京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

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琵琶湖横断ウオーク(京都府ウオーキング協会4月健脚例会)下見記録

2011年12月29日(木)26キロ 快晴

コース JR湖西線堅田駅~道の駅米プラザ~琵琶湖大橋~烏丸記念公園~北山田漁港~矢橋帰帆島~近江大橋~膳所城址公園~JR琵琶湖線石山駅

長距離でも湖岸は楽しい

 堅田駅のホームから見る比良山系は真っ白に輝いていた。冬型の天気が続く毎日だがこの日は好天に恵まれた。湖水と周辺の山々、変化に富んだ湖岸の建築物を眺めながら行くと、それほど疲れを感じないまま26キロの長丁場を歩き通してしまった。

 京都府ウオーキング協会は2012年4月22日(日)に、健脚コース例会として「琵琶湖横断ウオーク」を催行する。例会は七つのブロックが交代で担当し、コースリーダーや先頭旗手、矢印張り要員などの重要な役割を務める。協会役員全員を対象にした事前調査のための下見会も行うが、この日はそれに先立ち、ブロックメンバーだけでの、いわゆる下下見会だ。他ブロックの役員に具体的な協力を要請し、例会を成功に導くためにも、コースの概要をつかんでおく事は欠かせない。

 堅田駅をスタートしてしばらくは、コースはジグザグのコースをとる。「このあたりは案内のスタッフをたくさん配置しないといけないね」と、立ち位置や矢印を貼る場所を確認する。

新田義貞愛人墓 比良雪景色
   勾当内侍の墓の案内板があった神社=写真①
   琵琶湖大橋から比良山系を望む=写真②

 今堅田の集落の神社横に勾当内侍(こうとうないし)の墓の案内板があった。勾当内侍は南北朝時代の南朝側の武将、新田義貞の愛人で後醍醐天皇より下賜された女官だったという。義貞が越前に下り兵を集めに向かった際に、勾当内侍は今堅田に留め置かれた。後に義貞の戦死を聞き琵琶湖に身を投げたという。架空の人物のようだが、墓と伝えられるものは堅田以外にもあるという。

 琵琶湖大橋を渡る。歩道は二人分の幅しかなく自転車がひんぱんに通る。あまり景色に気をとられていると危険だ。

 橋の東岸近くにゴルフコースがあった。以前は企業の保養所が目立ち、またホテル街も近くにあったと記憶するが、経済低迷の余波だろうか。いずれも見当たらなかった。湖周道路沿いにどんどん南へ歩く。守山市の湖岸では昔、イケチョウガイを使ったビワパールという真珠の養殖をしていたが、こちらも今はなくなったという。

 草津市に入り烏丸半島で早めの昼食。まだ約10キロで後半のほうが長いのだが、ここは屋外彫刻など公園として整備されている上、大きなトイレもある。向かいに道の駅があるが、横断歩道がなく立ち寄るのは不可能だ。琵琶湖のことなら、地質から人文の領域まですべてが分かる琵琶湖博物館がすぐ近くにある。別の機会にぜひ訪ねてほしい。

 対岸の景色もどんどん変化しおもしろい。雪をかぶった比良山系ははるか後方に去り、比叡山も右前方から後方へと移り、山科盆地との境の山々が見えてくる。建物では、草津市の山田地区に大きな宗教施設があった。やがて矢橋帰帆島に着く。1978年に着工し1982年に下水道浄化センターとして運用開始した人工島。建設当時は琵琶湖浄化に向けた滋賀県の粉石けん使用キャンペーンなどで、人工島にも大勢の注目が集まったものだが、今ではすっかり琵琶湖岸の公園施設として溶け込んでいる。週末などには家族連れで賑わうという。

烏丸半島 近江大橋
   烏丸半島の奥に琵琶湖博物館が見えた。後方は比叡山=写真①
   膳所城址公園横から見た近江大橋=写真②

 近江大橋を渡ると膳所城址公園。江戸時代は本多氏7万石の居城で、日本3大湖城の一つとされる。明治になって城は取り壊され本丸跡が公園として整備された。

 公園から湖岸づたいの散策路をたどる。ゴールの石山駅はほど近い。
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  1. 2011/12/29(木) 22:21:17|
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京の七口シリーズ④「鞍馬口」(京都府W協会12月例会ファミリーコース)

