京都駅前つれづれ通信

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書評「十字軍物語3」 塩野七生著(新潮社)

   交渉で勝利した皇帝の孤独

 平和について語る時、すっかり有名になったのが司馬遼太郎の次の言葉だ。

 「平和とは、まことにはかない概念である。単に戦争の対語にすぎず、"戦争のない状態" を指すだけのことで、天国や浄土のように完全な次元ではない。あくまでも人間に属する。平和を維持するためには、人脂 (ひとあぶら) のべとつくような手練手管 (てれんてくだ) が要る。平和維持にはしばしば犯罪まがいのおどしや、商人が利を逐(お)うような懸命の奔走も要る。さらには複雑な方法や計算を積みかさねるために、奸悪の評判までとりかねないものである。例として、徳川家康の豊臣家処分をおもえばいい。家康は三百年の太平をひらいた。が、家康は信長や秀吉にくらべて人気が薄い。平和とは、そういうものである」(風塵抄・58平和=1991年3月4日)

 司馬はさらに「念仏では平和は守れない」と言う。この言葉は意味深長だ。表向きは「祈願するだけでは平和は守れない」の意味だろう。だが念仏を唱える浄土真宗(一向宗)の門徒が、戦国大名と覇を競った歴史を思えば、熱狂的な信仰が平和への大きな妨げになることを指摘したかったのではないだろうか。それはキリスト教もイスラム教も同じで洋の東西を問わない。塩野七生の「十字軍物語」を読んで気づくのはその点だ。

 西欧の有力諸侯に率いられた第1次十字軍は、イスラム側の不統一に助けられエルサレム王国を樹立する(1099年=第1巻)。イスラム側がサラディンによって統一されたのに対し、キリスト教側は慢性的な兵力不足を克服できず、エルサレムを奪回される(1187年=第2巻)。十字軍全史の最終巻となる本巻は、エルサレム再復を目指す第3次から第8次までと、港町アッコン陥落によりキリスト教側が最後の拠点を失うまでを描く。筆者にとって最も感銘を受けたのは、交渉によってエルサレムの支配権を回復した第6次に関する記述だ。

エルサレム旧市街
このエルサレム旧市街の写真はトリップアドバイザーから無料提供されています

 筆者が十字軍を教科書で習ったのはずいぶん昔になったが、覚えているのは第4次十字軍(1199~1204年)がビザンチン帝国の首都コンスタンチノープルを攻めたのを「同じキリスト教徒を攻めたのは堕落」と評していた点だ。第6次十字軍(1228~9年)が交渉でエルサレムの支配権を回復したことももちろん評価せず、わずか数行で通り過ぎていったのを覚えている。多面的であるべき歴史学習なのに、日本の教育現場がカトリック教会の見方を踏襲していることに気づかせてくれたのも、この本のおかげだ。

 十字軍の成否はエルサレムの回復ができたかどうかで決まると言うのが従来の学説だ。ところが神聖ローマ皇帝フリードリッヒ率いる第6次十字軍は、イスラム教側のアユーブ朝スルタン、アル・アーメドと交渉し、エルサレムの中のイスラム教地帯を渡すことを条件に主権を回復した。だがローマ教皇は反対し、エルサレム司教も任地に行かずアッコンにとどまったままだった。

 なぜ交渉による成果は受け入れられなかったか。それは大部分の仲間にとって、勝利の感覚が得られなかったからのように思う。

 話は急に身近になる。筆者は約20年前、当時勤めていた会社の労働組合側代表として労使交渉に携わった経験がある。春闘にしても一時金闘争にしても団体交渉を重ねるうちに建て前の要求額は意味を持たなくなり、最後は1000円札1枚をめぐるやり取りになる。その1枚を勝ち取って妥結しても、組合員から称えられることはない。少数の交渉当事者と、同じ苦労を知る交渉経験者だけでささやかな勝利の喜びに浸るのが関の山だ。

 なぜ勝利の実感を得られないか。それは組合員自身が参加した実感を持っていなかったからだと今にして思う。労使話し合い路線の時代ではあったが、ストライキに突入でもして、組合側の団結力の強弱、経営側の壁の厚さ、そういったものを一人ひとりが実感すれば、微妙な勝利でも全員で分かち合えたかもしれない。だが実際は、交渉のたびごとに、当事者は孤独な判断を強いられていた。

 皇帝フリードリッヒは、決して馴れ合いの交渉をしたのではない。多くの船を建造し、その武力を背景に妥協を強いた。巨額の軍事費を使ったわけだから、直接の戦闘はなくても戦争をしたと同様だ。その結果、キリスト教徒が安心してエルサレムの聖地巡礼をできるわけだから、皇帝にすれば勝利の実感はあったと思う。

 だがローマ法王と教会は勝利を認めなかった。塩野は「イスラム教徒は倒すべき相手であり、そういう者と交渉すること自体が悪だから」と解説する。その通りだが、イスラム教地帯は相手に渡すなどしており完全勝利の実感が得にくかったのも理由の一つだろう。たとえ7割の勝利を得ても、周囲は残り3割の譲歩を問題にするものだ。皇帝の武将、兵士たちも戦闘していないうちに、目に見えないところで決着がついてしまった。手柄を立てる機会を奪われたことに割り切れぬ思いを抱いたに違いない。塩野の記述からは、フリードリッヒは「教会や世間はしょせんそんなもの」と達観していたようにも見えるが、孤独感は禁じえなかったことだろう。

 塩野は、合理主義に基づいて異教徒が共存、交流しともに繁栄する社会を理想として考える。そのためには司馬の言う手練手管はもちろん必要になるだろう。帯書きにもあるが、平和とは何か、あらためて考えさせられる一冊だった。中世の宗教戦争に近現代の労使交渉を重ねることの是非については、批判を待ちたい。
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  1. 2012/01/28(土) 22:10:25|
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