着していた。

 大会の特別ゲストは北京五輪陸上男子400メートルリレーの銅メダリストで大阪ガス所属の朝原宣治さん。毎年招かれて参加している。ことしも人気は健在で女性ファンからさかんにツーショット撮影を求められていた。朝原さんは同志社大OBなので京都でも地元選手としての扱いを受けているが、本来は神戸市の鈴蘭台出身。この日、父親が20キロコースに出発したとあいさつで明らかにした。出発式では主催者の那須勝・神戸ウオーキング協会会長(兵庫県ウオーキング協会会長)が歓迎のことば。兵庫県3B体操協会の女性のリードで体をほぐしてスタートする。

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写真①=JR神戸港駅があったことを示すモニュメント
写真②=廃線となった臨海線の線路の一部も保存されている

 みなとのもり公園はJR神戸港駅の跡地に作られた。1917(大正6)年に荷物取扱所として開設され7年後に駅に昇格した。その後は1974(昭和49)年まで、京都駅と結ぶポートトレインが走っていたという。2003(平成15)年11月30日に廃止となった。モニュメントの鐘は蒸気機関車(SL)の先頭につけられ、警笛代わりに打ち鳴らされた。SL引退後は駅に保存されていたという。廃線となった臨港線の線路も一部記念に残されていた。

 暑い間はほとんど歩いておらず、慎重を期しての10キロエントリーだった。それでも、幹線道路で信号が多くリズミカルに歩けないせいもあって疲労を感じながら歩を進める。山手幹線から、神戸市民の憩いの場である王子公園を左に見て海岸沿いに出るとチェックポイントの押印を受ける。

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写真①=人と防災未来センターの入り口
写真②=同センターフロント。係りの女性に断って撮らせてもらった

  人と防災未来センターは入館料600円。震災に関する被害の実態や行政の対応、市民生活など網羅的に展示してあるという。ほかにも資料の収集保存や災害対策専門職員の育成など機能は多岐にわたる。映像での紹介も充実しており興味をそそられた。ウオークを中断して半日かけて展示をじっくり見るのも一案かと思ったが、ここにこのような施設があると知っただけでも来た価値があった。近いうちに再訪を心に決め、フロントの女性係員の写真を撮らせてもらい先を急ぐ。

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写真①=阪急王子公園駅を通り過ぎる
写真②=ベルを手にゴールで迎えてくれた3B体操協会のメンバー

 市民のジョギングコースとなっている緑地帯を通る。JR臨港線の廃線跡とみられ、一部には線路も残っていた。ゴール担当は赤いユニフォームを身に着けた兵庫県3B体操協会のメンバー。押印をしてくれた上、8の字状の器具「ベル」を大きく動かしながらハイテンションで迎えてくれた。

 ツーデーマーチだから二日目もあるが不参加を決め込んだ。台風17号接近で強い雨との予報に怖気づいたのだ。30日午前7時現在、兵庫県南部には警報は確認できなかったが、その後の主催者発表によると30キロ、20キロコースは催行されず10キロ以下のコースのみ実施されたようだ。平清盛ゆかりの福原や大輪田泊は2日目の西コースに含まれる。九州から参加の人が背中のメッセージ欄に「清盛にロマンを感じています」と書いていた。さぞ残念だっただろうなあと、思いをはせた。主催者の神戸ウオーキング協会の皆さんは、大変な思いをされたことだろう。
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  1. 2012/09/29(土) 20:28:55|
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1800ウオーク福知山市大会・明智光秀居城と三段池公園

2012年9月9日(日)12キロ 晴れ
コース JR福知山駅~福知山市役所~福知山城~由良川堤防・明智籔~音無瀬橋~三段池公園~養泉寺~新音無瀬橋~厄除神社~城下町~治水記念館~福知山鉄道ポッポランド~御霊神社~JR福知山駅

治水で名君、墓石破壊で暴君?