2011年12月25日(日)13キロ 晴れ

コース 京都市営地下鉄烏丸線今出川駅~御所公園~相国寺~鞍馬口(出雲路橋西詰)~下鴨神社~深泥池~京都精華大キャンパス~市原~二ノ瀬~貴船口~叡電・鞍馬駅

      寒さに負けず鞍馬へGO

 とてつもなく寒い朝だった。今出川の駅から地上に出ると体が震えた。「鞍馬はもっと寒いぞ」。覚悟を決めるかのように、スタッフ同士で声を掛け合う。そんな悪条件でもいつも以上に出席率がいい。それもそのはず、この日夕方には京都府ウオーキング協会の忘年会が待っているのだ。

 七口とは昔の京の出入り口を指す。同協会では毎年12月に、四方に伸びる旧街道のいずれかをたどる「京の七口シリーズ」を順次催し、すでに2巡目に入っている。今年歩くのは北に向かう鞍馬街道。毎年7月、祇園祭の山鉾巡行と同じ日に火祭りを行う鞍馬の地がゴールとなる。源義経が牛若丸と称した少年時代、天狗に交じって修行したという山深い集落だ。

鞍馬口碑 下鴨神社お宮参り
   「鞍馬口」の碑を通り過ぎるウオーカー=写真①
   下鴨神社ではお宮参りの家族が記念撮影をしていた=写真②

 折りしも高校駅伝の開催日と重なり、ランナーが通る烏丸通を避けて寺町通を上がる。「名前の通りで、寺が多いなあ」と感心する仲間も。門前に立つと比叡山が真正面に見える天寧寺を過ぎると鞍馬口通り。東に折れれば鴨川河川敷。その出雲路橋西詰に「鞍馬口」の碑が立つ。
 
 下鴨神社で参拝をすませ、水生植物が天然記念物の指定を受けている深泥池まで北上。山が近づき空気がさらに冷えてくる。マンガ学部で有名な京都精華大キャンパスに到着。大学の好意で場所とトイレを借りることができ、ここで昼食休憩をとる。感謝。参加者は324人だった。この寒いのに、みんな元気。最多年齢層は60代だが「年寄りの冷や水とは言わせないぞ」。

深泥池12月 貴船口
   珍しい水生植物が生息する深泥池=写真①
   貴船口の交差点。鞍馬まで1キロの看板が見えた=写真②

 明るい日差しが幾分寒さを癒やしてくれる。「風がないからまだましだね」と誰かが言う。

 市原あたりまで新興住宅が広がるが、そこを過ぎると、叡電に沿う谷筋の自動車道を歩くしかない。貴船口で、鞍馬まであと1キロの標識を見るが、そこからが遠い。それでも左手に由岐神社を過ごすと真正面に料亭が見える。ゴールの鞍馬駅だ。くらま温泉への無料送迎バスがしきりに行き交う。「いつもは京都駅前のタワー浴場で入浴しますが、ことしはここで汗を流していきます」と、笑顔で乗り込んだ仲間もいた。

 夕方からは京都駅前に出て忘年会。ウオークの疲れも何のその。「若者よりも元気だよ」と健康談議に花が咲く。気迫だけならその通りだ。延々3時間半。料理とアルコールで盛り上がったことは言うまでもない。 
  1. 2011/12/26(月) 22:01:19|
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第3回京都ツーデーウオーク第2日30キロコース(下見記録)

2012年12月23日(金・天皇誕生日)30キロ 快晴一時しぐれ
  
コース 平安神宮~鴨川河川敷~西賀茂橋~大宮交通公園~大徳寺~妙心寺~二条城~京都御苑~相国寺~哲学の道~南禅寺~岡崎公園

   寺・城・水辺、欲張りコース

 2012年3月4日に催される京都ツーデーウオーク2日目は京都市北部をめぐる。鴨川沿いに市街地北端の西賀茂橋まで北上し、大徳寺を経て西北部の名刹・妙心寺にいたる。市中に戻って二条城と京都御苑を観覧してから、今度は東山山麓の哲学の道からゴールに向かう。何とも欲張ったコースと言っていいだろう。

 平安神宮から西に向かい二条大橋で鴨川河川敷に降りる。そこから6キロ余り。河川敷を北に向かう。晴れ上がってはいるものの、雪の予報が出ていたほどの寒い朝だ。北の方向に白くなった山が見える。「鞍馬や貴船方面は積もってるのではないか」との声が漏れる。御薗橋を越えたあたりでとうとうしぐれに遭った。

