京都駅前つれづれ通信

ウオーキングを中心に、日々気付いたことを紹介します。ご意見をお聞かせください。

山紫水明鴨川思案橋ウオーク

2011年10月30日(日)26キロ 曇りのち雨

コース 梅小路公園~七条大橋~京阪祇園四条駅~行者橋~平安神宮~高野川河川敷~宝ヶ池公園(13キロゴール)~御薗橋~五条大橋~JR京都駅

               洛中の水場 こだわりの26㌔

 京都府ウオーキングコースの10月例会健脚コースは総距離26キロ。京都市内を南北に貫流する鴨川と支流の高野川に加え、白川、明神川、深泥池、高瀬川といった水場も巡る。晴れていれば気持ちの良いコースだったが早朝の雨で出足をくじかれた人が多かったのだろう。集合時にはやんでいたが、参加者は200人に届かなかった。梅小路公園から一路東へ。七条大橋から鴨川東岸を北上する。

 京阪祇園四条駅から北東へ入ると祇園のお茶屋街。白川と石畳の道を疎らな柳並木が隔てる風情あるたたずまいだ。歌人・吉井勇の「かにかくに」の碑もある。碑に刻まれている歌は「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」。昭和30年、吉井の古希の祝いに谷崎潤一郎ら数名が建立した。毎年11月8日には「かにかくに祭」が祇園甲部お茶屋組合によっておこなわれているという。

 石の角柱2本を渡しただけの行者橋もある。行者さんの修行コースの一つになっていたことから名づけられた。

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     「枕のしたを水の流るる」と詠まれた白川の風情=写真①
     鴨川河川敷を行く(荒神橋付近)=写真②   

 平安神宮で休憩後、疎水沿いの冷泉通りを西へ。鴨川との合流点手前の橋は、明治時代に疎水を開削した田辺朔郎にちなみ「田辺橋」の名がつけられている。出町柳合流点から下鴨神社を経て高野川東岸を北へ。松ヶ崎あたりでは大文字火床の一つ、妙法の「法」の字が真正面に見えてくる。

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         下鴨神社東側の道を高野川へ=写真①
         雨の中、宝ヶ池公園を出発=写真②

 中間点の宝ヶ池公園スポーツ広場で昼食休憩。13キロ参加の人はここがゴール。折から降り出した雨で後半を断念する人が目立った。

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         水生植物の宝庫・深泥池=写真①
         北大路魯山人出生地の碑=写真②

 深泥池の水生植物について説明を受ける。深泥池は三方を山に囲まれた文字通りが深い池。面積9㌶とあまり大きくはないが、氷河期以来の遺存生物が見られる浮島があることから、天然記念物に指定されている。

 洛北では有名なフランス料理店「ルルソンキボワ」の前を通る。一度味わいたいと思っているのだが…。おいしいものが食べたい、そんな思いでいると奇しくもグルメの極めつけ、陶芸家でもあった北大路魯山人出生地を示す碑が、大田神社の向かいにあった。魯山人は上賀茂神社の社家の生まれだったのだ。

 明神川に沿って上賀茂神社の門前を過ぎる。ゴールが近ければ名物の焼き餅を買うところだ。

 御薗橋を渡ると、それまでの団体歩行から自由歩行に切り替わる。そこから一気に鴨川西岸を南下する。降ったり止んだりしていた雨も丸太町あたりで本降りに変わり、肌寒さもあって自然と足が早まる。五条から七条までは高瀬川沿いを歩く。最後まで水辺にこだわったコースだ。

 ゴールのJR京都駅には午後4時の到着だった。
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  1. 2011/10/30(日) 19:25:11|
  2. ウオーキング
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第9回あやべふれあいウオーキング

2011年10月23日(日)20キロ 晴れのち曇り時々雨

コース コスモス園(由良川花庭園)~西原町公民館~東綾小学校~東山公園~山家城址公園~野田公会堂~コスモス園

           由良川沿いに山家城址へ

 綾部市主催の「健康長寿の里第9回あやべふれあいウオーキング」に参加してきました。綾部駅から徒歩約10分の、由良川白瀬橋下河川敷「コスモス園」に9時集合、9時半開会式のスケジュールです。京都駅前に住む私としては6時38分の各駅停車福知山行きに乗らないといけません。平日は通学の高校生や通院のお年寄りでにぎわう列車ですが、日曜とあって比較的ゆったり過ごせました。綾部到着は8時半前。南口を出て福知山方向へ2、3分歩き、綾部郵便局を超えたところに24時間営業の「フレッシュさと」があり、綾部ではいつも弁当と飲み物を補給します。