 全国1800の自治体をめぐる1800ウオークの福知山市大会。京都府ウオーキング協会と、地元の北京都(ほくと)ウオーキング協会が共催した。福知山市は昔も今も交通の要衝。旧国鉄の時代には福知山鉄道管理局があった。現在は「北近畿の都」をまちづくりのキャッチフレーズにしている。
 
 早朝には特急がなく、各駅停車で2時間かかる。参加は210人でうち58人は北京都の会員だった。京都市内や京都府南部からは遠路が敬遠されたのか、実際、午前10時に到着の列車で大勢が乗ってくるだろうと予想していたところ、さほどでもなかった。式典会場の福知山市役所は駅北口から東へ800メートル。出発式で松山正治・福知山市長が歓迎のあいさつをする。

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写真①=あいさつする松山正治・福知山市長。後方左端は森田裕・京都府ウオーキング協会会長、その横は高橋久男・北京都ウオーキング協会会長。右端の司会者はこの日のコースリーダーを務めた寺澤清・京都府ウオーキング協会理事
写真②=福知山城の石垣の中に破壊された墓石があった

 福知山城は織田信長の配下にあって丹波を平定した明智光秀の築城。光秀は後に主君の信長を討った「本能寺の変」でも知られる。現在では、2012年9月の自民党総裁選で、現職の谷垣禎一総裁=福知山市出身=を出馬断念に追い込んだ石原伸晃幹事長が「平成の光秀」と呼ばれたように、上司や目上の人を裏切った人物が光秀呼ばわりされるのが通例だ。石原幹事長は第1回投票で3位と惨敗した。「光秀」のレッテル張りが他人を貶めるのに強烈な効果を持つことが、また一つ裏付けられた。

IMG_1205_convert_20121005203932.jpg 福知山城
写真①=福知山城の横を通り過ぎる
写真②=城を後にするウオーカー

 本能寺の変の評価には賛否がある。だが福知山時代の光秀は「暴れ川」由良川の治水に努めた名君として、今でも敬慕されている。福知山城では府ウオーキング協会役員の一人で、福知山市の観光ボランティアガイドとして活躍している人が説明役に立ち、城の石垣に墓石が混じっている由来などを話してくれた。墓石を破壊して石垣にするのは乱暴だが、戦国時代の築城では通例だったらしい。光秀は墓の持ち主に対して補償したというが、壊されるほうはたまったものではなかったろう。

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写真①=明智光秀が祀られている御霊神社
写真②=SLが展示されるポッポランド

 三段池公園で昼食休憩。蒸気機関車(SL)の運転士だったという別の協会役員が、SLの動力メカニズムを解説した。協会役員のみなさんはウオーキングを通じた仲間だが、それぞれの仕事分野でプロとして活躍してきた人だと、あらためて思い知らされる。ポッポランドのSLの展示を味わうのに参考になった。 

 御霊神社は宝永元(1704)年に光秀を祭神として祀った。光秀と徳川幕府はどういう関係だったのだろうか。本能寺の変では、堺にいた家康が命からがら三河に逃げ帰ったことを思えば敵対関係といえる。だが家康のブレーンとして天下取りを助けた天海和尚は、山崎合戦を生き延びた光秀の後の姿との説がある。少なくとも豊臣秀吉のように、前政権の首魁として全否定しなければいけない存在ではなかったのだろう。

 平成元(1989)年が昭和末のバブルを引きずっていたように、宝永元年は元禄バブルを引きずっていたのではないか。光秀追祀の時代背景には為政者側のそんな余裕を感じる。

 ゴールの福知山駅へ戻る途中、アーケードのある昔ながらの商店街を抜ける。日曜の昼下がりというのに半数はシャッターが閉じられたまま。商店の人は「廃業した店もあれば駅前や国道8号沿いのにぎやかな場所に移転した店もあります」と話してくれた。
  1. 2012/09/12(水) 16:40:54|
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