 西賀茂橋は1991(平成3)年建設の新しい橋だ。上賀茂神社門前の御薗橋上流910メートル。御園橋の混雑解消と柊野地区住民の便宜のため架けられた。橋西詰めには京都市交通局西賀茂営業所があり、その上方には大文字の火床の一つ「舟形」が間近に見える。少し南に入った大宮交通公園が休憩の適地となる。

鴨川河川敷 大徳寺 
   寒い朝。鴨川上流の北山には白くなっているところも見られた=写真①
   石畳の美しい大徳寺=写真②

 大徳寺も妙心寺も名高い塔頭を抱えている。室町時代後期から安土桃山を経て江戸時代初期に至る、ダイナミックに動いた時代で、襖絵や枯山水庭園など名高いものが多い。大徳寺内には豊臣秀吉と徳川家康が碁を打った際の碁盤も残っていると言う。また鉄鉢料理と名づけた精進料理を提供する料亭「泉仙」が入っている塔頭もある。

妙心寺1 妙心寺2
   妙心寺北門でコースを確認する下見メンバー=写真①
   妙心寺三門は慶長4年(1599年)の建立。境内で唯一の朱塗りの建物だ=写真②

 二条城は、慶長8年(1603年)、徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、3代将軍家光により伏見城の遺構を移すなどして、寛永3年(1626年)に完成させた。豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合されて、いわゆる桃山時代様式の全貌を垣間見ることができるという。江戸時代には京都御所の朝廷に対し、幕府の威光を示す役割を担ったとされるが、現在は京都市の管理となっている。

堀川水路 哲学の道
    昔は暗渠だった堀川も2009年からせせらぎが復活した=写真①
    哲学の道。桜の名所も今は冬枯れの時期だ=写真②

二条城の前の堀川通りには東側に水辺の散策路が設けられている。京都市が1997年から2009年までの事業年度で、紫明通りから堀川通りへの4.4キロを開削し疏水の水を通した。

 京都御苑を通り抜け、相国寺から東へ。鴨川に架かる葵橋が8の字型コースの中心点だ。下鴨神社・糺の森南側から御蔭通を通り、琵琶湖疏水沿いに、観光客でにぎわう銀閣寺前に至る。

 東山のふもと、銀閣寺から南禅寺付近までの琵琶湖疏水沿いの小径を「哲学の道」という。哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことからこの名がついたと言われる。1972年(昭和47年)に正式な名称となった。日本の道100選にも選ばれている散歩道である。4月には桜の名所となる。近くに居を構えた日本画家・橋本関雪と妻よねが、1922年(大正11年)に京都市に苗木を寄贈したのに始まるという。道の中ほどの法然院近くには、西田が詠んだ歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」の石碑がある。ちなみに西田の墓の一つが、先に通ってきた妙心寺にあった。

 南禅寺を西へ下ると動物園が右に見える。ゴールの岡崎公園はすぐそこだ。
  1. 2011/12/23(金) 17:31:30|
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第3回京都ツーデーウオーク第1日30キロコース(下見記録)

2011年12月17日(土)30キロ 快晴

コース 平安神宮~知恩院~清水寺~泉涌寺~東福寺~伏見稲荷大社~藤森神社~伏見桃山城~宇治川派流~疏水~鴨川河川敷~岡崎公園

       酒どころ伏見をたっぷりと

京都府ウオーキング協会は、京都市、京都市体育協会とともに、2012年3月3日(土)、4日(日)に、第3回京都ツーデーウオークを開催する。両日とも30、20、10キロの3コースが設定され、体力や経験に合わせて選ぶことができる。岡崎公園と、隣接する平安神宮がメイン会場でスタートゴールとなる。1日目は南コース。30キロコースでは一路、伏見を目指す。豊臣秀吉築城の伏見城の城下町であり、日本有数の酒どころでもある。

コースは平安神宮をスタートの後、知恩院、八坂神社、清水寺と東山山麓の有名社寺を通るが、先は長いのでこのあたりは雰囲気を味わうだけにとどめよう。戦時中に空襲のあった馬町交差点から京都女子学園キャンパスに向けて登り、京都トレイルを抜けると皇室の菩提寺でもある泉涌寺だ。

 泉涌寺は鎌倉時代の月輪大師の開山。後鳥羽上皇や執権の北条氏など公武の帰依を受けた。特に南北朝時代からは多くの天皇の葬儀を執り行うとともに、天智天皇と子孫の光仁天皇、桓武天皇以降の歴代天皇の位牌を安置している。(天武系の天皇が入っていないことは要注目)