 駅に戻り今度は北口を出て、旧グンゼ工場東側を行くと由良川にかかるのが白瀬橋。コスモス園は東南側河川敷です。9時前についたのですがすでににぎわっており、「あやバス」の絵画コンクールの表彰式をしていました。

 あやバスとは2005年(平成17年)に営業が始まった綾部市独自のバスです。それまでは京都交通(本社・亀岡市)が綾部市内でも運行し、市は補助金を出していたのですが、過疎地が多い市域でも漫然と大型バスを運行し、乗客が2、3人しかいない時が多く「空気を運んでるようなものだ」と陰口をたたかれてていました。同社が京都府北部での営業縮小を打ち出したのを契機に、市が独自運営に切り替えました。今は関西丸和ロジスティクス(本社・綾部市下八田町)という会社に委託しています。車体を小さく、料金を安く、住民が覚えやすいように毎時定刻に運行するなど工夫を凝らし、京都交通の時代よりは市の持ち出しも少なくて済んでいるようで、今から思えば英断だったと思います。2011年12月8日に運行開始以来の乗車人数が延べ150万人を突破しました。

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       あやバスの車体の横で開会式=写真①
       東山公園ではUターンを指示する標識があった=写真②

 9時半からウオーキングの開会式。山崎善也市長のあいさつの後、20キロ、10キロ、6キロの順に、コース別にスタートします。20キロコースは綾部駅から京都寄りに一駅戻った山家駅周辺まで、往路は由良川右岸(北岸)をたどります。

 開会式では晴れていたのに、しばらく行くと空が怪しくなってきます。秋が深まるにつれて天気が変わりやすくなるのが、丹波路の特徴です。

 中間点の東山公園で由良川支流の川べりに下り、さらにUターンして登り返すところがありました。本来は川のすぐ横の散策路を気持ちよく歩くはずだったのが、先日の台風で荒れて危険になったのでコース変更したとの事でした。

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       チェックポイントでは綾部市職員が迎えてくれた=写真①
       山家城址公園。春は桜の名所となる=写真②

 山家城址公園に着き、チェックポイントのハンコと飲み物をもらって昼食休憩。あたり一面、霧雨でしっとりぬれています。10キロと6キロコースの人が行く市街地の紫水ケ丘公園では本降りになっているとの情報が届きました。

 山家は谷氏の城下町で、九鬼水軍ゆかりの九鬼氏が治めた綾部藩とは別の歴史をたどりました。

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       霧雨の中、昼食休憩をとる=写真①
       丹波茶屋ゆらり=写真②

 復路は左岸の舗装道路を一路ゴールへ。途中「丹波茶屋ゆらり」という和風レストランの前を通ります。綾部でイチ押しの店の一つで、土日は京都市内からも車で乗り付ける女性(男性も)が目立ちます。ゴールは午後2時前。所要時間4時間時弱で、途中昼食休憩をとったことを思えば極めて快調なペースでした。

 コースの分岐点では綾部市保健推進課の職員の方が立って案内してくれました。また各コースのリーダーとアンカーは北京都ウオーキング協会の方が務めてくれました。末尾ながらお礼を言いたいと思います。
  1. 2011/10/23(日) 17:22:07|
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新春古都の道ウオーク下見