泉涌寺 通天橋
   歴代天皇の位牌を祀る泉涌寺=写真①
   東福寺・通天橋の紅葉はさすがに盛りを過ぎ、半月前の賑わいがうそのようだった=写真②

 東福寺は紅葉の名所だが、通天橋から見ると多くは枯れていた。神域では飲食禁止は普通だが、ペットボトルや水筒の水を飲むくらいは目こぼししてくれるところもある。だが、東福寺では見つけ次第警備員が飛んできて注意するという。観光バスでも拝観前に、ガイドさんがその旨を客に徹底するほどで、業界では有名らしい。不必要なトラブルを避けるためにも、互いに気をつけたい。

 伏見稲荷大社は全国に3万社もあると言われるお稲荷さんの総本宮。もともとの農業神から商業神、屋敷神へと拡大し、今日では五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、芸能上達等の守護神として信仰されている。初詣の参拝者は全国有数だ。 

 藤森神社は、今から約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社。本殿は正徳2年(1712年)、第114代中御門天皇より賜った。特に同神社は、菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)、また、競馬ファンの参拝者でにぎわう。

 藤森神社 伏見桃山城
   競馬の神様とされる藤森神社=写真①
   伏見桃山城は観光用に建てられた昭和の城郭だ=写真②

 豊臣秀吉の伏見城は、関ヶ原の戦の前哨戦で、徳川家康配下の鳥居元忠が西軍の攻撃を受けて落城し、城も焼失した。今の伏見桃山城はかつて近鉄グループによりお城と遊園地から成るレジャー施設、伏見桃山城キャッスルランドとして昭和39年(1964年)に開園されて以来,多くの市民や観光客に親しまれてきた。特に,天守閣を有するお城については,約40年もの歳月の中で伏見桃山丘陵の景観に溶け込み,伏見のシンボルとして定着してきたが、レジャーの多様化などで採算が悪化し、2003年に閉園となった。

 その後京都市が,地元などからの要望を受けて、天守閣を中心とする建築物を無償で譲り受けて存続。併せて,遊園地の跡地部分については,運動公園として整備し現在に至っている。ただ城は耐震基準を満たしておらず、現在のところ立ち入り禁止となっている。いったい維持費はどのくらいかかっているのだろう。京都市も赤字財政に苦しんでいる。収益を生まない施設を抱える余裕がないことを思えば、城の運命は風前の灯かもしれない。

 伏見桃山城を下り御香宮神社の前を通って大手筋を京阪伏見桃山駅の手前で南に折れる。伏見有数の料亭・魚三楼が右側にある。入り口の格子戸には弾痕の跡。徳川幕府の滅亡を決定付けた鳥羽伏見の戦いの際に魚三楼の前・京町通に布陣した新撰組が、銃砲で武装した薩摩藩軍へ白刃で斬り込んだといわれている。

鳥羽伏見弾痕 大倉記念館
   魚三楼玄関の格子戸に残る弾痕。幕末維新の激動を今に伝える=写真①
   日本酒のすべてが分かる月桂冠酒造の大倉記念館。試飲OK、酒盛り不可=写真②

伏見は、かつて“伏水”とも書かれていたほどに、質の高い伏流水が豊富な地。桃山丘陵をくぐった清冽な水が、水脈となって地下に深く息づき、山麓近くで湧き水となってあらわれる。日本を代表する酒どころとなったのも、この天然の良水に恵まれていたことが大きな要因だ。月桂冠酒造の大倉記念館を一巡すると日本酒のすべてが分かる。入館料200円で試飲もOKという。

 帰路は疏水と鴨川に沿って平安神宮に戻る。天気に恵まれれば、水辺ウオークが楽しめそうだ。

下見は、矢印の位置や道案内に立つスタッフの配置と役回りの確認のためのものだ。時間と興味のある人はぜひ、早春の京都を訪ねてほしい。(参加申し込みは、当ブログにリンクしている京都府ウオーキング協会の公式ホームページを見てください)
  1. 2011/12/17(土) 20:53:26|
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京の表鬼門と裏鬼門ウオーク(京都府W協会12月例会健脚コース)

2011年12月11日(日)23キロ 晴れ 

コース 京都市営地下鉄烏丸線・国際会館駅~宝ヶ池公園~赤山禅院~一乗寺下り松~下鴨神社~幸神社~京都御所・猿が辻~中立売休憩所~神泉苑~三条大宮公園~梅小路公園(16キロゴール)~東寺~羅生門跡~鳥羽地藏~城南宮~近鉄・竹田駅

     魔除けの猿が善男善女を歓迎

 「鬼門」とは古代中国の言い伝えによる。中国では春秋時代から戦国時代に当たる紀元前5世紀ごろ、度重なる東北地方からの異民族による侵略や殺戮に苦しめられたため、異民族を「鬼」と呼び、それらが来る方向を「鬼門」と称したという。秦の時代になって、侵略を防ぐために「万里の長城」建造が始まった。(ただ当時の主たる異民族の「匈奴」は中原からみれば北方に当たる。旧満州の別の異民族のことだろうか。このあたりは今のところよく分からない。)

 「鬼門」の考え方は生活全般に取り入れられ、東北の「表鬼門」は「男鬼門」とも呼ばれて鬼が入る方向とされたため、家屋の出入り口を設けるのは避けるようになった。一方、反対方向の西南が「裏鬼門」または「女鬼門」とされるようになった。南西の角は強い西日が当たり物を腐らせるので台所やトイレを避けている。また台風などの自然災害が襲ってくる方向でもある。

 平安時代は「陰陽道(おんみょうどう)と呼ばれる、方角や風水の信仰が朝廷から民衆にまで広がっていた。この信仰に従い、平安京の鬼門を封じるために多くの神社や寺院が建てられ、さらには魔除けの猿が飾られた。

 表鬼門封じで重要なのは、東北に位置する比叡山で延暦寺など多数の寺院が鬼門封じを担っている。市街地の赤山禅院、吉田神社、幸神社も表鬼門封じに祭られている。一方、裏鬼門封じでもっとも重要なのが石清水八幡宮。城南宮、壬生寺も同じく裏鬼門封じを担っている。

 猿は申(さる)と同義で、西南西の方向を示す。この方向は表鬼門の反対に位置し鬼門を封じると信じられ、多くの猿が飾られている。延暦寺、赤山禅院、御所の猿が辻、幸神社、石清水八幡宮などが広く知られている。(以上、「京都通百科事典」「ほのぼの風水」「まいぶれ出雲」のウェブから引用)

 上記のような鬼門の概念をウオークに生かそうと、京都府ウオーキング協会では、表鬼門の北東から京都御所をはさんで裏鬼門の南西にと京都市街地を縦断する例会を企画、この日に実現したのだった。

赤山禅院 赤山猿
    緑豊かな赤山禅院に到着したウオーカー=写真①
    赤山禅院社殿の屋根にあった猿の飾り物=写真②

 京都市北郊・比叡山山麓の宝ヶ池公園は放射冷却で底冷えする厳しい朝。だが出発の午前9時過ぎには日差しが照り始め、冬晴れの快適な日和に恵まれた。参加者は340人。叡電・宝ヶ池駅を横目に修学院の住宅の中の細い道を抜けて、緑豊かな赤山禅院に到着。本殿の屋根には金網に入った猿がいて、参加者がさかんにカメラに収めていた。

猿が辻人 猿が辻猿
    御所・猿が辻の軒先を見ながらスタッフの紹介に耳を傾ける=写真①
    猿が辻の軒先にある猿の飾り物。御幣で顔のあたりが見えない=写真②

 下鴨神社から、同志社女子大今出川キャンパスの東側にある幸神社(さいのかみのやしろ)を経て京都御苑内に。猿が辻は御所北東角にあり、軒下には金網の中に猿が飾られている。御幣の紙があって見にくかったのは残念だった。由緒を記す駒札によると、幕末にはこの地で、勤皇派の公家・姉小路公知が暗殺された。実行犯は薩摩藩の田中新兵衛と言われている。

 御苑内の中立売休憩所で昼食の後、平安時代に起源をもつ神泉苑の庭園を通り抜けて四条大宮から梅小路公園へ。ここで16キロのショートコースの人はゴール。230人が23キロに挑んだ。

羅城門 城南宮
   羅生門跡には石碑が立っていた=写真①
   裏鬼門封じを担うとされる城南宮=写真②

 弘法大師開基の東寺から、かつて朱雀大路の南端の地だった羅生門跡へと、後半も平安京にこだわったコース設定。一路南に向かい、裏鬼門封じの城南宮に。もうゴールの竹田駅は近い。    
  1. 2011/12/11(日) 21:17:16|
  2. ウオーキング
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