2011年10月16日(日)14キロ 快晴

コース 梅小路公園~三十三間堂~豊国神社~方広寺大仏殿跡~清水寺~高台寺公園~円山公園~知恩院~平安神宮~金戒光明寺~吉田神社~鴨川河川敷~三条大橋西側河川敷

            秋晴れの中 京のコアめぐり

 京都府ウオーキング協会では2012年1月2日に、恒例の「新春古都の道」ウオークを行うので、その下見に行きました。ふだんウオーキングで通る時は余裕がなく、足早に通り過ぎることが多いのですが、この日は秋晴れに恵まれ、観光目線で京都のコア部分を満喫しました。
 コースは梅小路公園から七条通りを一路東にとり三十三間堂を目指します。三十三間堂は後白河上皇の離宮に始まります。平家の拠点だった六波羅ともほど近く、上皇と清盛の距離感が興味深く感じられます。
 400年後にこの一帯を支配し北側に方広寺を建立したのが豊臣秀吉です。秀吉の大仏は高さ18㍍で奈良・東大寺の大仏の14.7㍍をしのいだと言われます。地震ですぐ倒壊したものの、豊臣秀頼によって再建されました。この時に造られた鐘に「国家安康」の文字があったことから、徳川家康側から「自分の名を切り離したのは呪詛だ」との言いがかりを付けられ、大阪の陣での豊臣家滅亡につながったのは有名です。江戸時代中期の18世紀まで大仏があったとのことですから、平成の世に残っていないのがつくづく惜しいと感じます。


   清水寺門前には「秋の特別拝観」の看板があった=写真①  
   八坂神社での結婚式。列をつくる両家の親族も笑顔=写真②

 清水寺はやはり人が多いですね。ここは坂上田村麻呂が蝦夷遠征で観音様の加護を受けたことに感謝して建てたといわれます。田村麻呂の助命嘆願もむなしく処刑された蝦夷の首領アテルイの墓もあります。門前には生八つ橋の店が並び、試食用の皿を持った店員が観光客に呼びかけています。ウオークの途中ですから甘いものがほしくて手に取るのですが、にこやかに勧めてくれる店員もいれば、取られまいと皿を高く掲げる店員もいて、店の対応もさまざまでした。
 八坂神社は祇園祭の神様として有名です。室町時代からは町衆によって運営されてきたといいます。私たちの街は応仁の乱で貴族の「平安京」から町衆の「京都」に姿を変えたといいます。きっと時代の先端を行く神様だったのでしょうね。訪れた時、ちょうど結婚式をやっていました。

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    飾り付けがされていた浄土宗本山・知恩院=写真①     
    平安神宮での太極拳。ポーズが決まっていた=写真②

 知恩院は浄土宗の本山です。今年は開祖法然上人の800年御遠忌にあたるので、門前に飾りつけも目立ちます。平安神宮は平安遷都1100年を記念して建てられた明治時代の神社です。祭神は平安京初代の桓武天皇で、後に最後の天皇である孝明天皇も追祀されました。私たちが行った時には太極拳の演舞が始まるところでした。沖縄から東北まで全国の代表が集まり、神域の庭を埋め尽くしていました。
 黒谷さんとして知られる金戒光明寺は山門の修理をしていました。親しみやすい雰囲気のお寺なので、ついつい弁当を広げたくなりますが、飲食は慎んでください。ここから吉田神社を通って三条河原で解散です。お疲れ様でした。
  1. 2011/10/22(土) 18:12:15|
  2. ウオーキング
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復興債の償還期限について

           60年は長過ぎて無責任
 
東日本大震災の被災地立て直しのための復興債の償還期限について、与野党の話し合いが続いています。一時、建設国債と同じ60年でどうかとの案も出たそうですが長すぎると思いませんか。
 戦後60年を迎えたのは、ついこの間、2005年(平成17年)のことです。さらにさかのぼれば太平洋戦争の大敗北=1945年(昭和20年)=からわずか40年前の1905年(明治38年)に、日露戦争に辛勝した日本は世界の一等国入りを果たしました。そこから江戸時代までは40年もありません。つまり60年という歳月は東日本大震災も忘却のかなたに押しやってしまうほど長いものです。私たちの孫の世代にそんな借金を残すことが、道義的に許されるでしょうか。
 またその間に再び大地震がないと断言できるでしょうか。阪神大震災があったのは16年前の1995年(平成7年)1月17日でした。その後も2004年と2007年に新潟県で地震が起きています。早めに償還して次の災害に備えられるようにしないと、財政はますます破綻の度を強くするのではないでしょうか。
 本日の報道では15年という案が有力になっています。私は特定政党の支持者ではなく、政策ごとに是々非々で判断したいと思っていますが、いずれにしても、個人の家計も国の財政も、借金を慎み身の丈に合った暮らしをすることが大切ではないでしょうか。
  1. 2011/10/21(金) 17:54:46|
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